4月29日、仙石・柄沢地区の卯年大祭。
クライマックスで初めて、柄沢地区の屋台の屋根に記された文字を見た。
平地では見えない、二階でこの屋台を見ていたらわかったかもしれないが・・・。
山に上る最後の瞬間に目立つような演出だったのかな?(^_-)
これを見たとき、とても嬉しくなって撮影した。(^^)
きょう、お茶を飲みながら、珍しく親父が昭和26年の卯年まつりの話をしてくれた。
当地坪池区は、舞子大山組卯年大祭の行列の昼宿、何百人かのお昼を用意するのがしごと。
戦後の食糧難のころで、コメは一粒でも口に入れるか、売ってお金にしたい時代。
コメを出し合って、おにぎりをつくったそうだ。
お米にかかった費用は、舞子大山組から支給される。
当時はヤミ米を買いに来る関東からの業者も多くいた。そして供出価格よりもだいぶ高く売れたそうだ。
現金収入の少ない時代だけに、貴重な収入源だったようだ。
しかし、舞子大山組から頂いたコメ代は、供出価格だったそうだ。
「祭はだいじだし、山組もだいじ、でもコメ代はだいぶ安かったなあ」と、みんなで笑ったそうだ。
・・・、もっと多くの話を、先輩の方々から聴きたいですね(^^)。
デジブック「舞子大山組卯年大祭3」準備中