南魚沼~わが故郷から~

四季折々姿を変える豊かな自然を次世代に
活き活きとした顔が溢れる元気なまちをつくろう

ああっ 操作間違って

2010年12月25日 | Weblog
コメントみんな消しちゃった(^^;)  ごめん m(_ _)m

で・・・、最後の私のコメントだけが残ってた(^^)



ここ2,3日 (fine weather) 2010-12-25 20:33:24
書く気になれない気分で(^_-)

コメント、ありがとう! 全部読んでますよ。でも、間違って・・消しちゃった。
あきれてなかったら、またお願いします m(_ _)m

さて、賛否両論ある本なのですが、「日本人のための戦略思考入門/孫崎享 祥伝社新書」
を読んでいるのですが、議会広報の原稿とか家事の雑用etc...
いろいろあって進みません(^^;)

それで・・今回の一般質問の主旨?

ご推察にお任せします。 (^_^)v  yeah !

聴いてね みてね

2010年12月25日 | Weblog
  まずは、これから・・ 1979年冬の深夜の新宿を思い出す、みんな聴き入っていたね。窓から見下ろす通りが
  泣いているようだった。忘れられない思い出だ。一緒に働き、共に飲み、共に語り合った。でも不思議だけど
  ケンカはしなかったね(^^)。

  You're Only Lonely 訳詞付

  おおっと、クリスマスだったね。

   All I Want For Chiristmas Is You 訳詞付

  僕がマライアの歌が大好きな頃の歌だ。オリジナルではないが。

 
   I'll Be There 訳詞付 - Mariah Carey

  
  Sound of Silence 訳詞付 - Gregorian Chants

  そして・・・今年最後の、1曲、聴いて歌詞を読んで欲しい(^_^)v

  ROSE 訳詞付 / Leanne Rimes   


  さて、映像、まず下記のリンクをクリックして一枚の写真を見てください。

  村の写真集

  なんかね、今まで観てきた映画の中で、一番希望をもらったような気がしたんだよな~(^_^)v

  映画は大好きで多く観る。でもいつも繰り返してみたくなる映画は何本もない。

  この映画は、繰り返して観たくなる映画だ。(^^)/

あれこれ~言いたい放題 5

2010年12月12日 | Weblog
きょうは午前中、義母の見舞いと洗濯物の処理で妻と十日町の中条病院へ。
入院させて頂いている中条病院には感謝の一言しかない。
週に1度中条病院に向かうが、最近は帰りにJA十日町に寄って、米粉のパンや野菜を買うのが
おきまりのコースとなった。
米粉のパンは人気があるようで、いつも買い求めるお客さんがいる。
この前は某新聞社の記者とおぼしき方が、パンを買い求める方にインタビューしたり写真撮影
をしていたことがあった。

家に帰ると、親戚の親父が訪ねてくれて、しばし、道の駅で話を伺う。
市が検討を進めている「直売所」の規模では、小さすぎて大きな集客は見込めないのではないか、
というご意見だ。JA塩沢にもそうした意見があるようだ。
また国道17号からの出入りも狭く不便なのでは・・というご意見だ。

全くご同感、旧塩沢町のお荷物の始末で申し訳ないが、「道の駅化」は、景観もよく一本道で、
あたりにこれといった施設もなく、絶好の「適地」なのだが、どうも今の構想では不十分な
ところは否定できない。
経営的な内容も含めて、もう少し検討を望みたいところだ。

思い出した話なのだが、市民の声をもうひとつ。
サルやハクビシンの農作物被害への対策やクマの出没対策で、是非取り組んで欲しいという話だ。
緩衝地帯を設けるといったらいいのか、今の杉林をブナやナラなどの広葉樹に植え替える事業に
取り組んだらどうか、と言う提案だ。

以前からある提案なのだが、そうした考えは市民の間で大きくなっているようだ。

事業化は難しい部分もあると思うが、大賛成です。

    

卯年大祭 9

2010年12月09日 | 卯年まつり
中之島や上田地区の各行政区は、いま卯年まつりの準備を進めている。
舞子大山組では、実行委員会を組織し、さらにその中に各担当の委員会があり、10の行政区から選出された
委員さんたちが、それぞれの担当分野での準備を進めている。

それだけではなくて、各行政区でも各々祭りの準備が進められている。
1999年大祭のとき、区の会計を仰せつかっていたので、祭りの役員の一人となったのだが、多くの仕事が
あり、けっこうたいへんな仕事だと思った。

本部の仕事、行政区内では「御神廻行列」全体の昼食休憩地になるのでその準備、祭り屋台の準備・笛太鼓の
練習、子ども神輿の準備、余興出演者の練習、他にも細々した準備がいくつもあり、ぞれぞれを担当する
方々や役員さんたちも、祭りが近づくと徐々に忙しくなる。
12年に一度なので、以前とは異なるところも出てくる。
例えば子ども神輿や祭り屋台は、少子化の影響を強く受けていて、人員不足状況。
行政区出身者や親戚にお願いして、中に入って頂くことも考えているようだ。
その時代に合った祭りの形が作られているわけで、検討する側も大変だと思う。

各行政区でのお祭り、そして大山組全体でのお祭り、2回をこなすのは大変だが、祭り当日が晴天で、始まって
しまえば、そんな苦労はどこかに飛んでいってしまい、心底みんなで12年に一度の祭りを祝い、楽しむ。

広報渉外委員会で、ある委員さんが言った言葉が、印象に残っている。
「見物に多く来てもらえることもありがたいが、是非祭りに入ってもらって楽しんでもらえるようにしたらいい。
一緒に騒いで、一緒に盛り上げてもらえたらありがたい。」

  写真は、1999年舞子大山組 論丸区の出発 (撮影 星俊夫氏)

 


新鮮・・言いたい放題 2

2010年12月06日 | Weblog
 議員バッジはエリートの証、・・・さて、どう使うのか?

昨年の市議会議員選挙で初当選された方々の「議会報告」が、この1年間でいくつか新聞折り込みされました。
何回も読み返し、個々の議員さんの個性や考え方が理解できて、とても頼もしく勉強させて頂きました。
特にみなさんの第1号は、気合いが入っているのでしょう。
自らの政治的なスタンディング・ポイントが明確で、わかりやすく思いました。
議員10年目を迎えた自分を省みると、とても勇気づけられるものです。感謝します。

やはり、なぜ政治を志したのか?
目的は何であったのか?

いつも、そうした観点で議員は考えるべきだし、支持される方々も何を目的として、個々の議員を選択したのか?

そんなことを、時々考えてみることがあってもいいのではないでしょうか?(^_^)v

26の議席があり、26の市民の声を代表している訳ですから、それはそれでいいのかもしれませんが・・。

明日から、12月定例会です。活発な議論の場になるように。低レベルなヤジがないように(^_^)v。

私は自身の「明確な政治目的」を、いつも考えながら議員活動を続行します。
(これもパフォーマンスかな?中身は何かって?・・・いつもここに書いてるでしょ(^^))


師走の青空

2010年12月05日 | Weblog
南魚沼に師走の澄んだ青空が広がった一日でした。

ご苦労様でした。良いコミュニケーションの機会に巡り会えて、ハピーです。
ありがとうございます。

ハイ、これから「坂の上の雲」をみます!

その前に、きょうの1曲で。

 

ブログについて

2010年12月04日 | Weblog
いつも拙い本ブログを読んで頂いてありがとうございます。

本ブログは、以下の12のカテゴリーに分類しています。(今のところ)

 デジブック(6) 
 Weblog(101)
 子育て・教育(73) 
 地域・まちづくり(66) 
 南魚沼市議会(61) 
 行政情報・行政改革(64) 
 卯年まつり(9) 
 産業振興(37) 
 大原運動公園(38) 
 医療・福祉(25)
 天地人(77)
 政治・社会(86

それぞれのカテゴリーのみをごらんになる場合は、画面右のカテゴリー欄のタイトルをクリックしてください。

また上の各カテゴリー・タイトルにもリンクを貼っておきました。

ここのところやや自制気味に書き込んでまして、時折我慢できずに暴走することもあります。(^^)

 運動公園と図書館だけが、市政の課題ではない。この二つは必要な施設であり、道具であり、戦力だ。
 3000人内野スタンドの公式サイズの野球場、規模から言えば「中途半端」の域は出ないが、これが委員会の結論だ。
 改修とか修繕とか、わけのわからない表現を用いることは理解できない。
 運動公園整備に賛成で、具体的にわからないなら、「適正規模の野球場」と言ったほうが良いのだ。(^_-)

卯年大祭 8

2010年12月04日 | 卯年まつり
卯年祭りの思い出 1975年(昭和50年)

このときは学生の頃で、ゴールデン・ウィークの帰省のとき、親戚のみなさんと見物した。
自分のこれまでの4回の卯年祭りの中では印象は薄い。
この年も当日は良い天気で、当坪池地区は祭りの行列の昼食休みの場所でもあり、本当に
大勢の祭りの行列の方々が神社にいたことを覚えている。
厳かに村の重鎮の方々に担がれる天照大神の神輿を近くで見た記憶も、稚児行列の美しさの
記憶もこの年からだ。
天狗やおかめ、ひょっとこのお面を被った方々が行列を先導していることも新鮮だった。
近所の同級生が神楽についていて、だいぶバテたように「きつい、きつい」と言っていた
のも記憶にある。

この舞子大山組の卯年祭りの行列の全体像をしっかり見たのがこの1975年だった。
家では長年床に伏せていた祖父が起き上がり、縁側から通り過ぎる祭りを楽しそうに見て
いたとの祖母の話だった。
祖父はこの年の秋、73年の生涯を終えた。
祖父にとっては6回目の卯年祭りだったわけだが、若い頃神楽人足で走り回ったことなど、
多くの思い出を語ってくれたものだった。

以前はは厄払いと言うことで、家の中に神楽に入ってもらうこともあったそうだ。
あの大きな獅子頭と数十人の若い衆が家の中を走り回る姿を想像すると、とても今の時代
では無理かなあと思う。高床式のつくりだと・・想像できないですね。(^^)

写真は、1999年舞子大山組 万条区の出発 (撮影 星俊夫氏)