南魚沼~わが故郷から~

四季折々姿を変える豊かな自然を次世代に
活き活きとした顔が溢れる元気なまちをつくろう

2011年を振り返って 8

2011年12月31日 | 地域・まちづくり
■ Handel 'Largo' - The London Symphony Orchestra

■ 2011年を振り返って

旧塩沢町議会から数えて11年目の議員活動となった2011年、所感を少し書いてみたいと思う。
「卯年まつり」「豪雨災害」、この二つが今年の大きな出来事であっただろうと思う。

舞子大山組の卯年大祭は、徒歩で10地区を一日かけてまわり、最後は御神山に地区の祭り屋台を担ぎ上げる。
みんなまつりに酔って苦しさなんて忘れているが、10地区みんなが集うまつりでしかできないことだろう。
これまでは役回りもあり途中からの参加で、全行程まつり行列の中で過ごしたのは、今回が初めてだった。
12年後もう70歳間近、全行程まわることができるかどうかわからないことを思うと貴重な経験をさせて頂いた。



「12年に一度の卯年まつり」、そのまつりの意味とともに常に変わらぬ「地域の絆」を確認し合い、次世代
に繋げていこうという地域のパワーが脈々と生き続けていることを、今回もみんなで証明した。
当地域に生きる者の一人として、誇らしく思えたし地域への思いも新たにすることができた、人生最高レベルの
勉強をさせて頂いたと感謝している。



                         



豪雨災害では、被害のあった地区の区長さんや区の役員の方々、県や市の皆さんと何度か農地や山の被災状況を
見て回った。
こんなにも広く奥が深いのか・・と、災害が教えてくれた当地域の姿をあらためて知ることができた。
何日にもわたり、けっこう苦しかったときもあったのだが、その時間がかけがえのない貴重な時間に思えたものだ。
私のような議員は、地域社会が原点であり、それを忘れては議員の資格はない。
あらためて原点に帰ること、そして現場主義の重要さを教えて頂いた。

来年はどんな一年になるのだろう。
辰年・・「昇竜」、天皇陛下のお言葉ではないが、平和と安寧と苦しくとも生きることが幸せと、みんなが実感
できる一年であってほしいと願っている。

酔い、いや、良いお年を!

(写真 10年前に当時の同僚の中沢さんから頂いた丸山スキー場の画像 魚沼盆地は広い)


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2011年を振り返って 7

2011年12月30日 | 卯年まつり
■ 卯年大祭 夏編 開催が心配だった  

 卯年に災厄が多かったのかどうかは判断はつかないが、当地区中之島、上田、石打地区(一部)には12年に一度の
 卯年祭が古くから行われており、なぜ卯年なのかと思うとおそらくそういうことなのだろう・・と思っていた。
 しかし、今年に限って言えば、まさにその通りの一年であった。
 東日本大震災、福島第一原発事故、長野県北部地震を受けて、春の中之島地区では祭の開催に揺れた。
 全地区こんな年だから祭はしっかりやろう、更に復興への願いもこめて沈んだ空気を明るくしよう等々の意見が大勢をしめて
 春に予定されていた全ての祭は行われた。
 夏の上田地区や石打地区も同じ流れになると思っていた。
 
 ところが夏の卯年大祭を半月前に控えて、これまで経験したことのない豪雨が当地を襲った。
 しかも開催地である上田地区や大沢地区は甚大な被害に見舞われてしまった。
 「本当に開催できるのだろうか?」心配になったものだった。

 そして8月のお盆を迎え、カメラを持ち出して、とにかく画像記録を残しておこう思い、いくつかの地区をまわった。
 三郎丸・早川、滝谷地区、上田地区、大沢、砂押、そして吉山・・全ての地区が盛大な祭になり盛り上がった。

 災害に見舞われたばかりで大変な時期だったが、「災厄を払い、一日も早い復興を成し遂げよう」そんな思い・熱気が
 溢れる夏の卯年大祭であった。


(三郎丸・早川地区 2つの神輿が威勢がよいこと!)
 

(吉山地区 2つの祭り屋台が練り歩く、村中で盛り上がっていた・・)
 

(滝谷地区 祭り屋台と神輿がきれいだった) 
 

(上田地区(15行政区)上田地区の特徴である大勢で担ぐ神輿、後から後から繰り出される神楽、凄い迫力だった)
 
 
 
 
 
(大沢地区 緑の中で鮮やかな祭り行列が印象的だった) 
 
 

(砂押地区 アットホームな雰囲気、暑い中だったが祭の盛り上がりはかなりのものだった)
 
 

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2011年を振り返って 6

2011年12月29日 | 豪雨災害
(2011.12.29 8:50 坪池にて)


               

朝は青空も広がったが、午後は曇っています。寒い一日です。

2011年を振り返る6回目、きょうは7月末の「新潟・福島」豪雨災害。

 → 豪雨災害 17

復旧事業は、多くは来年以降の実施になるようだ。
農地の復旧優先といっても、農地内の中小河川、農道・市道の復旧が進まないと手をつけられないと思う。
県と市は今年度並みの作付け面積を来年も確保したいとしている。
雪融けを待って復旧作業にとりかかることになると思うが、早い春がくることを願っている。

災害発生時から復旧対応まで、精力的に作業を進める県・市の職員や土木関連事業者のご苦労に感謝したい。
災害復旧事業は3年間が期限となるが、来年からが本当に本番だ。

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魚沼基幹病院(仮称)開院後の六日町病院

2011年12月25日 | 医療・福祉
■ 魚沼基幹病院(仮称)開院後の六日町病院

12月定例会の一般質問、市長の答弁の概要を報告する。

県立から市立へ移行する六日町病院はどうなるのか?
山形県置賜総合病院、長野県佐久総合病院など、地域の核となる総合病院が整備された後、そのサテライト的な機能や
二次医療を担う周辺病院が患者不足や医師不足に陥り存続が困難となるケースが発生している。
また一般市民の間には、患者サイドからの切実な課題として療養病床の確保や終末期医療、或いは不足気味なリハビリ
への対応などへのニーズが多い。

新たに市立病院となる六日町病院は、湯沢町も含め圏域5万人を抱える身近な病院として、どのような使命を担い、地域
医療を担っていくのか、それは単に行政や医療界や政界(議会?)に留まらず、市民を含めた大きな将来への課題である。

以下が市長の答弁概要である。

①魚沼基幹病院のサテライト病院としての機能

 120床という病床数は医師の間では経営上懸念する考えがある。経営シミュレーションでは経営可能と考えているが、
 今後の検討過程で若干の増減があるだろう。
 基幹病院のサテライト機能の中に、医師派遣、患者の紹介・逆紹介の連携、診療・検査 情報、健診情報の共有機能、
 紹介状の電子化や健診指導などを検討中、冬期にけが人の多い外科手術を重視するなど独自色も出したい。

②終末期医療(ホスピス機能)について

 高齢社会の進行によりホスピス機能の充実が求められることになる。
 在宅訪問医療や介護施設への医療支援を強化する。
 しかし、六日町病院では終末期医療を担う医療機関との連携を強化していくことを検討したい。

③療養病床について
 
 療養病床の不足により困っている市民が多いことは充分理解している。
 周辺の療養病床を持つ病院と調整しながら整備を進めたいと考えている。

④リハビリテーション機能について
 医師会からの要望も強く、回復期のリハビリテーション機能の充実を図りたい。

⑤市民の健康管理機能について
 市民の健康維持・病気予防機能として重要であり、保健・福祉と連携しながら体制づくりに努める。
 六日町病院に保健センターを設置するという考えもある。
 温泉を使ったリハビリも含めた医療も、特色あるものとして検討していきたい。

魚沼基幹病院(仮称)開院後は、救命救急をはじめ急性期患者は454床を有する基幹病院や脳外科、胸部外科等特化した機能を
有する斎藤記念病院が担うことになる。
しかし、療養病床に入れない患者の医療難民化を防ぐことや、介護施設からの受入や最後は地元でと考える患者とそれを望む家族、
そうした今後増加するであろう終末期患者を扱うホスピス機能の充実も大切だ。
リハビリ機能の充実や温浴施設を使った療法も六日町病院ならではの機能として実現してほしい課題。
市民の健康や医療、介護を扱う部署を六日町病院に入れて、総合的な保健・医療・福祉センター化していくことは、当然の課題
として取り組むべきだ。
市長の答弁には、納得すべき内容があったと判断している。
 
 (六日町病院)
 

■ 中島みゆき『ヘッドライト・テールライト』


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空と雪と・・きょうは青空・・3題

2011年12月24日 | Weblog
■ 大沢峠~十日町~八箇峠~六日町~塩沢Aコープ

 毎週、土曜日は義母が入院する十日町の病院にいきます。
 きょうは実母が入院する六日町の病院に用事があり、久しぶりに八箇峠を越えました。
 その折りの画像です。
 きょうも雪の予報でしたが、夕方まで晴れました。儲けものの一日でした。

 ・・・しかし、ブログ画面に映る画像は・・こんなものかな (^^;) 
 もっと画像のシャープさ、色合いの違いや濃淡、奥行き感は出ないのかな・・!!!
 ファイル容量を縮小しているのでしかたないが。16MBが484KBへ縮小だもんね(一番下の写真)。







             

■ チューリップ - サボテンの花

 「神田川」ではなく「サボテンの花」のほうが良かったな。
 歌詞のような経験はなくとも、なぜか心にしみてきた。
 1975年か76年の冬、いつものように大学の図書館のアルバイトが終わった後、Fくんと閉店間近のパチンコ屋さんに入った。
 そのとき初めて聴いた曲だ。(パチンコ屋さんに毎日行っていたわけでありません、念のため)
 「この歌知ってる?」「チューリップの『サボテンの花』 だよ」。
 「ああ、チューリップなんだ」、でパチンコは予定額を終了して(当時は500円も使えなかった)、勝てずに帰った。
 寒い冬の夜だった・・それだけの話。でも以来この曲はお気に入りの1曲になった。

■ 来年度一般会計、90兆円強・・100兆円まで届くのか? 税収は半分以下 

 社会保障費を一般会計から切り離す、そして選挙で選択される政府とは別の「社会保障政府」をつくる。
 厳格な資金管理と可能な社会保障(失業・障がい者福祉・高齢者福祉・医療・年金)を具体的に示し、実行する。
 税金とは別に徴収する保険料は、受ける保障内容に応じて負担すればよい。

 「低負担・高福祉」は無理でも、人間の尊厳・人間らしい生き方を保障すること、統治権力の最も重要な仕事だ。
 そして後は「働かせる努力と教育、そして仕事を用意する努力」と「国内の治安維持」「外交上の国家国土国民への安全保障」か。

 小渕内閣があれだけ政府の借金を膨らませても、使ったそのお金は貯蓄へと向かい、消費には向かわなかった。
 企業も個人もだ。
 「円高維持への戦略・デフレ誘導」にまんまとはまったわけだ。小渕政権の前の橋元政権、そしてその後の小泉政権のおかげだ。
 そして円高が進むほど、ドル安政策の米国への資金環流は進む。
 円高対策の為替介入で膨大な円を売り、ドルを買う、そして残ったドルは使い途が無く米国債に向かう。
 その米国債も円高の進行でどんどん割安になる。

 「大丈夫、日本はつぶれない。」と言い、「老朽化した社会資本の再生のために、公共投資を計画的に進める。内需拡大だ。
 通貨供給を増大し、国民の家計を豊かにする。だから消費せよ。それがデフレ脱却とインフレ効果につながり、円安誘導となり、
 輸出産業の牽引となる。」と続ける。

 為替介入でドルを買うためにおそらく21世紀になってから20兆円、それ以上使っているのではないか?
 そのお金は公共投資にまわして、国民のために使ってほしい。震災復旧も遅々として進んでいないじゃないか・・(^^;)。

 西田昌司氏のような政治家に期待している。以上氏をはじめ三橋貴明氏、神野直彦氏他、何人かの方々の受け売りでした・・m(_ _)m)
 もっとも、自分もそれが正しいと思っているので書く訳なのだが。

そうそう今日はイブでした。忘れてましたね。(^^;) 好きなクリスマス・ソングを2曲。
■ Queen - Thank God It's Christmas 

■ John Lennon - Happy Xmas (War Is Over)

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天皇誕生日

2011年12月23日 | Weblog
今上天皇78歳の御誕生日を心からご祝福し、日本国・日本国民の支えとして、ご長寿を願いたいと思う。

今朝8時15分からNHK総合テレビで放映された特番、東日本大震災に見舞われた地域を廻る天皇・皇后両陛下の
被災者を思う数々のエピソードに深く感動した。
両陛下並びに皇太子夫妻、秋篠宮夫妻、・・皇室の存在をあらためて考えさせて頂いた。

統治権力の遙か上位に存在する権威、一千年以上にわたる皇室の権威は、今「本来あるべき、あってほしい姿」なのではないか。
そんなふうにも思えたのだ。
「平和と安寧を願い、決して豊かではなくともお互いを思い合い、懸命に生きること、それが日本人・日本社会のあるべき姿」と。
天皇家の方々は、あらためて教えてくれた。一国民としてパワーを頂きました。

さて、きょう「頂いたパワーを『どこに向けるか』、新年の課題としておこう。」(^_^)v

年齢を重ねる毎に皇室への思いは変わる。
・・・なぜか、安心感を覚えるこのごろだ。

■ 中島みゆき『ヘッドライト・テールライト』

 同じ中島みゆきさんの「時代」よりも『時代』を感じさせてくれる。
 聴く度に・・・、重いけれど、元気になれる曲です。(^_^)

■ 金沢駅

一昨日ときのう福井県にいた。腰の治療だった。
おかげで、帰途金沢駅に途中下車した。あいにく雨で遠くには行けず、広大な駅の中や周辺を雨の中歩き回った約2時間。
2日前までは5mも歩けば痛くて動けなかったのだが、治療後のきのうは2時間歩き回ってもなんともなかった。信じられん。
いろいろと面倒をみてくれた議員のSi・Hや「○△に行ってみたらどうですか」(そこには行かなかったが)と声をかけてくれた
同じく議員のTo・SとTo・N、地元の先輩Sh・K、Mi・K、友人のTe・T、そして外谷さんに感謝したい、サンクス。m(_ _)m

(写真 金沢駅とその周辺)


(写真 駅構内 地元産品や飲食店が軒を並べる)


(写真 駅構内 幼児の休憩施設、障がい者施設で製作されたグッズが並ぶ、大きなカップを二つ買いました。そして反対側出口)



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2011年を振り返って 4

2011年12月11日 | Weblog
きょうが4回目、3月になるわけだが、なぜか写真がほとんどない。

今年の3月といえば11日午後発生した東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故につきるだろう。
折しも3月定例会開催時であり、急遽会議を中止し延会、そして市役所では当地の被災状況確認に入った。
そして帰宅し、テレビ画面から流れてきたのは信じられない光景だった。
大津波は東北地方太平洋岸のほとんどの地域を壊滅させた。
伝えられる犠牲者、行方不明者の数は時間とともに増加、2万人を越えた。
未曾有という言葉を使うのが正しいのかどうか判断がつかないが、少なくとも伝え聞く日本を襲った自然災害では
最大であろう。

翌日12日3時半、真っ暗な中で携帯電話の地震予報が鳴ると同時に当地でも大きな揺れを感じた。
震源がどこなのかテレビをつける間もなく、妻と着替えて飛び出した。
中之島地域全体をまわりほとんど被害がなかったことを確認し、中之島小学校に6時前頃につくと、先生方は既に出勤し
情報収集に努めておられた。
住民の避難が必要になれば避難所としての機能を果たさねばならない場所だ。
余震に気を使いながら、「待機を続けます」という校長先生の話だった。
大木六保育園、舞子保育園にも園長先生はじめ保育士さんが待機されていたし、まいこ園も職員の方々が集まっていた。
塩沢市民センターでは、市職員がパトロール、情報収集を行いながら、一部地区小学校への避難者の対応等に追われていた。

そしてこの3月11日と12日早朝の地震を境に、当市の状況も変わった。
積雪量も多く期待していた各スキー場は営業中止、そしていつまた来るかわからない地震や福島第一原発の影響を心配
する中で雪融けを待つことになる。
東北地方への支援は、いち早く市は2億円近い補正予算対応をして、現地への人・モノの供給や避難者の受入を始めたし、
社会福祉協議会は復旧支援ボランティアに取り組んだ。
そうした中、決して軽微ではなかった栄村・津南町を中心とした地震は当地の配慮(頭下がります)もあり、あまり表面に
出ることはなかったように思う。

・・以上、3月。

(これしかない ・・ 3月の写真、大沢山のカモシカと市歌碑)


■ 長渕剛 松島基地 自衛隊員激励ライブ.wmv
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初雪

2011年12月09日 | Weblog
■ 平地に初雪 

 すぐに溶けてしまったが、今年初めて平地まで雪が届いた。



 (舞子高原 大原地区、運動公園管理棟 きょうは朝から雪囲い作業中だった)


 (スキー場も白くなった、開業にはもう少し。舞子のマンション・・名前は・・?)


■ 救急医療情報キット配布事業

 高齢者や独居世帯に配布、かかりつけ医」「薬剤情報」「持病」などの医療情報を記載した用紙や必要に応じて「診察券(写)」
 「健康保険証(写)」などの情報を専用の容器にいれ、自宅の冷蔵庫に保管することで、万一の救急時に備えるものです。
 ・・・という事業とのこと。

 → むつ市救急医療情報キット配布事業

 多くの市町村で行われているが、国県の指導でもあるのだろうか?
 高齢者世帯が増加しているのは南魚沼市も同様、議会の一般質問で取り上げる議員もいるでしょうね。
 南魚沼市も、たぶん取り組むでしょう。

■ 長渕剛 航空自衛隊松島基地 隊員激励ライブ_乾杯
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2011年を振り返って 3

2011年12月08日 | 地域・まちづくり
■ 2月 春間近 牧之通り 雪譜まつり

毎年2月の第3土曜日、塩沢で開催される雪譜まつり、別名 ろうそくまつり(知人談)。
牧之通り完成後は、牧之記念館前のふれあい広場を会場に開かれている。
以前の公民館グランドのほうが広く幽玄な独特の雰囲気はあったように思える。

ことしは天気が良かったこともあり、牧之通りから会場まで春間近の雪国の風情を楽しむことができた。
通りにたてられた雪灯籠もフンイキありますね。







■ 長渕剛 航空自衛隊松島基地 隊員激励ライブ_乾杯

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■ Paul Mauriat 「黒いワシ」 L'aigle Noir

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南魚沼市議会 12月定例会 2

2011年12月07日 | 医療・福祉
きのう初日の経過について。
注目4議案は全て全会一致賛成という結果でした。

きょうは一般質問通告の締め切り日。
下記の内容で通告します。

■魚沼基幹病院開院以降の南魚沼市立六日町病院のあり方について

高度医療、救命救急医療を担う魚沼基幹病院開院以降の六日町病院のあり方について、現在必要とされる地域医療の
観点から、次のように考える。
①過度な施設・設備を必要とせず、多くの医師を必要としない、市民の日常の健康管理を担う身近な病院であること。
 
 基幹病院のサテライト機能を重視、更に南魚沼市民の健康状態のデータベースを持ち、基幹病院との連携が的確に
 できる病院であること。
 
②地域医療で必要とされる終末期医療を担う病院であること。
 常に待機者400名を越える特別養護老人ホーム、グループ・ホームの終末期利用者や末期ガンのような終末期医療を
 要する患者のホスピス機能を持つ病院であること。

③回復期・生活期リハビリテーションを担う病院であること。

④療養病床を相当数保有する病院であること。
 平成18年法改正により、医療病床数が減少されている状況であるが、療養病床を相当数確保し、急性期を脱した
 患者の受入と季節的な入院等が可能な病院であること。

⑤市民の健康維持・病気予防に寄与する機能を有すること。
 ・健康相談・指導
 ・軽度の運動機器・温浴等の設備
  
市立病院に移行する六日町病院に関して、市長の考えを問う。

   

2次医療を堅実に行い、南魚沼地域南部半分の総合的な医療拠点を目指す病院とすべきと考えた時期もあったが、
基幹病院を軸とした地域医療の現実的で持続可能なカタチを考えると、基幹病院のサテライト機能優先で、多くの
医師を必要としない、コストのかからない病院であるべきとの考えに落ち着いた。
むろん、山形県置賜総合病院、長野県佐久総合病院開院後の周辺病院の動向なども調査した上で。

終末期医療やリハビリ、療養病床に特化した病院が成立するかどうかについては、実は調査不足なのだが、地域
医療に留まらず全国的な課題であることに着目。
現実に急性期を脱し(?)、3ヶ月の入院期間を経た患者に対して退院を求めるという話は多く聴く。
終末期医療については、末期ガンなどの疾病の終末期、そして医療行為のできないグループ・ホームや特養施設
利用者の末期医療を担うホスピス機能を持つ病院がこの地域にはなく、ニーズも高いと思う故。
但し法制度上の規制により、実現可能かどうかは ?
だが、必要とされる医療は提供されねばならない。
等々・・。

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2011年を振り返って 2

2011年12月05日 | Weblog
■ 2月 南魚沼雪まつり
2月といえば冬の行事が真っ盛り。
きょうは、「南魚沼雪祭り」、初日は雪の降る寒い夕方でした。
ステージに並んだ面々もだいぶ寒そうでしたが、例年通りの多くの人で盛況な雪祭りでした。

数カ所に設置されたかがり火が雪国の風情を醸し出しています。提灯を持って昔ながらの雪国のいでたちで登場する子どもたち。


ステージでのまつりの開会行事、ステージに立つ方も見る方も寒そうだ。・・実際かなり寒く感じましたね。


通りで見下ろす景勝像、雪を被ってますが眼光は・・・。伊勢町神社の風景、ピンぼけなのですが、なんとも暖かみを感じる一枚、全体の情景が
なんとなく伝わってくるようで、気に入っています。


■ 長渕剛 航空自衛隊松島基地 隊員激励ライブ_乾杯

■ ドリカム その先へ 東日本大震災 被災者皆様へ


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