南魚沼~わが故郷から~

四季折々姿を変える豊かな自然を次世代に
活き活きとした顔が溢れる元気なまちをつくろう

天地人 最終回 「愛を掲げよ」

2009年11月22日 | 天地人

演出 片岡敬司

NHK大河ドラマ・ストーリーの「天地人」完結編で、チーフ・プロデューサーを務められた
内藤愼介氏の「『天・地・人』に恵まれて」と題された文章に次のように書かれている部分がある。

2009年という「天の時」に、直江兼続という人物に出会えたことそのものが、一つの幸運でした。
歴史的に見ると決して華々しい戦果ををあげたわけではない彼は、従来の大河ドラマでは決して
メインに据えられる人物ではなかったはずです。
しかし彼の生き方は、利益追求の結果生まれたひずみへの反省を迫られている現代人にとって、
確かな指針を示していました。
歴史は勝者だけのものではない、負けた側の思いの上に成り立っているものなのだということを
教えてくれました。
・・・この言葉がドラマとしての「天地人」のテーマであるように思える。
それは、今回・最終回に凝縮されている。

賛否両論、史実と違う等々あると思う「兼続と家康、秀忠、政宗との関わり」なのだが、脚本の説得力は強い。
それは敗者(かもしれない)の論理である「義」と「愛」が、実は普遍的なものであることを描き出し、
最後には、武力に寄らずに、家康を打ち負かしてしまう。爽快!

景勝が新たな謙信公の亡骸の安置場所として選んだ岩屋での兼続・景勝の会話から始まるラストの
20数分、淡々と穏やかに、美しく流れる展開は、その脚本の意味を時折考えさせながら、回想シーン
の懐かしさと共に爽やかで大きな感動を与えてくれた。

八海山中腹での息子景勝の位牌を抱いて兼続「失ったものは多かった。されどわしは、何も残せなか
ったとは思わぬぞ。すべて心に刻まれておる。この目に姿は見えずとも、心に息づく者たちが、わし
らをここまで導いてくれた。」

お船と紅葉をみながら庭での兼続「・・わしは紅葉になれたかの」
お船「我が命を捨て、大切なものを守り抜く。おまえ様は、まさしく紅葉でございました。
だからこそ、景明もおまえ様にならおうとしたのでしょう」
兼続「まことさようならば、すべては皆のおかげよ・・。皆に支えられたからこそ、ここまでこられた」

関ヶ原以降の兼続・お船の生涯は、相次ぐこども達の死があり、決して幸福なものではなかっただろう。
米沢移封という逆境の中でもあったわけだが、そこで発揮された領国経営の才が兼続夫婦を偉人として
歴史に刻みこんだことを思うと、歴史が負けた側の思いの上に成り立っているといえるのかもしれない。

兼続の生涯は60年で終わったわけだが、自分もその年齢に近づいていることを思うと、
「自分の人生は多くのひとたちのおかげで、こここまできた」という思いは、なぜか共感を覚え、
胸にくるものがある。

これで終わりかと思うと寂しくなるが、11ヶ月の長い間、充分に楽しませてもらった。
最後まで兼続を育んだ南魚沼が画面に登場したのも嬉しかった。
総集編を楽しみに待ちたい。

最終回のMVPは、兼続・お船夫婦にしておきます。

愛・天地人博 入場者数40万人突破

2009年11月19日 | 天地人
1月11日オープンしてから310日目くらいになるのだろうか、愛・天地人博の入場者が40万人を
突破したことが17日、市のウェブサイトで報じられた。
当初の目標が20万人であったことを考えると、倍以上の入場者をお迎えしたことになる。
率直に喜びたいと思うし、スタッフの方々のご苦労に感謝申し上げたい。

冬から春夏そして秋と、南魚沼を訪れて頂いた方々の南魚沼の印象はどうだったのだろうか?
気になるところだ。
南魚沼に魅力を感じて。これからも訪れて頂きたいとスタッフや観光関係者だけでなく、多くの
市民が期待していると思う。

gooの「お嫁に行きたい!」と思う武将ランキングで直江兼続が第1位、兼続の名前は「天地人」で
しっかりと女性層へ浸透したようだ。
アフター「天地人」のターゲットは女性か?

南魚沼版 愛・天地人博はまだまだ続きます。

天地人 第46回 「大阪城炎上」

2009年11月15日 | 天地人
    最後の戦い

タイトルの割に淡々と進む展開だが、淀の方や秀頼の最後が潔く、そして美しい。
真田幸村を上手に使った脚本、家康をこれだけ悪役に仕立て上げてくるのも面白い。

今回のMVPは、真田幸村
 無骨なまでに義を貫き、約束を守る生き方は、単純すぎる描き方にもかかわらず胸を打つ。
 上杉家に人質として来た若い日の幸村が、懐かしく思い出される。

第2位 淀の方
 千の方を幸村に託す場面での、豊臣は慈悲の心を持って天下人となる(と言ったと思うのだが)
 というセリフ、そして幸村にあの世で会おうぞ、と自刃していく姿が清々しく印象に残った。

第3位 千の方
 家康を恐れていないのは、この孫の姫様だけか・・。
 千姫をこれだけ活躍させたドラマはあまりないと思うのと、こうした描き方は新鮮で良いと思った。
 実家の野心家の爺様よりも、愛する夫やその姑を思う心は印象に残った。

米沢から駿府、そして京、大坂と多忙な兼続、大河の主役はいずれも多忙でどこにも姿を現して
いたな・・と、昨年の篤姫や一昨年の山本勘助、「利家とまつ」のまつ様を思い出してしまった。
戦の勝ち負けは、武力の差であったり、時の運であるかも知れないが、負けても、義と仁愛を貫く
ことも勝利であると教えてくれるようだ。

さて、来週は遂に最終回 第47回 「愛を掲げよ」。
お船と里帰り、故郷上田庄を訪れ、八海山に登る二人の心に浮かぶものは・・。



天皇陛下御在位20周年

2009年11月12日 | Weblog
本ブログごときに天皇陛下の話題を書くことには気が引けるが・・。
今日12日、天皇陛下御在位20周年記念行事が政府主催に行われている。
心からお喜び申し上げたいと思う。
またこれからも天皇皇后陛下ともに健やかにお過ごし願いたいと思う。

PS・・郵便局で記念切手シートを購入しました。
    2種類あります。使わずに大事にとっておきます。




天地人 第45回 「大阪の陣へ」

2009年11月08日 | 天地人
大河「天地人」も今回を含めて、あと3回を残すのみとなった。

「怒れ 怒れ 怒れ」・・投げやりなフレーズがサブ・タイトルの今回。
              演出 野田雄介

少し皮肉っぽくいうと、徳川家が豊臣家から権力を奪い取ることが決定的な展開の中で、上杉家が
米沢30万石への移封受け入れた段階で、上杉が徳川に従う事は決定的で、今さら豊臣か上杉か、という
段階ではない。
もっと前をみれば、上杉が豊臣秀吉への服従を決めた段階で、既に上杉の進む道は決まっていた。
上杉景勝の考えは、武力をもって天下を平定するという考えよりも、自らの領地・領民を守ること、
それが「第一義」だったのだろうということだ。
史実がどうかはわからないが、もはや謙信と信玄が川中島で争ったような時代は終わっているので、
この考えは賢明だと思える。

さて今回のMVPは、仙桃院(仙洞院)。
 なぜか今回は、仙桃院の臨終のシーンで、景勝や兼続、お船に残した言葉に感動した。
 我が子景勝と兼続を結びつけたのがこの人であったし、景勝の上杉家継承を謙信の遺言としたのも
 この人であった。
 ドラマの重要な部分で、常に仙桃院が絡んでいたことを改めて思った。

第2位 高台院
 淀の方に、豊臣家を残すために徳川家康に従うよう諭すシーンは印象的だった。
 富司純子さんの演技が素晴らしかったと思う。

第3位 徳川家康
 松方弘樹さんの演じる徳川家康は本当に毎回楽しませてくれる。
 同じくブラック遠山康光との「国家安康」「君臣豊楽」の意味を巡るやり取りや、それを大阪城を
 攻める口実にしようと転げ回って喜ぶあたり、楽しませてくれます。

 最終回には、また八海山も画面にそびえる。
 
その前に 第46回 「大阪城炎上」を楽しもう。

天地人 第44回 「哀しみの花嫁」

2009年11月01日 | 天地人
「絆とは相手に何をしてあげられるかを思い続けること」・・お船

直江家は長女お松の婿養子として、本多正信の次男政重(勝吉)を迎える。
直江家を徳川の重臣本多家に差し出すとともに、上杉家中や米沢の状況を徳川家にさらすことでもある。
兼続の「愛」が、領国の民を守りぬくという使命に全て注ぎ込まれているという証を示すことでもある。

今回のストーリー展開は絶妙、長女お松の人生の儚さを描きながら、上杉家・兼続の米沢の民を守ると
いう国作りを主体に、鉄砲の製造を進めるというしたたかな一面をも描いてみせる。

今回のMVP   お松
 長女お松の薄幸で短命な人生の描写は、その勝吉や父母への純粋な思いと共に、感動させてくれた。
 病気をおして夫勝吉のために小袖を縫い続け、幸せだったと言い残して逝く展開は涙をさそう。
 毒が入っていないかと不安がる勝吉の酒を自ら飲み干して、勝吉を安心させようとした祝言のシーンも
 良かったと思う。

第2位 勝吉(本多政重)
 兼続の、米沢に残り直江家に留まる願い、を聞き入れた勝吉が第2位。

第3位 直江兼続
 治水や産業の振興を進める兼続だが、しっかりと領国の防衛にも力を注ぐ。
 天下国家よりも領民のために働くことに、自らの運命を見いだしたようだ。
 いきなり来訪した政宗が生まれ故郷である米沢の変貌を目の当たりにして、兼続らの国作りを
 誉めた言葉に進むべき道を見いだした。
 政宗が送ることを約束した米沢の治水をよく知る者とは、政宗自らのことだったところも面白かった。
 
さて来週は 第45回 「大阪の陣へ」
 豊臣攻めへの家康の出陣の命に対する上杉の答えは・・。