南魚沼~わが故郷から~

四季折々姿を変える豊かな自然を次世代に
活き活きとした顔が溢れる元気なまちをつくろう

卯年大祭 15

2011年01月30日 | 卯年まつり
舞子大山組の卯年大祭 5月4日のタイムスケジュールは確認出来次第、本ブログでお知らせします。

本ブログでは、写真家 星俊夫氏が1999年大祭を撮影、発行された写真集の中から、同氏の承諾を頂いて掲載しています。
きょうは、いくつかまとめて紹介致します。

■万条新田 食事処 薬師 駐車場にて休憩




■万条新田 神楽




■万条新田




■同じく万条新田




■大原区




■大原区 

        


アーカイブ

1月27日(雪)

2011年01月27日 | Weblog
■朝起きて雪片付け、昨夜から20cm近い雪が積もった。
 朝はやんでいる。たいしたことない。
 今年はいつもは雪の多い湯沢町のほうがこちらより少ないそうだ。
 昨日、「湯沢町・南魚沼市議会議員協議会 評議員会」が、南魚沼市役所で開催。
 湯沢町の議員のみなさんから話を伺った。
 スキー客の入れ込み状況は芳しくない話もあった。

■湯沢町・南魚沼市議会議員協議会 評議員会
 昨日南魚沼市役所で開催。
 平成23年度事業案、予算案が示された。

 同会の目的「この会は、地方自治の円滑なる運営と地方自治の拡充強化を図るため、湯沢町、南魚沼市の
 議会議員が情報を共有してさらなる連携を図るほか、国、県への要望や提言などを協議し、両市町での議会
 での円滑な議会活動を推進することを目的とする。」
 会の運営は各議員の年会費と両市町の負担金で運営される。
 
 年に1回の総会、数回の評議員会、国県への要望などが主な事業だが、湯沢町の評議員から、議員個々の費用
 負担で情報交換会の開催の提案があり、事務局を中心に検討していくこととなった。良い案だ。

■夜新年会・・といっても気心の知れた4人だけの新年会
 観光交流拠点整備(今泉博物館道の駅)、大原運動公園等が主な話題。
 前者は期待もあり、どうなるか関心が高い。後者は反対派のチラシ等に食傷気味、しかし期待は大きい。
 4月の県議選にも話が及んだ。無投票で現職二人で決まりとのみかた・・。
 でも出馬意向のある方もいるようで、選挙になるかどうかはわからないという話も出た。

■きょう、明日と2日間にわたる社会厚生委員会
 主要調査内容は、病院・診療所及び地域医療について

■きょうの1曲

  仕事の前に精神の癒しと集中を・・ゆったりして眠くなるかもしれないが・・。

  ヘンデル アリア  

2011年01月26日~勇気がいる~

2011年01月26日 | Weblog
毎日天気予報には雪だるまが並んでいるのだが、当地では小康状態、積雪は増えていない。
道路脇には150cm以上の積雪があり、道路の出入りの際見通しが悪く危険だ。
国道は排雪作業が始まり、ありがたいことだと思う。
多少の渋滞は発生するが、我慢我慢というところか。

25日は会派のクラブ会、1時間ばかり話し合った。
議会改革や会派の今後の活動についても話した。
昨年実施した会派の「議会報告会」は、今年も実施する方向で話し合った。
これから内容や開催数など具体的な検討を進める。

昨夜は保守系三派の合同新年会があった。
久しぶりに他の二会派のみなさんとコミニュケーションができた。
本ブログを読んで頂いている方もいて、ご意見を頂けたのは有り難かった。
賛否両論頂いたわけだが、そうしたご助言を今後に役立てていきたいと思っている。
衆目の中に自分の考えを書いていくことは、怖くもあるが書きたくもあり、書くべきと思うこともあり、
書かない方がよいと思うこともあり、いろいろ考えるわけで勇気がいる。
やや開き直りの状態でないと続けられない。

(以下、書き足し)
ブログに考えを書くことは、実際の議員活動にもプラスに働く部分も多い。
そう書いた(そう言った)以上は、議員活動で実践しなくてはならないわけで、自分を追い込んでいく
意味もあるからだ。
もう議員を10年もさせて頂いていると、ハッキリ言った方が良いと思うようになったこともある。
目の前にある課題に対して正面から考え、率直に意見を述べる事は議員としての責務だろう。
別に一人で粋がっているという思いもない。パフォーマンスでもない。目立とうとも思っていない。
ただ自分でそう思っても会派の仲間などと議論しているうちに、少し変わっていくこともある。
実際の議場での議案や意見書などの採決の場では、ここで書いたことと矛盾した判断をすることもある。
変わることもあるし、個人の考え以上の大きな判断を要求される場合もあるということだ。

「なんだその程度か」と言われることも有り難いし、きちんと「こう考える」というコメントも期待している。
間違いがあったら指摘してもらいたいとも思う。
このブログも議員をさせて頂いている間だけのものでもある。
限りある議員生活を無駄にしたくないという思いで続けている。

■きょうの1曲

  曲を聴きながら、元気を出してください。

 エルガー 威風堂々

「何をするか」ではなく「ポストが何を言ったか」

2011年01月17日 | Weblog
■きょうは、政務調査の3回目「多治見市市政基本条例」の報告の予定だったのですが、まだまとまっていないので・・「言いたい放題」
 でいきます。

 昨日今日あたりは、積雪も多く雪かたづけが大変でした。
 屋根の雪下ろしをすることはずいぶん前になくなりましたが、屋根から落ちた雪や道路際の雪かたづけもけっこう大変です。
 今のところ、けっこう楽しんでやってますが、ずっと雪が降り続くと嫌になりますね。
 きれいに除雪された道路を走っていると、ふと思うのですが、道路除雪は当地のような積雪の多い地域では、欠かすことのできない
 公共の仕事だと思うのですが、道路が増えれば除雪作業は必要になるわけで、そのための費用も多くなります。
 道路整備の地域要望は、国県市、多くあるのですが・・。
 消雪パイプ道路で、道路上に積もった雪を何とかして欲しい、という要望を聴くことがありますが、例えば道路に面したお宅の方が、
 或いは地区の方々の交代での作業などで対応できれば、それだけ公共支出は削減できるのではないか。
 道路改修や消雪パイプの改良をしなくとも、ちょっとした地域の力で快適な道路環境を維持することができるのではないか。

■社会資本整備と産業振興
 
 社会資本の整備は公共の課題です。住民福祉の向上・・安心安全快適な住民生活環境の整備、教育、医療、福祉環境の整備が目的です。
 それが産業インフラになることも期待できるでしょう。しかし、あくまで「期待」です。
 本来産業振興は民間の事業領域であるはずです。
 微妙なのは、医療・福祉施設・地域振興施設の整備です。
 どこまでが、税金を投入すべき領域なのか? きちんと線を引くべきだと思います・・・。(^_-)
 施設使用が営利目的、もしくは経営利益で運営されることが期待される、経営利益で運営されるべき施設は、本来民間の領域と言っていいと思いませんか?
 一概に線引きするのは難しいかもしれませんが、「税金投入の限界」という意味で、考えることは大切と思っています。

■市民目線・・

 「市民目線」という言葉を最近よく聴く。
 意図するところは、一般市民の立場や考え方に立ってということなのだろうと思う。
 しかし、一般市民の立場や考え方と言っても、曖昧でよくわからない。
 十人十色で、仕事も違うし生き方、考え方等々、同じなどと言うことはありえない。
 みんなが、ものごとに同じ価値観を共有しているとも思えない。
 「市民目線で・・・」という言い方をする人に出会ったとき、こう思うようにしている。
 この人は、とても奥ゆかしくて「私の考えでは・・」と表現することが出来ないのだと。
 でも、それはみかたを変えると、人のせいにしているようで無責任にも思えるのだが・・。

 イメージとして共感を呼びたいということかな? 

■きょうの1曲
 
 Daniel Santacruz Ensemble - Soleado.

1月11日(火)

2011年01月11日 | Weblog
きょうは朝8時40分に市役所到着、方針変更で午前中は市役所、市民会館、午後は来客と2時間市政その他について
話し、その後買いものと夕飯の支度、実に有意義な一日であった!
ちなみにきょうの夕飯はカレー、業務用のバーモントカレーを使用、家族はうまいと言ったのだが、当の私は良い
出来ではないと思った。やはり「こくまろ」か「ジャワカレー」の辛口がよいと・・思ってしまった。ニンニクたっぷりで。

さて余計な話はさておいて、出歩くものです、話を聴くものです。かなり重要そしてためになるお話を数多く頂戴致しました。
早速、ご期待に添えるかどうかわからないが、戦略構想に着手します。
何のことかは、ここでは書けませんが・・・。(^_-)

議会事務局で、2月1日発行予定の「議会たより」の一般質問、私の欄の写真をお届け致しました。
明日の委員会(私は欠席)でボツになる可能性もあるかと思うので、下記に掲載します。

 

 写真タイトルは 「どうなる、これで良いのか?兼続!」。

 自分への悲哀もこめているのだが、皮肉です・・・たまには、いいでしょ。
 蛇足ですが、運動公園サッカー・野球、図書館等々には大賛成です。「将来のために期待」しています。
 そんなものではない、もっと大きく、多くのことに対してかな?
 そんな皮肉の象徴ですね、この兼続さん。良くも悪くも大傑作です。(^^)

■きょうの1曲pus1

 ふるさと  童謡唱歌

 昨年秋からカラオケで歌う番が回ってくると、この歌を唱うように心がけている。
 好きな歌なので、歌えるうちに歌おうと思って。(^^;)

Boys Town Gang - Can't Take My Eyes Off Of You - Andy Warhol - Lyrics - Full Version  

上記1曲は後日、議員のブログとして不謹慎と判断したら消去します。きょうは残しておきます。
 いつかどこかで聴いたことのある曲、希代の(?)芸術家アンディ・ウォーホルのポップアートを配した楽しい画像と共に。
 元気出していきましょう!

1月8日

2011年01月08日 | Weblog
新年が明けて8日目ともなると、いつもの日常が帰ってきて、いつもの生活に戻っているわけである。

正月とかお盆休みやゴールデン・ウィークの連休で、世の中のたいていの人が休むときは気が楽なのである。
土日はともかくウィーク・デーは少々きつい。
議会や行政関連の会議や行事があるとき等々、予定の入っている日は良いが、そうではない日はどうしようか、
ということになる。自分で予定を決めて行動することになる。
もとより事務所を持てるほどの財政状況でもなく、ひっきりなしに人が訪ねて来るわけでもない。
「たまには話に来ませんか」などという電話がくると、喜び勇んで出かけていく。
たまたま用事で訪問したときに、「話を聞かせてもらえんか」と声をかけて頂くと、これはもう心底嬉しく
なってしまう。

冬は出かけるのも億劫になるし、出かけても寒い中訪ねられて迷惑なこともあるだろうと、充電期間と思うこと
にしている。
買っても読んでいない本が山ほどあるし、読みかけや二度三度と読みたくなる本もある。
自分にとってためになると思う本は、実は1回読んだくらいでは、ほとんど頭に入っていない。
付箋をこまめにつけて、気が付いたら読み返すので良いので、最近そうしている。
小説などは最後まで読まねばならないが、他の本は読むべき部分、読みたい部分だけ読めば良いとも思っている。
大事なことは、いつも手もとにあって、いつでも引っ張り出せるということだろうか。

いわゆる地方分権一括法が成立した00年前後は、地方自治やまちづくりなどに関する本が多く刊行された。
多くは絶版となっていて、今は手に入らないものも多い。
行政改革関連の本もこの頃から数年間、とても多く刊行された。
買っておいて良かったな・・などと思いながら、新たな気持ちでページをめくっている。

電子書籍に期待したいことは、端末機器や読むためのソフトの規格の統一はもちろんだが、紙ではないので
データベース化して、売れても売れなくても絶版にはしないでほしいことだ。
もう一つは、紙ではないので値段を安く、再販価格もなくしてほしいことだ。
しかし、電子書籍が一般的になると、書籍関係の流通業はどうなるんだろう?
今でも上京した時にはよく行く神田の古本屋さんは、存在意義を失ってしまうかもしれない・・?????

話を戻して、いつもの日常大歓迎、充電重視でしばらく過ごそうと思っている。

蛇足だが、7日新聞折り込みした議会報告に対する反応は1件もない・・寂しくなる。元気だそう。

■きょうの1曲

  ドヴォルザーク 交響曲第九番「新世界より」第二楽章・・

 Dvorak Symphony No. 9 "From the New World" 2nd movement

 

卯年大祭 14

2011年01月06日 | 卯年まつり
卯年大祭について新たな情報が入り次第、本ブログで報告していきます。
舞子大山組関連の内容が大部分になりますが、ご容赦ください。
中之島地区の卯年大祭は、上田地区、石打地区と同じように、多くが各集落単位で開催されます。
各集落の開催予定を再掲します。

●大里  4月23日(土)本祭り
●大木六 4月23日(土)前夜祭  4月24日(日)本祭り
●仙石・柄沢 4月28日(木)前夜祭  4月29日(金)本祭り
●中野  4月29日(金)前夜祭  4月30日(土)本祭り
●古川  5月 1日(日)本祭り
●八竜  5月 2日(月)本祭り
●舞子大山組
  5月3日(火)前夜祭、各集落単位で祭り開催  
  5月4日(水)卯年式年御神渡幸御大祭
  5月5日(木)卯年大祭奉納余興
●小木六 8月14日(日)前夜祭  8月15日(月)本祭り
●吉山 8月15日(月)本祭り

 写真は、1999年5月4日 舞子大山組御神渡幸御大祭、小原地区から大原地区へ(撮影 星 俊夫氏)

 

 

 

卯年大祭 13

2011年01月05日 | 卯年まつり
卯年祭りの思い出 1999年(平成11年)

個人的な卯年まつりの思い出も、もう前回まで来た。

この年から、五丁歩、大原、論丸の3集落が祭り屋台で参加、舞子大山組10ヶ村全てが揃った最大規模の卯年大祭になった。
とにかく絢爛豪華な祭り屋台が、次から次へと並んだ祭りであったと記憶している。
総勢約50名の稚児行列も見事であった。

個人的には、この年は年初に勤務していた工場が閉鎖になり失業していた頃で、あまり良い状態ではなかった。
しかし、その分時間があり、地区の大祭の会計や子ども神輿を役員の皆さんと共に仰せつかって、またそれまでと違った
立場で、祭りに参加させて頂いた。

前回まだ1歳に満たなかった長女は、11歳で子ども神輿に参加させて頂いて、頑張った。
長男は高校入学直後で、山岳部の合宿のため参加できなかった。
地区の屋台保存会で笛の練習をさせて頂いていたので、家族は祭り支度の長男を期待していたのだが、巻機山の雪の上を
走り回ることになった。

個人的な印象で恐縮なのだが、祭りは絢爛豪華で、最後に山に登るときも大いに盛り上がった。
しかし、前回のように朝から終わりまで祭りの輪の中にいなかったせいか、どうも消化不良という感があった。
そして、とても行儀の良い整然とした盛り上がりのようにも感じたのだ。

そして、99年大祭の時は区の祭りに神楽は出せなかった。
担当する中学生、高校生が少なく、祭り屋台や子ども神輿に回ってもらうことになり、神楽は取りやめになったからだが、
この頃から少子化の影響が出始めていたのは興味深い。
従来は地区の高校生以上の子どもたちは屋台保存会に入って笛や太鼓の練習ということになっていたのだが、この頃から中学生
以上に年齢を下げたことも改めて思い出す。
子ども神輿は、地区在住の子どもたちだけでなく、親戚や知人、友人の子どもたちの参加を募るようにもなった。
見物に来てくださった方々も祭りの輪の中に入って、一緒に楽しむ祭りにしよう、そんな思いが強く出てきたのもこの
1999年大祭だったように思う。

とても美しく盛大であった1999年大祭から12年、2011年大祭はどのような祭りの顔を見せてくれるのだろう。
楽しみである。

写真は、1999年大祭 徳田区の出発、そして実は先頭の旗の出発風景(撮影 星 俊夫氏)

 

 

卯年大祭 12

2011年01月04日 | 卯年まつり
卯年祭りの思い出 1987年(昭和62年)3/3

前日の雨から、大祭当日の天候の心配を見事に打ち消すかのように、1987年5月4日は青空が広がった。

7基の祭り屋台が整列し、大勢の見物客の中で開会式、宮司さんの祝詞や開会宣言などの式典が終わり、いよいよ
獅子頭が出発する。太鼓の音が響き荘厳、いよいよ始まるという凄い熱気も感じたものだ。
神楽が舞子石上神社を出発すると、それに次いで、天照大神の神輿や天狗などが続き、稚児行列が続く、そして山元舞子の
祭り屋台を先頭に7基の屋台が笛太鼓の音とともに賑やかに続く。
一日をかけて舞子大山組10ヶ村を巡る12年に一度の御神廻が始まった。

さて、途中の様子は直に見ていないので、中略。(^^)
この87年からホームビデオの普及もあり、ビデオ撮影された映像で振り返ることができる。3歳になったばかりの長男が、
はちまきをして祭りのはっぴを着て、大きな鈴のついたたすきをかけて、子ども神輿に参加している様子もとても嬉しいもの
だった。

当時テレビ朝日の「女の60分」という正午枠の番組があった。
この87年大祭を収録し全国放送されたが、我が家の前を通る祭りの行列とそれをおんぶされて驚いたような表情で見る長男と、
1歳になろうとする長女が写ったとき、ビックリしたことも良い思い出だ。

・・獅子頭が山の頂上のお宮に着いた後、山の中腹から祭りの行列が笛太鼓やかけ声と共に来るのを待っていた。
そして、山を前に山元舞子の祭り屋台を先頭に7基の屋台が並ぶ。
神楽組の面々も山を下りて、各々の地区の屋台に向かう。
坪池区の屋台に着くと、続々と村の面々が、村の出身者の方々が集まってくる。
そして気合いを入れながら、山を登る瞬間を待つ。
山道と言っても、頂上のお宮まで200㍍くらいか、そんなに長くないのだが、屋台をみんなで担ぎながら一気に上がる。
転げ落ちる人もいる。
登る順番が回ってくる。老いも若きも、男も女も「わっしょい、わっしょい」のかけ声を掛け合いながら、山道を登る。
登り上げてお宮の前で整列、7基の屋台が踊る。
そして閉会式。

閉会式を終えて、村の祭り屋台とともに、それぞれの地区に戻る。
このときの皆さんの充実感にあふれた笑顔、表情は、生涯忘れることはできないだろう。
初めて村で出した祭り屋台、みんなで担ぎ上げた充実感、これはこの年の卯年大祭だけのものだから、強く思い出として
残っているのだろう。

写真は、1999年大祭 中子区 祭り屋台の出発風景と宝林寺境内を走る神楽(撮影 星 俊夫氏)

 

 


卯年大祭 11

2011年01月02日 | 卯年まつり
卯年祭りの思い出 1987年(昭和62年)2/3

1987年の大祭を振り返ると、この頃は少子化はまだまだ遠くの話で、小学生も中学生も多かった。
大山組の本番の祭りの前日、各集落単位で祭りが行われる。
この年も大祭前日の5月3日、当地坪池地区での祭りが開催され、中高校生の神楽が集落を走り回り、
祭り屋台が本番を前に予行練習で賑やかに廻った。
私は中高校生の神楽をお手伝いし、子どもたちと走り回った。
あいにくの雨で少し寒かったのだが、子どもたちの熱気が吹き飛ばしてくれた。

華々しく飾り上げた祭り屋台、長い間練習を重ねた笛、太鼓を奏でる面々。
前回(1975年)は、舞子大山組10ヶ村の中で5つの集落が祭り屋台を出した。
姥島、山元舞子、五郎丸、中子、徳田の5つの村だ。
そしてこの1987年大祭から、2つの村が新たに加わった。万条新田と当地区坪池だ。
坪池では、初めて祭り屋台を出すということで、お隣の五郎丸の屋台保存会の方々からご指導を
受けながら、2年ぐらいをかけて準備を進めた。
村の先輩諸氏(私たちの親父世代)の気合いの入り方には、少々脱帽の思いをしたものだ。

本番大祭の予行練習でもあり、意気を高めるための前日の祭りも予定通り終了、本番の明日を待つ
ばかりだったが、激しい雨で翌日が心配だったことが、記憶に残っている。

 写真は、1999年大祭 五郎丸区の出発(撮影 星 俊夫氏)と稚児行列

 

 

卯年大祭 10

2011年01月02日 | 卯年まつり
卯年祭りの思い出 1987年(昭和62年) 1/3

舞子大山組の卯年大祭に「やっと、ようやく・・・参加できた実感を持てた昭和62年だった。」
というわけで、人生56年を生きて、この62年の大祭が私にとって、生涯最高の卯年祭りであろう。
なぜ「生涯最高なのか」といえば、33歳にして最初で最後の神楽人足になれた、しかも地元坪池区では、
獅子頭を担がせてもらえるという幸運が巡ってきたことだ。
「そんなことはたいしたことじゃない」と言われそうだが、私にとっては人生でベスト3に入るくらい大切
なことであった。

獅子頭は結構重いし、四人で担ぐのだが前集落から引き継いだときは少々きつかった。
でも担ぎ始めてしまえば、苦しいとかなんとか感じるヒマすらない。
梵天さんの後を追いかけて、何人かの先導の方々の指示に従いながら、「わっしょい、わっしょい」と
景気よく走り回るだけだ。
頭からバケツで水をかけられたり、一升瓶で酒をかけられたり・・。
ルートには適当に裏通りがあり、まるで予め想定されているように、そこでは獅子頭を肩から下ろして歩く。
ホッとする。
で、また表通りに入ると駆け出すのである。通りに並んだ皆さんからかけ声を受けながら必死で走る。
そして次の五郎丸に入ると、獅子頭は交代だ、後ろに回る。
神社で昼食を頂き、お酒を頂き、一休み。
そして次の徳田、中子と続き、いよいよ山を前にして整列。
「行くぞ~!」だったかな?かけ声をかけて、獅子頭を前に山を一直線で登る。
皆さん、凄い気合いだった!と記憶している。
しかし、なかなか登れない、みると前から押し返す方々がいる。
「まだまだ」と言うところだ。前から後ろから押し合いながら、獅子頭は少しずつ、山頂のお宮に向かっていく。
ようやく登り上げたところで、「わっしょい、わっしょい」の大騒ぎだ。
獅子頭は上へ下へ右へ左へ、揺れ動く。

 写真は、いよいよ坪池区の祭り屋台、1999年、1987年に続く2回目の出発だ。(撮影 星俊夫 氏)

 

新年あけましておめでとうございます

2011年01月01日 | Weblog
心配された雪も大したことがなく、穏やかに新年が明けた。
いつもの正月と同じように、朝6時からお寺への年始の挨拶、地区での新年祝賀会を終えて、これからお雑煮を頂く。
今年はうさぎ年、地域だけでなく日本全国飛躍の1年になってほしいと祈願しつつ・・。



下の写真は、06年の豪雪時の市道にて。
これほど積もらなくていいが、もう少し雪が降ってもらいたいというのが当地の皆さんの願いか。



■今年最初の、きょうの1曲

  Let It Be / The Beatles [ 2009 Stereo Remastered ]