今日は雪にならず一時小雨ですが、たまに思い出すのは1963年(昭和38年)の大雪です。
1月10日朝の雪 屋根にうっすら積もっただけ
昭和38年1月豪雪は、1962年(昭和37年)12月末から1963年(昭和38年)2月初めまで、約1か月にわたり北陸地方を中心に東北地方から九州にかけての広い範囲で起こった雪害(豪雪)。三八豪雪(さんぱちごうせつ)などとも呼ばれる。(Wikipediaから引用)
今年は昭和で数えると昭和100年、昭和38年は62年も前のことです。
初めて聞いた方もあるでしょうが、鹿児島に豪雪とは何かの間違いのような?
当時私は日吉町立日置小学校の5年生で、一か月ほども屋根に雪が残っていたことを覚えています。
鹿児島でそんなことがあったの?
この冬と当時の気象データを基にしてグラフを作りました。
まずは この冬の様子 11月から1月10日まで 鹿児島の最低気温
昨年は記録的な猛暑が続き、11月も一時的に気温が平年を下回る日があった程度で秋を感じられないほどでした。
12月になると冬らしくなり、これまでの高温傾向とのギャップが大きく、寒さに慣れるのが大変でした。
12月9日は鹿児島(鹿児島市の気象台所在地)で初霜と初氷を観測しています。12月28日には桜島の初冠雪が観測され、年明けの9日夜には鹿児島で初雪が降りました。
2023.11~1月まで 鹿児島の観測値 旬別に平年値と比較
1月10日 道路沿い草むらの雪
昭和38年(1963年)の冬
前年の12月から昭和38年3月までの鹿児島の平均気温と降水量です。1月の大半で平均気温が5度未満となっています。
1~2月を拡大すると
平均気温が10度を超えた日は一日だけで、期間中の大部分で雨や雪が降っています。
最高気温と最低気温を見ると
雨や雪の日が続き最高気温が10度以下の日が多く、最低気温がマイナスの日が半分ほどです。南国鹿児島では、昨年の猛暑よりもひどい異常気象でした。
今季も寒いものの、鹿児島ではまだ最低気温がマイナスになっていません。気象台が1994年(平成6年)2月、海に近い現在地に移転したことにより、観測される最低気温は1~2度高めになっているように感じます。
2023/01/25 雪の朝 バス通りの様子
雪の降り方はどうだったか
降雪観測値では降雪が1センチ未満の日もありますが、グラフでは表示されていません。鹿児島の積雪は1月24日に24cm、25日に15cm、31日には14cmでした。
気温の低い日が続いたことで雪がなかなか溶けず、一ヶ月ほども残りました。
阿久根市では25日に28cmの降雪があり、史上最高の積雪38cmを記録。枕崎市では25〜26日に33cmの降雪があり、26日に史上最高の積雪26cmを記録。(Wikipedia)
私の記憶では日吉町日置で30cm程度でしたが、祖父の話では昔も雪が多く積もったことはあるが、一月近くも雪が残ったのは珍しいと言っていました。
昭和38年(1963)は高度経済成長期(1955~1973頃)に入っていましたが、鹿児島ではまだ戦後を引きずっているような時代でした。ようやく一部で石油ストーブが普及し始めた程度でした。
私の家では暖房はもっぱら火鉢の炭火か、掘り炬燵でした。当時は台風が来ると数日間停電するのが当たり前で、積雪で停電したのかは記憶がありません。
影響が大きかったのは屋根で、雪の重みで瓦がずり下がって左官さんは大忙しでした。
2024/01/24 雪の朝 バス通りの様子
まだテレビは普及しておらず、情報は有線放送で流れるラジオ放送程度。電話のある家は集落に一軒あるかどうか、個人で車を持っている人はいませんでした。
殆どの子供たちは霜焼けや赤切れに悩まされ、学校の教室内に暖房は一切なかったと思います。雪の朝は授業前に雪合戦や校庭を走り回って体を温めていました。
給食の牛乳は脱脂粉乳で、冷えると表面に膜が張り付き不味いものでした。中学に入ると瓶入りの牛乳になってホッとしました。
令和の時代にこのような大雪が降れば、日常生活に大きな影響が出ることでしょう。2月までは寒い日が続きますので、皆様ご自愛ください。
1月10日朝の雪 屋根にうっすら積もっただけ
昭和38年1月豪雪は、1962年(昭和37年)12月末から1963年(昭和38年)2月初めまで、約1か月にわたり北陸地方を中心に東北地方から九州にかけての広い範囲で起こった雪害(豪雪)。三八豪雪(さんぱちごうせつ)などとも呼ばれる。(Wikipediaから引用)
今年は昭和で数えると昭和100年、昭和38年は62年も前のことです。
初めて聞いた方もあるでしょうが、鹿児島に豪雪とは何かの間違いのような?
当時私は日吉町立日置小学校の5年生で、一か月ほども屋根に雪が残っていたことを覚えています。
鹿児島でそんなことがあったの?
この冬と当時の気象データを基にしてグラフを作りました。
まずは この冬の様子 11月から1月10日まで 鹿児島の最低気温
昨年は記録的な猛暑が続き、11月も一時的に気温が平年を下回る日があった程度で秋を感じられないほどでした。
12月になると冬らしくなり、これまでの高温傾向とのギャップが大きく、寒さに慣れるのが大変でした。
12月9日は鹿児島(鹿児島市の気象台所在地)で初霜と初氷を観測しています。12月28日には桜島の初冠雪が観測され、年明けの9日夜には鹿児島で初雪が降りました。
2023.11~1月まで 鹿児島の観測値 旬別に平年値と比較
1月10日 道路沿い草むらの雪
昭和38年(1963年)の冬
前年の12月から昭和38年3月までの鹿児島の平均気温と降水量です。1月の大半で平均気温が5度未満となっています。
1~2月を拡大すると
平均気温が10度を超えた日は一日だけで、期間中の大部分で雨や雪が降っています。
最高気温と最低気温を見ると
雨や雪の日が続き最高気温が10度以下の日が多く、最低気温がマイナスの日が半分ほどです。南国鹿児島では、昨年の猛暑よりもひどい異常気象でした。
今季も寒いものの、鹿児島ではまだ最低気温がマイナスになっていません。気象台が1994年(平成6年)2月、海に近い現在地に移転したことにより、観測される最低気温は1~2度高めになっているように感じます。
2023/01/25 雪の朝 バス通りの様子
雪の降り方はどうだったか
降雪観測値では降雪が1センチ未満の日もありますが、グラフでは表示されていません。鹿児島の積雪は1月24日に24cm、25日に15cm、31日には14cmでした。
気温の低い日が続いたことで雪がなかなか溶けず、一ヶ月ほども残りました。
阿久根市では25日に28cmの降雪があり、史上最高の積雪38cmを記録。枕崎市では25〜26日に33cmの降雪があり、26日に史上最高の積雪26cmを記録。(Wikipedia)
私の記憶では日吉町日置で30cm程度でしたが、祖父の話では昔も雪が多く積もったことはあるが、一月近くも雪が残ったのは珍しいと言っていました。
昭和38年(1963)は高度経済成長期(1955~1973頃)に入っていましたが、鹿児島ではまだ戦後を引きずっているような時代でした。ようやく一部で石油ストーブが普及し始めた程度でした。
私の家では暖房はもっぱら火鉢の炭火か、掘り炬燵でした。当時は台風が来ると数日間停電するのが当たり前で、積雪で停電したのかは記憶がありません。
影響が大きかったのは屋根で、雪の重みで瓦がずり下がって左官さんは大忙しでした。
2024/01/24 雪の朝 バス通りの様子
まだテレビは普及しておらず、情報は有線放送で流れるラジオ放送程度。電話のある家は集落に一軒あるかどうか、個人で車を持っている人はいませんでした。
殆どの子供たちは霜焼けや赤切れに悩まされ、学校の教室内に暖房は一切なかったと思います。雪の朝は授業前に雪合戦や校庭を走り回って体を温めていました。
給食の牛乳は脱脂粉乳で、冷えると表面に膜が張り付き不味いものでした。中学に入ると瓶入りの牛乳になってホッとしました。
令和の時代にこのような大雪が降れば、日常生活に大きな影響が出ることでしょう。2月までは寒い日が続きますので、皆様ご自愛ください。