開門の10時頃は2時間待ちとか連日すごい行列ができているとのニュースが流れていたので、午前中は避け、一番混んでいないと予想される午後1時半頃を狙って出かけた。午前中は曇り空で気温も低かったが、午後からは晴れ間が出てくるという天気予報もあり、その時間帯を選んだものである。最悪の事態を考え、寒さへの完全防備とトイレ対策(大人用おむつを用意)にも万全を期した。
結果、日付、時間帯の選択は見事に的中し、坂下門の入口での待ち時間は、手荷物検査の待ち時間も含め、まったくゼロ。それに、どんどん天気が回復していき、皇居内に入る頃は、太陽もニコッと顔を出してくれて、気温もどんどん上がり、風も全くなく、絶好の散歩日和となった。
人の混雑も思ったより少なく、余裕をもって、乾通りを歩きながら、紅葉狩りを楽しんだり、写真を撮ったりすることができた。テレビの映像で見た凄まじい風景とはまったく異なり、ゆったりとした気分で、普段は入ることができない乾通りの散策を楽しむことができたのは、普段の行いがいいからと勝手に解釈した。紅葉の進み具合もちょうどいいタイミングであった。
紅葉狩りはもちろん、普段見ることができない宮内庁庁舎や天皇陛下が叙勲とか様々な儀式で使う宮殿の建物も見ることもできた。来年は、工事のため、一般公開されないとのことなので、絶好の機会を、それも絶好の天候のもと、また、絶好の紅葉のタイミングで得ることができたのはラッキーであった。この機会に東御苑の方にも足を運び、江戸城の天守閣のあった天守台や二の丸庭園も散策し、いたるところで色づいた紅葉を楽しむことができた。
明日まで一般公開されているので、まだ行ってない方は是非足を運ぶことをお薦めする。朝一は避け、午後1時すぎが狙い目ではないかと思われるが、最終日なので、今日よりは混み合う可能性は強いかも知れない。
飛行機だけでなく、鉄道についても、年甲斐もなく初物マニア化している。最初の初物は1995年11月1日に臨海副都心に初めた運行された「ゆりかもめ」の初乗りであった。 上りの一番電車に「台場」駅から「お台場海浜公園」駅まで乗車したが、その時「台場」駅から乗った乗客は自分一人であったので、「台場」駅を利用した最初の乗客であることは間違いない。一番切符も欲しかったが、残念ながら、ガードマン風の人に買われてしまったので、0002番切符しか手に入らなかった。ガードマン風の人は購入後、電車に乗ることなくその場を立ち去ってしまった。
「お台場海浜公園」で下車して、改札口を出て、また、新しい切符を買って、今度は下りの一番電車に乗車して、「青海」駅で下車。「お台場海浜公園」駅で降りたのも、乗ったのも自分一人であったので、まさに最初の利用客となったが、残念ながら切符はやはり0002番。0001番を買った人は、どこかに消えてしまったようである。
「青梅」駅で下車して、また、すぐに切符を買って乗ったが、切符は、やはり0002番。しかし、乗客は自分一人であったので、この駅でも最初の乗客となった。その後、「テレコムセンター」駅では,0003番切符、「国際展示場正門前」駅では、0004番切符を入手し、「有明」駅で折り返し、新橋まで戻った。新橋で朝食を食べて、そのまま会社に出勤しても十分間に合ったほど早朝のビッグイベントであった。「ゆりかもめ」は通常、自動運転で運転手がいないが、一番電車の時は、運転手も乗務していた。その後も何日間は運転手付きであったと記憶している。
「ゆりかもめ」で一番切符を逃した悔しさもあって、「りんかい線」が運行開始となった1996年3月30日には、「東京テレポート」駅で一番切符を得るために徹夜することにした。子供を誘って2人で徹夜したので、0001番切符を2枚ゲットした。0001番の一番切符は、券売機毎に購入可能なので、例えば、4台の券売機がある駅では、4枚の0001番切符があるが、最初から並んだ4人までしか手に入らない。従って、何時頃から並んだらいいかいつも迷うところである。
その後も、懲りずに、りんかい線の「天王洲アイル」駅、「品川シーサイド」駅が開業した時も徹夜して、0001番切符をゲットした。徹夜していると毎回顔を合わせる人もいて、まさに一番切符マニア仲間ともいえる。若者に混じって徹夜することになるが、年寄りにとってはかなりの苦行となる。外に並ぶことになるので、トイレが一番きつい。寒い時期は特にそうである。交代してトイレに行くことになるが、近くにトイレがないことが多いので、事前の下調べも必要となる。
最後に徹夜したのは、2010年10月21日の羽田の国際線ターミナルのオープンに伴うモノレールと京浜急行の新駅の一番切符であった。トイレがなく、大変な思いをしたが、何とか、モノレールの方の0001番切符をゲットできた、京浜急行の駅と同時発売であったので、両方をゲットできた人は誰もいなかったようである。東京モノレールについては、「羽田空港駅」「羽田空港第2ビル駅」「羽田空港国際線ビル駅」の3駅すべての0001番切符をゲットしている。今は、空港がらみの駅しかこだわりがないが、徹夜はもう勘弁なので、新駅はもうやめてほしいものである。
一番切符や初便搭乗の模様は、下記のHPを覗いてみてください。
HP: 浪漫飛行への誘い
http://romanflight.web.fc2.com ⇒ 初物シリーズ
運良くネット申込による抽選で当たったので、31日に参観してきた。8月22日から31日までの10日間で、抽選で、毎日2000人ずつ、合計 20000人が招待されたようだが、記名式で本人意外の代理参観は不可とのことから、実際は、1日1600~1700人程度しか来ていないようである。
この迎賓館は、東宮御所として、1909年に建設されたが、華美すぎて使い勝手も悪かったので、離宮としては少し使われたものの、大正天皇、昭和天皇とも住まいとしてはほとんど使わず、1974年に大改装して、今の迎賓館に模様替えをしたとのことである。2009年には、旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)として、国宝に指定されている。
舛添東京都知事が「ヴェルサイユ宮殿のまがいもの」と揶揄したほど豪華で西洋式の造りであるが、ヴェルサイイ宮殿や西洋の様々な宮殿を見慣れているので、驚くほどの豪華さという感じではなかった。しかし、やはりお金をかけているだけあって、外観、内装、装飾品、壁・天井絵、シャンデリア、調度品等豪華絢爛であることは間違いない。庭園の噴水もなかなか立派なものであった。
彩鸞の間、花鳥の間、朝日の間、羽衣の間、中央階段と大ホール等をボランティアガイドの説明を受けながら参観したが、今年は、改修後40年という記念の年なので、通常非公開の「東の間」も参観することができた。
どの部屋もそれぞれ素晴らしいが、天皇陛下や安倍首相がその部屋で歓迎のセレモニーやレセプションをしている様子を撮った写真も掲示しており、感慨深いものがある。よくテレビに出てくる迎賓の会場を無料で見学できるのだから、こんな機会を利用しない手はないと言える。
建物内部は撮影禁止であったが、建物の外観や庭は撮影自由であったので、絵になるアングルも多く、記念にいっぱい写真も撮ってきた。庭園の噴水もすごく立派であったが、庭にあまり花が植えられていないのが、ちょっと寂しい印象であった。
また、今回、40周年記念として、随行員の宿泊施設も外から見ることができたが、まさにホテルのスイートルームの印象そのものであった。
毎年、8月に一般公開しているとのことなので、まだ行ったことがない人は是非とも応募してみては?
ひょんなことで、8月12-13日の2日間にわたって、家のすぐ近くの会場で「自分史フェスティバル2014」というイベントが開催されることを知り、行ってきた。自分史に関わるいろいろな角度からの講演が行われたが、何と現役時代の知り合いが講師の一人とわかり、彼の講演はしっかりと聴いてきた。
この自分史フェスティバルのことは、8月12日の朝日新聞夕刊の1面で紹介されていたので、記事をお読みになった人もいると思う。また、作家の林真理子さんも来ていたようで、偶然同じエレベーターに乗っていて、似ているなとは思ったもののまさかと思い声もかけなかったが、新聞に載っていたので、びっくりした。
自分史という我々世代からすると興味を惹かれる内容のイベントなので、年配者が多い感じであったが、平日からか講演会も含めて、若干来場者が少ないという印象を持った。まだまだ、あまり知られていないイベントなのであろうか。。。
講演とは別に、いろいろな切り口での展示ブースが設けられており、興味を引くブースも多かった。例えば、「おもいでばこ」というBuffaloが出している装置は、パソコンに保管してあるすべての写真のデータを「おもいでばこ」に転送すると、重複写真は削除され、100年分のカレンダーに自動整理され、リモコンやiPadから操作しながら、TVの大画面で写真が好きに見られるようになる。パソコンが壊れてもバックアップとして使えるし、写真にコメントも入れられるので、アルバムの整理が簡単にできるというもの。
中でも一番興味を引いたのが、節目写真館というところがやっている昔のアルバムをそのままスキャンしてデジタルデータに変換してくれるサービスである。1枚1枚の写真もデータ化できるが、アルバムごとデータにしてくれるのが何ともすごい。自分のアルバムを宅配で送付するとアルバム20枚(40頁)分を1980円で、DVDにデジタル化して返送してくれるという。1枚のDVDに何冊ものアルバムのデータが記録でき、タイトルも付けてもらえるという。DVDのデータをパソコンに取り込めば、その写真の加工も可能になるとのことである。
自分の場合、旅行等の写真はアルバムに綺麗に整理して、50冊以上も書棚等に保管しているが、物凄いスペースを食っており、何とかしたいと思っていたので、打って付けの製品だと直感した。自分の場合、アルバム上、写真は小さくカットし、1頁に何枚も貼ってあり、写真の説明や写真にある名所・旧跡のガイドブックからの解説の切り抜きや観光パンフレットにあるカラフルな文字の切り抜き等も整理して貼ってあるので、アルバムごと保存しないと意味がない。今までのアルバムをデータ化してしまえば、綺麗なまま保存も可能だし、かさばるアルバムを思い切って全部処分することができそうである。早速、やってみたいと思った。
講演もすべてを聴いたわけではないが、知り合いの講演は、自分史オンステージ・書籍部門というタイトルで行われた。前段は、実際に自分史を書かれた人の8人の方の話だったので、興味は全く沸かなかったが、それを受けての彼の講演はとても面白かった。人生50年時代の孔子の人生観と違って、現在に当てはめた新しい分類も面白かった。それによると、少年期は17才から25才、青年期は25才から48才、壮年期は48才から64才、実年期は64才から80才、熟年期は80才から96才だそうである。我々はまだまだ壮年期を過ぎたばかりで実年期にいるのだからと妙に元気づけられた。
また、彼によれば、豊かさとは自由の拡大にあるという。自由の拡大の横軸がカネ(経済的自由)とヒマ(時間的自由)、縦軸がココロ(精神的自由)とカラダ(肉体的自由)である。カネがある時はヒマがなく、ヒマがある時はカネがない。カラダだけよければ、いいというわけではなく、ココロの自由も必要である。豊かさとはこの4つの自由をいかにバランスよく拡大できるかにかかっていると言える。まさになるほどである。
講演終了後、約20年ぶりの再会であったが、講演した彼と一杯飲む機会を持った。彼は会社を辞めて大学の先生になってから、自ら創案した「図解コミュニケーション」分野の理論化と現実社会への応用を意識し、四半世紀にわたり「図解革命」に一貫して取り組んでいるとのことで、本も100冊位書いているそうである。久しぶりに彼の本を読んでみようかと思った。
ハンドベルとは、17世紀頃にイギリスでキリスト教の教会のタワー・ベルを何人かで技巧練習するために生まれた楽器で、その音色はクリスマスの雰囲気にピタリである。知り合いの女性がメンバーの一人であることもあって、生でベルの音色を聴くのは2回目であったが、クリスマスソングを奏でる美しい音色にしばし酔いしれた。
合唱団のコンサートは、羽田空港のクリスマスイベントの一つとして、行われたもので、客室乗務員や整備士のユニフォームを着た人を含め、30人位のJALグループのメンバーから成る「フロイデ」という合唱団が赤鼻のトナカイやホワイトクリスマス等のクリスマスソングを披露してくれた。やはりこの時期にクリスマスソングを生歌で聴くのは最高の気分である。
わざわざ羽田空港まで行ったのは、先日京急蒲田駅の全線高架化記念乗車券を買っていたが、切符を使わないのはもったいないので、それを利用したものである。久しぶりに第1ターミナルに行ったが、マーケットプレイスなるものができていて、いろいろなお店があるのにビックリ。飛行機に乗る目的ではなく、ぷらっと空港に遊びに行くのもいろいろな発見があり、なかなかなものである。