浪漫飛行への誘(いざな)い

海外旅行は102か国、海外旅行、世界遺産、飛行機、卓球、音楽、歌謡曲、初物、語学、仏教シリーズ等の趣味の世界をブログに

「赤毛のアン」ミュージカルチケットが当たる

2019年07月17日 19時48分13秒 | イベント

 

フランス人旅行者をお世話している最中、応募していたミュージカル「赤毛のアン」のチケットの当選レターが届いた。このミュージカルは、一般公開されているものではなく、エステー化学の商品を扱うドラッグストア協賛でお客様を対象に全て抽選によるプレゼント招待としてやっているもので、「赤毛のアン」としては17年連続公演だそうである。2万人の鼓動TOURSミュージカルと謳っており、キャスト、スタッフ、お客様の総勢2万人がこのミュージカルに参加するという。今年は全国8都市で10公演(内、東京では3公演)が実施されるという。主役のアン役は、元モーニング娘の「田中れいな」である。初めて応募したが、案内によると応募総数は、166,065通で、全体での当選者数は, 7500組ということらしいので、倍率は、約22倍だったことになる。まさか当たるとは思っていなかったが、フランス人のお役に立たせてもらったご褒美と勝手に解釈させてもらうことにした。


「赤毛のアン」は、カナダのプリンスエドワード島を舞台としたモンゴメリーという女流作家が書いた長編小説で、映画にもなっている。2008年9月にカナダに留学していた時、プリンスエドワード島まで赤毛のアンを訪ねる旅をしていたので、人一倍関心が高く、現地のシャーロットタウンでは、「赤毛のアン」の本場ミュージカルも見た。「赤毛のアン」を訪ねるツアーにも入ったが、モンゴメリー生家、お墓、勤めていた郵便局、グリーン・ゲイブルズ(赤毛のアンの家)等アンにまつわるスポットをほとんど見て回った。2008年は、「赤毛のアン」の初版発行100周年記念の年であったので、カナダと日本で記念切手が発行されたり、訪問記念証が発行されたりしていた。ストーリーは大体わかっているが、小説の舞台をこの目で見ているので、8月20日のミュージカルをとても楽しみにしている。

「赤毛のアン」ミュージカルのサイト: https://www.st-musical.com/

写真は、アン役の田中れいな


音楽は、太田裕美の想い出の「赤毛のアン」  

 https://youtu.be/oAHSOV6gMp4

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久しぶりのホームパーティ 

2019年04月30日 22時16分36秒 | イベント

 

4月28日に次男夫婦と孫、次男の奥さんのご両親と弟さん夫婦の計7人が我が家に集まり、次男家族のタイ転勤の壮行パーティを行った。以前は、大人数が我が家に来ることも時々あったが、最近は、来ても少人数のことが多かったので、久しぶりに9人の大人数となった。


自分はほとんど準備に関われないので、妻の負担は大変なものがある。手料理を10品近く用意し、ケーキも2種類用意したので、前日から準備を始め、その大変さは言わずもがなである。ケーキはチョコレートケーキとチーズケーキだが、チョコレートケーキにはその場にふさわしい文字をいつも描いている。今回は、Best Wishes in Thailandとした。おもてなしの心がたける妻にはいつも感謝している。メインは、次男夫婦の壮行会であるが、4月にオーストリア(ウィーン、ザルツブルク)旅行に出かけたご両親と弟さん夫妻の旅行報告を兼ねた集まりとなった。


10年前にカナダのビクトリアに留学していた時も、我が家のコンドミニアムは千客万来で、5ヵ月で延べ人数は100人を超えていたと思われる。日本人の留学生にも、現地のカナダ人にも、手作りの日本料理やケーキ類は大変喜ばれた。ゲストを迎えるとある程度掃除や片付けをすることになるので、部屋を綺麗に保つことができる効果もある。ここ25年位、引越をしていないので、物がたまり、断捨離というか家財道具の整理の必要性にせまられている。もう年も年なので、今後は、大人数のホームパーティなどは難しいかもしれない。

 

 

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欧日協会の文化活動

2018年05月30日 14時19分50秒 | イベント
フランクフルトには、欧日協会という会員組織があって、会員向けに日本への里帰り・家族の呼び寄せという格安航空券を扱っていたが、その他に図書の貸出、ミニコミ紙の発行、映画会の実施、サマースクールの開催等の文化事業を幅広く行っていた。航空券の取り扱いは、現地旅行会社の一員として行っていたが、オフィスも隣接していて、二人三脚で仕事を進めていた。

一緒にやった活動の一つが映画会の実施である。日本から日本映画のフィルムを送ってもらい、日本人を対象に、現地の映画館を利用して上映するものである。海外にいると日本の映画を見る機会などほとんどないので、日本人の間で大変人気があった。年2回位やっていたが、日本でも話題となっている映画を選択して、1回につき2本の映画を上映していた。ベルリンまで出かけたこともあった。

1本は、寅さんシリーズとかの大人向け、もう1本は、ドラえもんとかの子供向けを選んでいた。日本ではあまり見る機会がなかったが、このおかげで、寅さんやドラえもんの映画を何本も見る機会があった。寅さんシリーズは、海外で見ると何ともいえない日本のノスタルジーを感じることができるので、大人気であった。日本映画は駐在で来ている日本人家族だけでなく、ドイツ人と結婚した人や当地に長期に住んでいる人も楽しみにしているようであった。

映画が始まる前に、主催者を代表して、よく挨拶をしていたので、嫌でも顔だけはよく知られていたようである。街中で面識のない方に、お世話になっていますと挨拶をされることもよくあった。映画会を始め、落語の名人会、文化講演会、ソフトボール大会、テニス大会、ゴルフ大会等の文化・スポーツイベントの全てを担当していたので、顔が知られるのもやむを得ないところであった。

欧日協会では、夏には、ヨーロッパ・サマースクールと称して、主にヨーロッパ在住の小学生向けに夏季合宿を行っていたが、モスクワやアフリカ・中東からも参加していた。勉強の集中講座だけでなく、キャンプファイヤーやスポーツをやったり、集団生活が体験できるので、なかなか人気があった。海外にいると勉強の遅れも心配ごとだったようで、親御さんも熱心であった。子供をこのサマースクールに預けて、その間、自分達はヨーロッパ旅行を楽しむというパターンもよく見受けられた。

4年間で何回か参加させてもらったが、1988年7月のサマースクールには、ロサンゼルス・オリンピック(1984年)の体操個人総合の金メダリストであった具志堅幸司さんに講師として来てもらい、子供達から人気を博した。彼は当時チュービンゲン大学に留学していて、ひょんなことで知り合いになっていたが、サマースクールの会場が近かったこともあって、特別講師となっていただくことを快諾していただき、実現したものである。この時は、夏休み期間中であったので、子供達も連れていっしょに参加させてもらった。講演はデスク上での逆立ちから始まったので、皆、ビックリしていたのをよく覚えている。彼は、今、日本体育大学の学長を務めている。

写真は、講師の逆立ち









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会社対抗ソフトボール大会の思い出

2018年05月16日 22時34分07秒 | イベント
フランクフルト駐在中の大事な仕事の一つに会社対抗ソフトポール大会があった。フランクフルト及び近郊には多くの日本企業がビジネスをやっていたが、年に1回(後半は年2回)親睦を兼ねて会社対抗のソフトボール大会を主催していた。日本人セールスは自分の担務であったので、セールスのためのイベントでもあった。

前任者からの引継ぎで担当することになったが、最大の難関は、会場の確保であった。ドイツ人は野球をやらないので、米軍の野球場を借用することになるが、その交渉はなかなか大変であった。関連会社のドイツ人女性スタッフの彼氏が米軍に勤めているということで、そのチャネルを使って、野球場を借用するのだが、ソフトボールと野球では、ベースの位置が違うので、ベースを移動したり、白線を引いたり、ソフトボール用に作り変える作業やチーム数の関係で、2~3か所のスペースの確保も大変であった。終了後、元に戻す作業もそれなりに大変であった。

赴任した当初は、年1回で10チーム位だったと思うが、その人気が年ごとに増し、1987年からは年2回となり、ピーク時は16チーム、人数にすると応援の家族を含め、400人を超えていた。フランクフルト在住の日本人のほとんどが集まっていたと言っても過言ではない。ファーストリーグ(第1部)とエグゼクティブリーグ(第2部)の2リーグに分けて、リーグ戦方式で優勝を競うが、日頃運動不足の派遣員のハッスル振りとその家族及び同じ会社仲間によう応援合戦も盛り上がり、大会は熱気を帯びて、フランクフルトでは恒例のビックイベントになっていた。その時期になると、日本人が集まる日本食レストラン(レストランもチームとして参加)では、大会の話題で持ち切りであった。強力チームは、ホンダ、YKK、JVC(日本ビクター)等で、多くのチームがグローブやバット等の用具を自前で日本から調達していたほどである。

普段運動をしていない駐在員が家族を前に張り切ってしまうため、ベースランニングで転んだり、怪我をする人も少なくなく、そのため、看護婦さんや救急隊の手配も行っていたほどである。日本にいたら、このような経験をすることはまずできないが、海外だと会社としてはライバル関係にあったとしても、日本人コミュニティーでは和気あいあい、結束はとっても固かった印象がある。数えてみたら、4年在勤中に、6回の大会を主催していた。プラカードを用意したり、賞品を手配したり、ソフトボール用具を確保したり、自分もプレイしながら、大会の運営もやっていたので、大変といえば大変なイベントであったが、皆に喜ばれ、やりがいのある仕事でもあった。今となっては、懐かしい思い出となっている。


写真は、開会式のシーン
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同期会に100人、団塊パワーいまだ健在

2018年02月01日 07時17分15秒 | イベント
先日、会社の同期会が開催され、ちょうど100人の同期(男性72 女性28)が集まった。まさに、団塊の世代なので、会社の同期も多いが、入社から38年経ち、皆古希を迎えた節目の年に、同期会が開かれたことは感慨深い。 同期といっても全国採用の男性と東京地区の女性だけだが、同期の半数近くが集まったことになり、まさに団塊のパワー炸裂となった。

自分自身、連絡不明者としてリストされていたようであるが、配属先が一緒であった友人が声をかけてくれて、開催の一か月ほど前に仲間に入れてもらった。幹事の人も良く知っていたので、近況とともに、暇に任せてホームページを作成していることを連絡したが、それが幹事の目に留まり、当日の宴会の際に 会場で懐かしい映像と音楽をBGMとして流してもらえないかということと、出席者の写真をいろいろ撮るので、その写真アルバムを作成してもらえないかという二つのお願いというか相談を受けた。

ともに、自分が今趣味としてやっている写真アルバムの整理や音楽編集の経験からして、それほど高いハードルではなかったので、引き受けることにした。幹事の連中は皆、そのへんの知識がゼロに近いので、丸投げしたいとのことであったが、いざ始めてみるといろいろな作業が伴い、大変ではあったものの、趣味の延長であったので、苦ではなかった。

BGMとしては、懐かしい音楽やコマーシャルソングを盛り込み、映像もネットで手に入るもので組み合わせて3種類のBGMを作成した。どれも青春プレイバックで懐かしいものばかりを集めた。急な依頼であったので、幹事との打ち合わせはメールのみ。さすが会場でぶっつけ本番では不安があるので、開催の1週間前に、会場側の責任者と現場で打ち合わせを行った。

会場はネット環境もあったが、音楽の連続再生には不安があるので、パソコン上、ムービーメーカーでBGMの音楽に写真と映像を組み合わせたものを作成し、それをUSBメモリーに保管し、パソコンからHDMI端子でテレビ映像につなげることにした。当初はBGMのサウンドだけを考えていたが、大きなテレビスクリーンがあったため、映像と音楽を一致させるよう工夫する必要があった。

3種類はどれも30分ちょっとのもので、一度パソコンでセットすれば、30分は音楽と映像が連続して流れるようにした。懐かしい映像と音楽で出席者にも喜んでもらえるかなとも思ったが、実際は、何十年振りに再会する同期100人なので、話がはずみ、BGMもよく聞こえないほど会場はざわつき、おしゃべりの花が咲いていた。

写真アルバムについては、写真担当がいるので、その写真を使って、皆が見られるようなアルバムを作成してほしいというものであった。今までに、旅行アルバムとして、写真のスライドショーをYouTubeにアップするという作業を何回もやってきているので、さほどの困難はなかった。自分の経験から写真だけでなく、動画もあったほうが臨場感があると考えていたので、自分自身のデジカメで動画も撮ることにした。アルバムをイメージした写真も撮り、BGMも担当しているので、一人4役(1出席者、BGM担当、カメラ担当、動画担当)となり当日は大変忙しかったが、それが皆の役に立つならとの思いが強く無事任務を全うすることができた。

写真アルバムは、やはりムービーメーカーで、写真のスライドショーを作成し、合間に動画も盛り込むこととし、音楽は著作権に違反しないもので、写真を見るのに相応しいものを選曲した。挨拶等の映像も盛り込んだので、全部で23分位のアルバムとなった。入社当時の昔の写真もアルバムには盛り込んだ。当時の写真を見ると皆、あの時君は若かったとの懐かしさが蘇る。その場面では、音楽は「青春の影(チューリップ)」を使ったが、この曲は青春プレイバックには最適で大好きな曲である。

土曜日に同期会があって、2日後の月曜日にはアルバムがほぼ出来上がったので、自分でもそのクイックアクションには感心している。日曜日は、卓球の試合が終日あったので、そのスピード振りは驚きでもある。幹事の人達ももうできたのかとビックリしていたが、そのアルバムの内容について幹事の人達からお褒めの言葉をいただいたのは嬉しいかぎりである。

出席者には、写真アルバムのアドレスを伝えるだけで、皆閲覧できるので、便利な時代になったものである。YouTubeは限定公開扱いとし、アドレスを知っている者しか見られないようになっている。写真を焼き増して配るような時代はもう過去のことで、写真も映像も音楽も自由に共有できる今に感謝したいところである。


音楽のYouTubeは、
「青春の影」チューリップ(財津和夫) https://www.youtube.com/watch?v=BwS94_EoZwA
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我が家の十大ニュース

2017年12月30日 16時41分11秒 | イベント

 

2017年も残り2日となりましたが、毎年この時期に我が家の十大ニュースを整理している。もう30年以上続けているが、十大ニュースを整理することにより、後になってその年を振り返ることができるとともに、今では自分史の整理に大変役立っている。

今年の我が家の十大ニュースは以下のようになったが、皆さんも十大ニュースを作ってみてはどうですか?面白いですよ。

今年の十大ニュース            

1 次男結婚 7月
2 結婚40周年(ルビー婚) 12月
3 コソヴォ旅行でヨーロッパ53か国完全制覇 5月
4 ヨーロッパ個人及び夫婦旅行  5月
5 次男夫婦がおめでた
6 エアアジア・ジャパン初便搭乗により、国内線新規参入11社初便完全制覇  10月
7 石垣島夫婦旅行  2月
8 区卓球大会で優勝・準優勝・3位連続獲得
9 長男引越
10 卓球合宿で白子温泉へ  11月

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12月14日は赤穂義士の討ち入りの日

2017年12月14日 22時44分27秒 | イベント
ここ数日、テレビで赤穂浪士討ち入りの真相なるテーマの特別番組をやっていたが、気が付いたのは12月14日がまさに討ち入りの日であった。赤穂藩の家老であった大石内蔵助を中心に、浅野内匠頭の仇討ちに立ち上がり、浅野が切腹してから約1年半後の1702年12月14日(旧暦)、元赤穂藩の浪士47人で吉良上野介義央の邸宅に討ち入りをし、吉良の首を持ち、浅野の墓がある泉岳寺まで歩き、その墓前に供えたという。47人の浪士達は幕府から切腹を言い渡され、その後、泉岳寺にある浅野の墓の周りを囲むように埋葬されたという。忠臣蔵としても有名な話であるが、その聖地ともいえる泉岳寺は自分の最寄駅から電車で5分のところにある。今までにも2回ほど行ったことがあるが、テレビで好奇心をそそられ、討ち入りの日にはイベントもあるとのことで、出かけてみることにした。

まず、両国にある「吉良邸跡」に初めて足を運んだ。吉良上野介の当時の屋敷は広大であったが、今は、そのほんの一部が吉良邸跡として貴重な旧跡が維持されている。見るべきものはあまりないが、「なまこ壁」と黒塗りの門が当時の模様を偲ばせている。この辺りで47人の赤穂浪士による討ち入りが実行されたのかと想像すると感慨深いものがあった。

あたりの地図を見ていたら、すぐ近くに勝海舟生誕の地があると紹介されていたので、立ち寄ってみた。吉良邸から歩いて5分ほどのところにあり、今は両国公園となっているとのことである。こんなところで生まれていたのかと感慨深いものがあった。

12月14日は、泉岳寺で赤穂義士祭が行われ、その一つとして中央区役所から泉岳寺までの義士行列パレードがあるとの情報を得ていたので、両国の後は、途中に立ち寄るとあった芝の増上寺に向かった。ここは休憩で立ち寄るだけのようであったが、人もそれほど多くなく、47人の赤穂義士によるパレードをじっくり見ることができた。当時の服装に仮装して、本人の名前も書いてあるので、なかなか興味深い。パレードでは吉良の首が入った白い袋も高く掲げており、目を引く。

増上寺からは泉岳寺に移動し、赤穂義士のお墓参りをした。予想はしていたが、ものすごい人の数で、参拝者の入場制限が行われ、赤穂義士のお墓に行きつくまでに、1時間近くかかった。泉岳寺には、浅野内匠頭のお墓とその横に47人の義士のお墓がある。墓石には先頭に「刃」の文字があり、自害したことを表している。お墓は、リーダーである大石内蔵助のお墓が一番立派であった。

テレビでも紹介していたが、47人のうち、1人だけは、切腹しておらず、一時は逃げたという説もあったが、討ち入りの情報を赤穂藩に伝えに行ったようである。お墓には自害した年令も記されているが、その人だけは、83才とあり、「刃」の文字もないのですぐわかる。
お墓参りを終えた頃、義士パレードの面々が泉岳寺に到着し、イベントはクライマックスを迎えた。とにかくすごい人だかりなので、写真を撮るのも大変であった。初めて赤穂義士祭に行ってみたが、歴史ロマンを駆り立てるものがあり、充実した1日であった。

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大晦日から元旦の思い出

2017年01月01日 09時58分30秒 | イベント
また、年末年始を迎える時が来た。紅白歌合戦を見るたびに思い出すのが1999年から2000年に移行したいわゆるニューミレニアムの年越しである。人生のピークはまさにこの年越しのタイミングであったと言えるほど稀有な出来事が重なった。当時のスケジュールと出来事を思い出してみるとこうなる。

(1999年12月31日)

19:30~23:45 節目の第50回紅白歌合戦をNHKホールで生で見る。しかも、座席は1階席中央前から12列目の
         特等席
        (観覧応募総数約60万通で約200倍の当選確率。観客席は約3000席あるが、
         ほとんどが2、3階席で1階は関係者や裏口の人が多く、一般用の席は極めて少ないので、
         ダブル幸運といえる。席がよすぎたため、テレビにも何回が映った)

23:30     紅白の勝負を示す勝敗カウントボールが7-8個会場に投げられたが、その内
        2個を素手でゲット - 後に記念と思い、NHKの友人に頼み、ボールと応援うちわに
        司会の久保純子さんのサインをもらった

23:45~    通常の紅白は23:45で終了してしまうが、1999年はニューミレニアムの特別年であったので、
         出場歌手が全員23:45以降もステージに残り、カウントダウンを待った

(2000年1月1日)

00:00     紅白の出場歌手といっしょにニューミレニアムのカウントダウンを行った

00:30     NHKホールから明治神宮に移動し、ニューミレニアムの初詣を行った
        (すごい人出で大変であったが、深夜の初詣は人生最初で最後)

03:00     初詣の帰り、京浜急行の品川駅でニューミレニアム1月1日の2000番の切符をゲット
        (たまたまであるが、切符を買ったら1980番であったため、閃いて、券売機の前で待機し、
         1999番や2000番の切符を買い占めた)

05:50     羽田発新千歳行きのニューミレニアムの初便に搭乗
        (当時ニューミレニアムで飛行機の計器が狂うのではないかと心配されていて、マスコミも
         注目していたが、まさに日本で新世紀に最初に運航されたフライトであった)

06:44     窓側の席をとり飛行機の機内からニューミレニアムの初日の出を拝む
        (高度8000mのため、富士山頂より早く初日の出を見ることができた)

09:20     新千歳発羽田行きの飛行機に乗り、東京へとんぼ返り。
12時頃~    自宅に戻り、例年通り、テレビでニューイヤー駅伝を見る

とにかく自分の人生の中で激動の年末年始を迎えてから、早17年、本当にTime flies.である。

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クリスマス・イルミネーションを堪能

2016年12月25日 14時26分25秒 | イベント
今年は、目黒川沿いの中目黒ジュエルドーム2016と代々木公園の青の洞窟SHIBUYAの2大イルミネーションを見に行ってきました。青の洞窟は2年前に中目黒で行われたが、来訪者殺到のため安全性が保てないという理由で途中で中止されたものが今年、渋谷でスケールアップして復活したものである。

中目黒の金色に輝くのジュエルドームは、平日だったということもあり、思ったほどの人混みではなく、川沿いにある鶏肉料理のレストランで食事をしながら落ち着いた雰囲気でイルミネーションを楽しむことができた。イベント真最中のため、当然ながらレストランは予約でいっぱいであったが、前日に電話を入れたところキャンセルが出たとのことで、カウンター席であるが予約できたのはラッキーであった。名物の親子丼を味わいながらジュエルのイルミネーションを楽しんだ。

また、中目黒で2年前に中止された青色のイルミネーションが今年、渋谷で復活していることを知ったので、クリスマスイブに混雑覚悟で足を運んでみた。イルミネーション周辺のレストランはどこも一杯であると予想し、ちょっと離れた道玄坂の寿司レストランで腹ごしらえをしてから、公園通りから代々木公園に向かって人の流れに沿って歩いてみた。 ニュースによると3週間で100万人を超える人出があったということだったので、覚悟していたが、思ったほどではなかったので、写真も余裕を持って撮ることができた。

青の洞窟はまさにその名の通り、公園通りと公園が青色のイルミネーションで埋め尽くされ、圧巻の光景であった。ニュースによると青色LEDを約55万球も使っているようで、特に250mに及ぶ公園のケヤキ並木でのイルミネーションは史上初とのことである。1月9日までやっているそうなので、話題作りのため、一度足を運んでみてはいかがでしょうか?
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AKB48フェスを見てきました

2016年07月16日 20時38分05秒 | イベント

7月14日にNHKホールで行なわれた「AKB48フェス」の公開収録を見てきました。まず、初めてのことのようであるが、全員、免許証等のIDで本人確認が行なわれた。ネットでの売買や他人への譲渡を防ぐ目的のようであるが、あまり意味がないと感じた。怪しい人物をチェックするわけではないので、本人であるかどうかを確認して何の意味があるのか。ダフ屋行為の売買は別として、家族や知人への譲渡まで禁止するのは行き過ぎであろう。

入場前に相当の行列ができていたが、我々と同年代と思える人たちも決して少なくなかったので、若干安心したが、会場内でコンサート中に見渡した限りでは、やはりその人たちはほんのまばらで圧倒的に若者世代であった。小さな子供連れもいたが、20代から30代に男性が多かったような気がした。

3時間半という長さにもかかわらず、トイレ休憩はなし。AK48の結成10年のスペシャルイベントとのことだったので、365日の紙飛行機(朝ドラの主題歌)とか昔流行った曲がいっぱい聴けるかと思っていたが、残念ながらそうではなかった。全部で40曲位歌ったようであるが、知っていた曲は、「恋するフォーチュンクッキー」と「フライングゲット」位で、他はほとんど知らない曲ばかり。

それに、今回のフェステイバルは、AKB48の他に、チーム8、SKE48(名古屋榮)、NMB48(大阪難波)、HKT47(博多) NGT48(新潟)という6つの姉妹グループが一同に会したもので、総勢、130人位でフェスティバル自体は、そのグループの対抗戦の様相を呈していた。AKB48以外の曲はほとんど知らないし、とにかく騒々しいだけで、耳が痛くなるほどであった。2階席の前から8番目でそんなに悪い席ではなかったが、歌と踊りが始まると前後左右ほとんどの人が総立ち状態で座って見ることができないほどであった。観客の多くが電飾のペンライトを持っていて、壮観な光景で、それを見ているだけでも面白かったが、残念ながらフェスティバルそのものに入っていくことはできなかった。

AKB48の総選挙の結果と名前のリストを持参したが、100何人もいると双眼鏡で顔をしっかり見てもどの女の子も同じように見えた。皆、可愛いし、身につけている衣装も可愛いので、目の保養にはなったが、最後まで見る元気はなく、若干早めに会場を後にした。今回のAKBフェスは10月にNHKプレミアムで秋のスペシャル3時間番組として放映するようなので、興味のある人がいたらテレビを覗いてみてください。

実は、同じ14日に中野サンプラザで行なわれたテレビ東京が主催する「夏祭りにっぽんの歌」の公開コンサートのチケットも運良く当たっていたが、ダブってしまったため、卓球仲間のおばさんにチケットを譲った。後で訊いてみたら、そちらの方は出演者のメンバーも有名な人ばかりで、大変よかったそうである。結果論からすると、自分の年を考え、若者向けのフェスティバルなんかに行かず、年寄り向けの「夏祭りにっぽんの歌」のコンサートに行けばよかったと後悔している次第である。皆さんだったら、どっちに行きますか?
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