人間にとって自由って何なのでしょうか? 民主主義を目指して、自由と平等の権利ばかりに集中してきたが為に、自由というものが本当は何であるのか? を見誤って来たのではないでしょうか?
特に、この年になって思うのは人は皆、自分の思いのままに好き勝手なことが出来るのを自由の所為だと勘違いしてきたように思います。 それが為に必要なのが物であり、お金であったと思って来たのでは?
その思いを満たすと、次から次へと新しい欲が生まれて、止め処なく欲は膨らむものです。 そこには自分が中心にいて、人は自分の欲望を満たすための物でしかなくなります。 そして、より大きな満足を得るために人は、妄想するのです。
絶えず一時的な満足はありますが、その度に次なる虚脱感が生まれます。 空腹感を味わう感性と同じで、満たされた時には満足できますが、直ぐに次なる空腹が待っているのです。
真の自由とは無縁な感性が満足であるように思える、この頃です。 本当の自由とは、この欲望から解き放たれてこそ存在するのではと思うようになりました。 野に放たれた野生の動物たちは、人間が居ない時代なら大変に自由であったに違いありません。 確かに、動物たちにも過酷な闘争がありますが、自然という現象の中に必然として存在する闘争です。
人間が創り上げた社会という構造が生み出した骨肉の争いとは、意味が違う闘争です。
私が自由でありたいと感じる時、自分を縛っているのは何なのかを考えます。 私から自由を奪う最大の障害は、己の欲望のような気がします。 欲望を満たす為に金や物が必要となり、より多く、より大きな次なる欲望を駆り立てられて苦悩する。 即ち、煩悩こそ人間の自由を奪う最大の障害と感じます。
ところが、この世界に在る間は、この煩悩を断ち切ることの難しさがあります。 世界が複雑で俗に言う豊かな状態であれば一層、人間の煩悩が増えるばかりです。 人間は、その煩悩を増大させる為に四苦八苦しているように思えます。
年齢的な要素も大きいでしょうが、この煩悩からの脱却が幸せの道と思えるようになりました。 何かをしたい、何かが得たいと思うから努力もするでしょうが、苦悩も増えるのです。
皆さんも、程々に欲望して下さい! 虚しさだけが残るのなら、自由でも幸せでもありませんよ!
特に、この年になって思うのは人は皆、自分の思いのままに好き勝手なことが出来るのを自由の所為だと勘違いしてきたように思います。 それが為に必要なのが物であり、お金であったと思って来たのでは?
その思いを満たすと、次から次へと新しい欲が生まれて、止め処なく欲は膨らむものです。 そこには自分が中心にいて、人は自分の欲望を満たすための物でしかなくなります。 そして、より大きな満足を得るために人は、妄想するのです。
絶えず一時的な満足はありますが、その度に次なる虚脱感が生まれます。 空腹感を味わう感性と同じで、満たされた時には満足できますが、直ぐに次なる空腹が待っているのです。
真の自由とは無縁な感性が満足であるように思える、この頃です。 本当の自由とは、この欲望から解き放たれてこそ存在するのではと思うようになりました。 野に放たれた野生の動物たちは、人間が居ない時代なら大変に自由であったに違いありません。 確かに、動物たちにも過酷な闘争がありますが、自然という現象の中に必然として存在する闘争です。
人間が創り上げた社会という構造が生み出した骨肉の争いとは、意味が違う闘争です。
私が自由でありたいと感じる時、自分を縛っているのは何なのかを考えます。 私から自由を奪う最大の障害は、己の欲望のような気がします。 欲望を満たす為に金や物が必要となり、より多く、より大きな次なる欲望を駆り立てられて苦悩する。 即ち、煩悩こそ人間の自由を奪う最大の障害と感じます。
ところが、この世界に在る間は、この煩悩を断ち切ることの難しさがあります。 世界が複雑で俗に言う豊かな状態であれば一層、人間の煩悩が増えるばかりです。 人間は、その煩悩を増大させる為に四苦八苦しているように思えます。
年齢的な要素も大きいでしょうが、この煩悩からの脱却が幸せの道と思えるようになりました。 何かをしたい、何かが得たいと思うから努力もするでしょうが、苦悩も増えるのです。
皆さんも、程々に欲望して下さい! 虚しさだけが残るのなら、自由でも幸せでもありませんよ!