人の心のなかには、劣等感とか優越感とかが潜んでいる。
優越感に浸ることを、欲する人は、他人と自分との違いに敏感。
違うということで、いわれのない、差別をする。
以前、子どもの差別の話でこんなエピソードがあった。
二人のこどもが話(?)をしていて、
自分のほうが偉いというようなことを言い放った子の、その根拠が自分の住居が、2階以上だったという。
相手の子が平屋に住んでいたので、2階に住んでる自分が偉いと、結論付けた。
人の差別意識というのは、こうしたものなんだと、その時、思った。
何でもいいのだ。
他人と自分との違いで勝手に優劣をつける。
職業差別や地域による差別があった時は、職業や地域で差別をした。
その人の人格とか、人柄とかは、2の次というか、無視されていた。
人は皆平等といっても、一人ひとり顔つきも違うし、背の高さや性格も違う。
一見違いがなさそうだと、こじつけてまで、違いを出そうとする。
同じようにしておかないと、居心地が悪いとか、仲間意識が薄くなると、似たようなファッションをする人がいる半面、
違いが、受け入れられずに、異端扱いされたり、変人扱いされたりすることも
あるので、人の心理って、不思議な気がする。
人と違うことを、個性という人もいるし、個性の出しかたも色々ある。
他人同士の違いを、認め合う気持ちは、どういうところから生まれてくるのだろう。
関西に、「他人どんぶり」というのが、ある。
初めて、その存在を知った時に、不思議な感じがした。
それまで、身近にあったのは、親子どんぶりだけだった。
親子が、鶏の卵と、鶏肉。
他人は、牛肉と卵。
最初ちょっと戸惑い。少し気持ちがホンワカになったのを思い出した。