ふうせんのホームページ

合唱とパソコンを趣味として、つれづれなるままに、書き連ねます。

白いリンゴ

2010-11-10 12:27:47 | 日記

青森の高校生が開発した「白いリンゴ」が東京の新宿にデビューするとか。

開発をした高校生の努力が報われ、商品になったなんて、すごいことだ。

「メッセージ・アップル」というもので、昨年11月に開いた「テクノ愛’09 発明&事業化プランコンテスト」の高校の部で見事グランプリを獲得。

約300点の応募があったそうな。

白と赤なら「卒業祝い」、入学祝いとか就職祝いは白と青リンゴの詰め合わせとしたメッセージをリンゴの託す発想に、今年2月に、「地域の魅力発信アイデアコンテスト」でも高校部門50点からの大賞を獲得したとか。

ただ白くしたというだけでない、高校生の 着目も素晴らしい。

白いのは、本来甘くないとのことのようだが、甘味を出す手法も開発し、白いけど甘いリンゴ

となったそうだ。

夢のある出来事は大いに応援したい。

売らんかなの商魂だけでなく、こうした展開が増えることを望みたい。

 

 


生きがい

2010-11-09 12:23:10 | 日記

上場企業の課長の4割が、「いきいき働いてない」とある調査で出たそうな。

仕事を持っている労働者の内、仕事に生きがいを持っている人はどのくらいいるだろう。

「生きがいになんかなっていないよ」「生活のためだ」「仕方なく」などを含めると過半数をゆうに超えるだろう。

女性は、概して仕事に生きがいを求める。

男性は、生活のため、妻子をやしなわければならないという暗黙の責任感で働いている人が多い。

「仕事が楽しい」「生きがい」などと言っていられない。

不況の今時はさらに生きがいなんて贅沢みたいに言われる。

「選ばなければ何でも仕事はある」などと、生きがいなんてものを持つことはいけないことのように

言われる。

自分の人生、たった一度の人生。

虫や植物は、子孫を残すことだけを担って、死んでいく。

人間は、考える動物なのだから、自分の生きがいとか、価値観をひけらかしてもいいのではないかと思う。

生きている。生活をしていること、それが、他人への関与にもなり、支えあいになったり、もする。

虫や植物、動物たちと同じように、生かされているのだと思っている。

「死んで当然、殺されて当たり前なんて人はいない」と、あるドラマで、捜査官だったかが加害者に

投げたせりふを思い出す。

自分の人生を楽しむことは、悪いことではない。むしろほめられ、喜ばれることのはず。

生きがいを求めることも、もっと、尊重されていいと思う。

 

 

 

 


試演会

2010-11-08 12:36:07 | 日記
試演会一週間前の最後の練習があった。

先週、1泊2日の強化練習を終えていて、指揮者とは、3回目の練習だった。

午後2時40分集合で1曲目からざぁっとさらった。

強化練習の成果が随所にあったように思う。

一通りのおさらいが終わり、ソリストの練習に入った。
団員には50分ほどの休憩となった。

4回のコミュニティホールで、軽い食事をする人、駅まで散歩する人。
建物のすぐ、前にあるコンビニで買い物する人。
瞬く間の50分。

合宿でのふれあいもあって、以前より、団員同士の和気あいあいも加速。
仲間意識も増長された。

コミュニティホールで、今まであまり話したことのなかった仲間と、この合唱団のちょっと
昔の話を聞いたりした。

軽い夕食休憩のあと、ソリストとの合唱部分をさらった。

5分ほどの休憩のあと、試演会のGP。

合宿の時より、また一段とまとまってきた。

「ところどころは良いけど、・・・・」と、まだ心配要素の残った練習だった。

また一週間のうちに、団員一人ひとりが思い思いに練習をし、指導者からの言葉を思い返し
また進化するだろう。


いじめ

2010-11-05 12:51:01 | 日記

小学6年の児童が自殺をした。

遺書はなかったらしいが、5年生の時の林間学校の集合写真に15名の顔にボールペンのようなもので
ばつ印がついていたものがあったという。

ニュース記事によると、

09年4月に転校してきた少女が、クラスから孤立し、心ない言葉を浴びせられ、転校したいと訴えて
いたものの、救いの手は、間に合わなかった。

小学生の頃、クラスにいじめっ子がいて、クラスの何人かはいじめられた経験を持たされた。

その子は卒業する日にクラス皆に謝ってくれた。
いじめられた子も、さわやかな気持ちで中学生になった。

中学では、いじめられ要素のありそうな子は何人もいたけれど、いじめる人はいなかった。

からかわれたことはあったけれど、にくいとまでは思わなかったし、いつしか、からかいもなくなった。

すでに、遠い思いでとなったいじめっ子の存在も、いまだに記憶によみがえるけれど、「許せない」
とまで「死んでしまいたい」とまで追い込められることには、幸い至らなかった。

最近の、いじめは陰湿。
昨日まで何事もなかった旧友が突然いじめっ子になり。いじめられっ子になる。
いじめは一人からクラスに広がり、担任の先生や、自分の味方になってくれる人は、いなくなり、
孤立する。

先日、テレビドラマでいじめにあった者が、10年ほどたっても、憎しみは消えず、「許せない」と
凶行に走ったというスジノものがあった。

「心ないいじめ」なんて笑って済ませられない、人の狂喜。
いじめれる者にとっては、何気なかったとしても相手は鬼に等しい。

鬼を殺すか自殺するしか道がなくなれば、どちらかを選ぶしかない。

いじめ”NO!”
加害者が被害者に被害者が加害者にならないために、弱い者いじめはやめよう。


合唱パート

2010-11-04 12:31:05 | 日記
アマチュアの合唱団にいくつか所属している。

そのうちの二つは、最初、ヴォイスチェックとかはなく、個人の申告だった。

その一方は、人数が増えてきたものの、パートに偏りが顕著になり、見学初日に指導者の
ヴォイスチェックを受けてもらうようになった。

その団は、その後、見学者には、練習のはじめにヴォイスチェックをして、パートを決めるように
なった。

残る方は、人数が団員の数が少ないこともあって、申告だけでパートが決まる。

何カ月かしてパート移動の希望をして変わる人もたまにいる。


それ以外の合唱団は、ほとんど初日に指導者のヴォイスチェックがあり、パートを指定される。

先日は、パート内の1と2のバランスのために、パートわけのヴォイスチェックが行われた。


ソプラノにはソプラノとメゾソプラノがあり、ベースにはバリトンとバスが一般的だろう。

合唱によって、コア1やコア2が入ることもあり、コアに分かれる場合は、パートリーダー的な
人が分けてくれることが多い。

希望で動くことも可能だが、こういう場合、個人の意思は、あまり歓迎されないようだ。

移動の時期というのもあり、本番が近い場合は、ストップがかかる。

狙い目は本番後というのがよさそう。






幼児の危険行為

2010-11-02 11:43:35 | 日記
自転車で老人をはねた、6歳児(当時4歳)への訴訟は可能と、アメリカの地裁が判断したとか。

ニューヨーク州地裁の判事が、昨年4月に高齢の女性を補助輪付き自転車ではねた女児について、
裁判で訴えることは可能だとする判断を示したそうだ。

女児が同年齢の幼児1人と自転車で走っているとき、当時87歳の歩行者にぶつかった事故。
被害者の女性は腰を骨折、手術を受けたものの、3カ月後に亡くなったそうな。

担当判事は、年齢を考慮して訴訟は取り下げられるべきだとする女児の弁護士の主張を棄却。
一緒にいた幼児の家族に対する訴訟も可能になるとのこと。

裁判で訴えることのできる年齢について、「4歳以上の幼児については、はっきりとした決まりがない」と説明しているそうな。

保護者の監督下での事故のため、子どもに責任はないとする弁護士の主張については、「親の前では子どもは危険な行動をしても良いという訳ではない」と述べたらしい。

日本では、小さい子どもにたいする大人の態度は、寛大。

小さい子どもの所作は、許されるという風潮があるように思う。

採点も、可愛さで得点される傾向がある。

子どものけんかに親が出るのも、以前は、たしなめられることだった。

子どもの危険な行動は保護者の責任というのが、日本流。

子どものやることだから多めにというのが日本式。

危険な行動をしないように、するのは保護者の責任というのが日本人の考え方。

個人を重んじる国らしい判断かなと思った。




共有時間

2010-11-01 12:35:38 | 日記

久しぶりの合宿を終えて、いつもの生活に戻った。

合宿のよさは、人間関係が深まるということだろう。

よく「一宿一飯の恩とか、「同じ釜の飯」などのことわざにもある。

普段の練習では、私的なこと、練習曲以外の話をする機会はほとんどない。

長い時間、同じ時を共有し、ひとつところに、集って、同じような食事をする。

休憩時間もいつもよりたくさんあるので普段話さないことが話題にのぼったりする。

一日目は、同じ食堂でそれぞれに食事をした。
二日目の同じ食堂で、テーブルについたけれど、相席の顔ぶれが変わる。

表情も和やかさが一層深まるし、練習の成果に満足感もあるので、充実感が大きい。

合宿最後に、ゲネプロ風に、心を引き締めての演奏を行った。

合宿初日に、ばらばら感の大きかった演奏が、まとまってきているのがわかった。

音程も、しっかりしてきて、たった二日の練習で、大きく成長したことがわかった。

練習が終わって、荷物をまとめ、バス停に向かった。

20分以上の待ち時間。

皆でずらーっと列をなしながら、様々な話に花が咲いた。

20分の待ち時間もあっという間に終わった。

大きな荷物をかかえながらバスに乗り込む。

バスが発車すると、まだ学院生の指導者が丸二日の指導の疲れをものともせずに、バスに並んで
走り始めた。

少し坂のある道を全力疾走。
バスが追い越し始めた頃、先生は走るのをやめて、見送ってくれた。

別れが名残惜しいという、感覚が皆にもあったようだ。

余韻を残しながら駅に向かった。