庵主様の遺影とともに
夕食はみんな一緒に
私には学生時代、高校・大学7年間一緒に過ごした友がいる。青春時代を過ごした友人は他には代えがたいもので、一生の友と言えば彼だというふうに私は感じている。
大学4年間、同じ下宿の同じ部屋で過ごし、起居を共にした。そこへ農学部の後輩が入ってきた。その男とも親交を結び学生時代の思い出を作った。未来を夢見て一生懸命生きていた時代の仲間とはいつもどこかで心が通じている。
受験の時、学校の近くの尼寺に厄介になったのだが、そこの庵主様が文字通り慈母のような方で心が広く、学生の頃何かというとおじゃまをして相談に乗っていただいた。下宿先も、アルバイトの家庭教師先も紹介して頂き、それはそれはお世話になった。今はその時代やんちゃだった女の子があとを継ぎ、当時の素行からは信じられないような立派な尼さんになっている。愛情の力をまざまざと感じさせるような先代の生き方は、お説教を一度も受けなかったが心に染みている。その当代の庵主様から昨年、先代が99歳6ヶ月でお亡くなりになったという知らせを受けた。そこでお世話になった我々3人でお悔やみを申し上げに伺ったのである。
新装なった広沢寺本堂
山門
現住職とともに
鐘楼
その寺の本家筋に当たる、松本藩主小笠原家の菩提寺であるお寺の一室に、我々は下宿をさせてもらった。本堂裏の三の間というところで、障子一枚が外との境であったが、12畳あり隣の部屋と合わせると24畳に二人で起居した。議論好きな我々は夜中まで大声で議論をしていたので、寺の人は毎晩二人が喧嘩をしているのではないかと気にかけてくれていたそうである。
さて訪問当日はまずは尼寺にお悔やみに伺い、現庵主様のお話を伺ったが、しみじみと偲ばれて曰く、「やっとこの頃写真の前で話しかけられるようになった。」「あんまり悲しくて、四九日の法要もする踏ん切りがつかなかった。一ヶ月遅れでやっとできるような気がしている」とおっしゃった。日々亡くなった方を御送りしている方がこれほどというのだから、よほどその悲しみは深かったのだろう。
旧松高校舎
ヒマラヤ杉の陰は今も濃い
県の森の欅
我々が通っていた近くの校舎にも立ち寄った。やはり旧友と来てみるとついこのまえにも来たばかりであるが、やはり違う。大きくなったヒマラヤ杉、寮舎前の欅林にも語りかけられているような気さえした。
学生時代とほとんど変わっていない自分を見て、進歩がないのか、若さを保っているのか、戸惑うばかりである。
それにしても旧友二人との旅は楽しかった。
夕食はみんな一緒に
私には学生時代、高校・大学7年間一緒に過ごした友がいる。青春時代を過ごした友人は他には代えがたいもので、一生の友と言えば彼だというふうに私は感じている。
大学4年間、同じ下宿の同じ部屋で過ごし、起居を共にした。そこへ農学部の後輩が入ってきた。その男とも親交を結び学生時代の思い出を作った。未来を夢見て一生懸命生きていた時代の仲間とはいつもどこかで心が通じている。
受験の時、学校の近くの尼寺に厄介になったのだが、そこの庵主様が文字通り慈母のような方で心が広く、学生の頃何かというとおじゃまをして相談に乗っていただいた。下宿先も、アルバイトの家庭教師先も紹介して頂き、それはそれはお世話になった。今はその時代やんちゃだった女の子があとを継ぎ、当時の素行からは信じられないような立派な尼さんになっている。愛情の力をまざまざと感じさせるような先代の生き方は、お説教を一度も受けなかったが心に染みている。その当代の庵主様から昨年、先代が99歳6ヶ月でお亡くなりになったという知らせを受けた。そこでお世話になった我々3人でお悔やみを申し上げに伺ったのである。
新装なった広沢寺本堂
山門
現住職とともに
鐘楼
その寺の本家筋に当たる、松本藩主小笠原家の菩提寺であるお寺の一室に、我々は下宿をさせてもらった。本堂裏の三の間というところで、障子一枚が外との境であったが、12畳あり隣の部屋と合わせると24畳に二人で起居した。議論好きな我々は夜中まで大声で議論をしていたので、寺の人は毎晩二人が喧嘩をしているのではないかと気にかけてくれていたそうである。
さて訪問当日はまずは尼寺にお悔やみに伺い、現庵主様のお話を伺ったが、しみじみと偲ばれて曰く、「やっとこの頃写真の前で話しかけられるようになった。」「あんまり悲しくて、四九日の法要もする踏ん切りがつかなかった。一ヶ月遅れでやっとできるような気がしている」とおっしゃった。日々亡くなった方を御送りしている方がこれほどというのだから、よほどその悲しみは深かったのだろう。
旧松高校舎
ヒマラヤ杉の陰は今も濃い
県の森の欅
我々が通っていた近くの校舎にも立ち寄った。やはり旧友と来てみるとついこのまえにも来たばかりであるが、やはり違う。大きくなったヒマラヤ杉、寮舎前の欅林にも語りかけられているような気さえした。
学生時代とほとんど変わっていない自分を見て、進歩がないのか、若さを保っているのか、戸惑うばかりである。
それにしても旧友二人との旅は楽しかった。