遅いことは猫でもやる

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満開 河津桜

2015-03-10 13:47:22 | 行ってきました
 駅頭のポスターが気分を盛り上げる
 圧巻の堰堤

早咲きで有名な河津桜が見頃と聞いて1週間、さすがにもう散ったかと思っていたら息子のFBに再び満開の映像が掲示された。熱海に別荘を持つ義兄に連絡をとったら歓迎するという嬉しい返事。先週半ばに早速出かけた。

熱海駅頭までお出迎えの大歓迎をうけ、まずは家康も愛した日航亭大湯で汗を流し、来宮神社の大楠を見学。大湯は渥美半島から早便で湯を運んだという言い伝えがある。大楠は淡墨桜や縄文杉等と同様、2000年の歴史を背後にオーラを放っていた。正に神木である。徳富蘇峰が近くに居を構えたというが確かに神々しい。そこから熱海の梅園に回り、夕宴の小料理屋で宴会。こざっぱりとしていて地魚、そばがきの美味しい店であった。

 駅から堤へと続く道もすでに満開
 川岸に咲く桜
 対岸も美しく彩られる
 濃い桜色の枝の下を歩く

翌日熱海から伊豆急行で小一時間の河津へ。ポスターを見ると桜まつりは2/10日から3/10までの一ヶ月。そんなに長く咲いているのかと思ったが、この桜は開花時期が不安定で何時咲き出すかが定かではないとのこと。ウイークデイにもかかわらず大勢の人が電車から吐き出され、川岸へと向かう。桜の下には菜の花が植えられピンクと黄色の対比が美しい。川岸に出ると海に向かって堰堤にピンクの帯が続く。もう緑の新芽も混じっているが、花びらはしっかり木に付いている。それでも500mくらいで一番下流の橋に到着。あっけないくらいだ。堰堤横には屋台が並び、食べ物やお土産品などの呼び込みが賑やかで正にお祭りだ。一年一度のかきいれどきだが、ソメイヨシノと違い花の寿命が長いので、多少は救われるのだろう。お昼ごはんを食べて少し上流に向かうと、どうやらこちらが本番だ。1,2kmも続く並木が濃いピンクに彩られ見事なものである。桜のトンネルになっている並木をそぞろ歩く。樹齢も5,60年くらいで今が盛りだろう。見事な枝振りで、濃いピンクの花をつけている。ところどころ真っ赤な花のものもある。この人出の中にも中国語が飛び交い、どこにでも進出してくるのだなあと実感。

 八重桜と見まごうばかりのたわわな花房
 河原に降りて鑑賞

堤から少し離れ役場の方へ、原木を見に行った。(別項参照)「散る桜 残る桜も散る桜」と詠われたのは明らかにソメイヨシノだ。河津さくらはしっかり枝に着いてなかなか散らない。このしぶとさのほうが戦いにはふさわしいのではないか。
帰りの電車も満席であったが幸い、外側を展望できる席に座ることができ、快適に帰途についた。、翌日大歓待を受けた義兄の家を辞し刈谷へと戻った。

 飯田勝美邸前の原木

河津桜とは?

河津桜原木(通称:小峰の桜)
 河津桜の原木は、河津町田中の飯田勝美氏(故人)が1955年(昭和30年)頃の2月のある日河津川沿いの冬枯れ雑草の中で芽咲いているさくらの苗を見つけて、現在地に植えたものです。1966年(昭和41年)から開花がみられ、1月下旬頃から淡紅色の花が約1ヶ月にわたって咲き続けて近隣の注目を集めました。伊東市に住む勝又光也氏は1968年(昭和43年)頃からこのサクラを増殖し、このサクラの普及に大きく貢献しています。一方、県有用植物園(現農業試験場南伊豆分場)は、賀茂農業改良普及所、下田林業事務所(現伊豆農林事務所)や河津町等と、この特徴ある早咲き桜について調査をし、この桜は河津町に原木があることから、1974年(昭和49年)にカワヅザクラ(河津桜)と命名され、1975年(昭和50年)には河津町の木に指定されました。カワヅザクラはオオシマザクラ系とカンヒザクラ系の自然交配種と推定されています