遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
更新は猫以下の頻度です。

お知らせ

Twitter で更新情報が観られます。やってる方はこちらからフォローどうぞ。
http://twitter.com/gaiki_jp

元気な動物

2015-03-06 05:22:00 | 行ってきました
 動物園入口
 ペンギンの登場を待つ人々
 ペンギンの散歩
 きたきた間近まで

札幌まで来たのだから、ということで冬の旭山動物園に行ってみた。名物ペンギンの散歩を見てみようと思ったからである。

札幌からバスで3時間ほど走り到着。4時間たっぷりの見学時間。早速散歩に立ち会う。ズラリ行列の人人人。説明員が「日本人の方一寸手を上げてください」という呼びかけに応えて挙手した人は3割位。あとはほとんど中国系。列を乱すやら、はみ出るやら。とにかくよく喋るのですぐわかる。まあそれでも赤いラインに沿って並びペンギンがお出ましになる。慣れたもので人を怖がらない。愛嬌たっぷりである。歩く様が何となくユーモラスだ。

近くの幼稚園の児童が行儀よく並んで見学。中国人がそれに見習って行儀良くなる。 階段の昇り降りも達者だ
 アザラシのもぐもぐタイム

散歩を見終わって、次はアザラシの餌やり、白クマなど冬に元気そうな動物を見る。ユキフクロウが文字通り真っ白で、雪だるま見たいなのが可愛い。白クマの覗き穴、オオカミの「ヘアーズアイ」(うさぎの視点)などが面白い。猛獣館では雪豹が唸り声を上げ、黒豹が呼応し、トラ、ライオンも動く。上野や東山では夏でもこんなに動きまわらないのに、ここでは冬にもかかわらずいろいろな動物が活発に動き回る。ふくろうが各種、鷲・鷹の種類も豊富でよく動いていた。身近にいそうだが実はよく見たことがない、という動物、狸や狐なども観察できて面白かった。とにかく目の前で活発に動くのが楽しい。展示に工夫があるのだろう。

 冬は俺のシーズンだ
 ユキフクロウ
 歩きまわるオオカミ
 ヒマラヤに住む雪豹
 黒豹はさすがに貫禄がある
 百獣の王ライオンも雪の上で吠える
 トラはとにかく動き回る
 水中のペンギン
 ふくろうも低いところで動く
 見終わってバスを待つ

ニッカウィスキー余市蒸溜所

2015-03-05 04:44:23 | 行ってきました
 まっさん人気にあやかる
 余市の駅でも
 余市駅前

ご存知NHK朝ドラ「まっさん」の舞台で今取り上げられているところ。蒸留所の中に、リタの家(エディ)や政孝の家も保存されている。

さっぽろで雪祭り見物の翌日、電車で余市へ向かった。1時間以上掛ったが「マッサン」人気は絶大で小樽からの電車は満員だった。雪深い余市の駅前に蒸溜所はあり、古びた門やトンガリ屋根の建物が残っている。というか今でも現役だそうだ。
こんな雪深い土地でウイスキー作りに孤軍奮闘したのかと感慨が湧く。

 蒸留所の入り口
 ニッカウイスキーの宣伝
 ポットスチルにはしめ縄がかけてあった

竹鶴政孝は若い頃わんぱくだったらしい。柔道部のキャプテンとして大平正芳などをしごいたという。家業の酒屋を3男の彼が継ぐことになっていたが、京都の摂津酒造の阿部社長に認められてスコットランドに留学、寿屋の鳥井信治郎や後のアサヒの社長と知己を得る。ずいぶん行動力のあった人のようだ。狩猟や釣りを趣味にしていたらしい。ウイスキーを作るには日本酒よりはるかに忍耐力が要りそうである。また樽も重要な要素だ。蒲の葉をパッキン代わりにし、一度中を焦がしてから詰める。一樽ごとに味が変わるといっても良いくらいだそうである。見学中にも雪が待ってきた。政孝とリタの苦労が偲ばれる。

 TVでお馴染みのトンガリ屋根
 貯蔵所
 試飲所カウンター

試飲所で試飲をさせてもらい、竹鶴を味わう。ハイボールも頂く。食堂でウニ重を食し、ここでもハイボールを注文しいい気分になる。
ウイスキー作りはそんなに複雑なものではないのだろうが、それだけに微妙なものだろうと推測する。北の国での先駆者の苦労が偲ばれた。

 工場は現役だ
 となり町の標識は雪に埋もれている

氷雪祭り(すすき野)

2015-03-04 13:15:59 | 行ってきました
 表通りに立ち並ぶ氷像

昼間雪まつりを見て、海鮮を食べて一寸ホテルに戻り昼寝をしてその夜はもうひとつの会場、すすき野会場へと足を伸ばす。

途中時計台の脇を通り、大通公園のスキーージャンプ台でシニアの演技を見てすすき野へと向かった。折しも降ってきた牡丹雪が、ジャンプ台のサーチライトに反射しキラキラと光って幻想的であった。

 ひっそりと佇む時計台
 夜のジャンプ台はライトに浮かび上がる
 すすき野界隈

さすがにすすき野界隈はさっぽろ随一の繁華街で、イルミネーションも派手である。通常の道路を封鎖して氷像のパレードを演出。雪まつりではなく氷の彫像まつりだ。さすがに歓楽街だけありウイスキーのボトルや、ジョッキの彫像が並び、ライトアップもされて華やかに夜の街を彩る。

 会場入口
 奥にウイスキーのボトルが・・。

ただ氷の彫刻の実演や、ミニトンネルなど色々工夫をこらしているが、もう一つ「すい!」と思わせるものに欠ける。ざっと一周りして帰途についた。帰り道呼び込みのおじさんが、人の良さそうな方だったので5Fのその店に上がり、そのおじさんと話し込んだ。呼び込み専門の人ではなく、暫く我々と話をしてまた街頭に出たが、すぐお客を連れて戻ってからはすっかり話し込んでしまい、商売そっちのけだった。名古屋は「世界の山ちゃん」の手羽先が有名だが、というので今度来るときは風来坊の手羽先をおみやげに持ってくるから、本物を味わってくれと盛り上がった。
いい気持ちで歩いて帰ろうとしたが、何故かこんなところで道に迷い、1時間以上掛ってホテルに戻る。少々歩きすぎた。

 氷像彫刻の実演
 イルミネーショントンネル
 氷像の数々

雪まつり(大通公園)

2015-03-03 03:22:35 | 行ってきました
 夜の大通公園
 スペースベーダー大雪像

先月の半ばサッポロの雪まつりに行く機会を得た。昔「雪まつり期間中は大勢の人が押しかけてとても宿が取れない」と聞いていたのだが、案外スムーズにホテルがとれた。
海上は3箇所に分散しているらしく、大通公園、ススキの会場、つどーむ会場の3つだ。早速大通り公園に行ってみる。
 氷の宮殿
 白い恋人PARK AIRジャンプ台

テレビ塔の下から歩いてみると、とにかく中国人(台湾の人もいるのだろうが)が多い。団体も個人も群れをなして出没する。40年前の我々もこうだったのだろうなあ。テレビ塔直下にはスケートリンクがあり、氷の宮殿、ビールジョッキの彫像が隣のエリアに並ぶ。そこからスキーのフリースタイルジャンプ台、スターウオーズの大雪像が続き、不思議の国のアリス雪像前では吹奏楽団の演奏、台湾・行天宮、北海道・食の広場、何故かフィリピン広場(立派なマニラ大聖堂の雪像)自衛隊制作の春日大社中門(細部まできちんと丁寧に仕上げられている)、市民制作の小雪像広場(ばんえい競馬の像がうまくはないが力強い)、そしてサザエさん一家像へと続く。前夜に一寸覗き見した時には、馬の頭の像に、プロジェクション/マッピングが施され面白かった。スキージャンプ台では、スノボーやフリースタイルのスキージャンプをジュニアー選手が見せていた。

 サザエさん一家
 マニラ大聖堂
 札幌平岸高校制作 ユネスコ寺子屋プロジェクトに参加しよう
 春日大社・中門
 市民の広場
 ばん馬競走

ひと通り見たら小腹がすいたので、食の広場でホタテの味噌汁と焼き物のセットを注文し、待っているところに鈴木宗男氏と鉢合わせした。精力的な活動は、映像そのままのイメージである。握手をしたが、慌てていたので手袋をしたままでやってしまった。失礼したとちょっぴり後悔。
さらにここで、焼き牡蠣、海産物8点盛りを食す。みんな安くて美味い。行列をして買う。「雪」の部分より「祭り」の部分に力を入れているように見えた。子供スケートリンクや雪像舞台でのクイズなど要素は揃っていた。
市民広場の雪像が崩れていた。2,3日前の雨で傾いたので危険防止のため崩したとのこと。公園周りは除雪がされていたが、市は一冬1000台のダンプ、50億円の予算で雪かきをするとのこと。それでもメイン通りだけで、脇道や路地は雪が積もっていた。我々には想像ができない雪との戦いである。

 食の広場入り口 呼び込みもすごい
 焼き牡蠣
 海の幸8点盛り

多くの観光客を呼ぶための工夫が見られたが、本来の素朴な雪像鑑賞から少し離れているように感じた雪祭りであった。タクシー運転手の話では、この雪まつりが終わればさっぽろは3週間くらいで春がくる。雪が溶け始める「それまでひと時の辛抱だ」、そうである。

 大ジョッキ片手に
 氷像の数々

旧友と

2015-03-02 15:37:10 | 行ってきました
 庵主様の遺影とともに
 夕食はみんな一緒に

私には学生時代、高校・大学7年間一緒に過ごした友がいる。青春時代を過ごした友人は他には代えがたいもので、一生の友と言えば彼だというふうに私は感じている。
大学4年間、同じ下宿の同じ部屋で過ごし、起居を共にした。そこへ農学部の後輩が入ってきた。その男とも親交を結び学生時代の思い出を作った。未来を夢見て一生懸命生きていた時代の仲間とはいつもどこかで心が通じている。

受験の時、学校の近くの尼寺に厄介になったのだが、そこの庵主様が文字通り慈母のような方で心が広く、学生の頃何かというとおじゃまをして相談に乗っていただいた。下宿先も、アルバイトの家庭教師先も紹介して頂き、それはそれはお世話になった。今はその時代やんちゃだった女の子があとを継ぎ、当時の素行からは信じられないような立派な尼さんになっている。愛情の力をまざまざと感じさせるような先代の生き方は、お説教を一度も受けなかったが心に染みている。その当代の庵主様から昨年、先代が99歳6ヶ月でお亡くなりになったという知らせを受けた。そこでお世話になった我々3人でお悔やみを申し上げに伺ったのである。

 新装なった広沢寺本堂
 山門
 現住職とともに
 鐘楼

その寺の本家筋に当たる、松本藩主小笠原家の菩提寺であるお寺の一室に、我々は下宿をさせてもらった。本堂裏の三の間というところで、障子一枚が外との境であったが、12畳あり隣の部屋と合わせると24畳に二人で起居した。議論好きな我々は夜中まで大声で議論をしていたので、寺の人は毎晩二人が喧嘩をしているのではないかと気にかけてくれていたそうである。

さて訪問当日はまずは尼寺にお悔やみに伺い、現庵主様のお話を伺ったが、しみじみと偲ばれて曰く、「やっとこの頃写真の前で話しかけられるようになった。」「あんまり悲しくて、四九日の法要もする踏ん切りがつかなかった。一ヶ月遅れでやっとできるような気がしている」とおっしゃった。日々亡くなった方を御送りしている方がこれほどというのだから、よほどその悲しみは深かったのだろう。

 旧松高校舎
 ヒマラヤ杉の陰は今も濃い
 県の森の欅

我々が通っていた近くの校舎にも立ち寄った。やはり旧友と来てみるとついこのまえにも来たばかりであるが、やはり違う。大きくなったヒマラヤ杉、寮舎前の欅林にも語りかけられているような気さえした。
学生時代とほとんど変わっていない自分を見て、進歩がないのか、若さを保っているのか、戸惑うばかりである。

それにしても旧友二人との旅は楽しかった。