ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

心を作るもの 映画『ふたりの桃源郷』

2016年11月04日 | 通信-音楽・映画

 小さなシネコンである桜坂劇場は、会員に会員の誕生月の映画招待券を1枚くれる。私は桜坂劇場の会員(古くからの)であり、私の誕生月は10月なので、9月に送られてくる劇場からの便りに10月一杯使える映画招待券が1枚同封される。今年も来た。
 雨が多かったせいで畑仕事が大幅に遅れており、映画を観に行く余裕は無い。が、雨の日ならどうせ畑仕事はできないので、雨の日に映画鑑賞と決めていた。
 10月14日、夜中の大雨が続いて朝も雨。で、畑仕事は休んで午後は映画とする。その日は金曜日だったのでネット環境である従姉の夫の事務所へ行き、ガジ丸HPとブログをアップして、アパート探しをして、家に帰って、昼飯食って11時25分に家を出る。映画は12時開始、桜坂劇場までは20~25分ほどだが、余裕を持ってのこと。
 県道330号を南下する。ところが途中から渋滞。家から桜坂劇場までの道程の三分の一辺りの地点から渋滞。混む時間帯ではないし、混み方が尋常ではない。想像するに、おそらく事故と思われた。そこからノロノロ運転となり、家から桜坂劇場までの道程の中間地点辺りでついに映画の始まる時刻の5分前となった。映画は諦めてUターン。

 観たい映画は21日までは日中の上映であったが、それ以降は夜の上映となっていた。夜は外に出たくないので10月18日、畑日和であったが午後から映画を予定する。その日はまた、母の命日でもあり、首里にある寺へ行く用もあった。寺から桜坂劇場へは歩いて20分ほどだ。寺に車を駐車して、映画館まで歩いて往復という計画。
 トートーメー(位牌)に母の好きなワインとフランスパンを供えウートートゥ(祈りの言葉)。寺務所へ行って、以前から美人だと思っていた事務のお姉さんに、映画観に行って帰るまでの間の駐車許可をお願いする。快く了解してもらったのでそのお礼に「賄賂です」と言ってシブイ(トウガン)とオクラ数本をあげる。そんなこんな(美人と会話がしたいという邪な想いから)に時間がかかって、徒歩では映画に間に合わなくなってしまった。ということで、バスに乗って桜坂劇場へ、上映開始時刻にギリギリ間に合う。
     

 ダラダラとどうでもいい前置きが長くなったが、その日観た映画は『ふたりの桃源郷』というドキュメンタリー映画。電気も水道も無い山で暮らす老夫婦のお話。
 「畑を耕し、山の恵みを採取する生活」に興味を惹かれ、「電気も水道も無い生活」には大いに興味を惹かれて、「観たい」と思った。いつか私もそうしたいので。
 先ずは、老夫婦の元気さに勇気付けられる。身体を動かしていれば歳取っても元気でいられる、元気なので畑仕事を続けることができる、畑仕事をするので元気、という見事な健康スパイラル。「よっしゃ!俺の未来もそう暗くは無いぞ」と勇気を貰った。
 老夫婦は全くの野生暮らしというわけではない。水は湧水を引いており、電気は発電機を使用している。時々町へ下りて、年金を引き出し米などを買っている。時には子や孫たちが訪ねてくる。ではあるが、質素で、二人きりの時間が多い。そして、二人きりの時間が素敵。お互いを信頼し合っている長年連れ添った夫婦じゃないとできないこと。
     
 長年連れ添った妻が私にはいない。したがって、老夫婦のような幸せな時間を持つことは、私にはできないこと。体は食べ物で作られるが、心は食べ物では作られない。心は他者との関わりで作られる。ということを思い知らされた映画でもあった。

 記:2016.11.4 島乃ガジ丸


洋楽オンチの訳

2016年10月21日 | 通信-音楽・映画

 先週のガジ丸通信『本音の歌、建前の歌』に「私の流行歌はキャンディーズ、ピンクレディー、吉田拓郎、井上陽水あたりで止まっている。その後、私の興味は高田渡、友部正人、いとうたかお辺りへ向かい、オジサンとなってからは私の音楽趣味はクラシック、ジャズ、沖縄民謡がほとんどとなり・・・」と書いているが、
 小学校、中学校、高校にかけてはテレビの歌番組も大好きで、よく観たり聴いたりしていたので、その頃の流行歌は今でも覚えているものが多くある。歌手名で言うと、フランク永井、橋幸雄、舟木一夫、西郷輝彦、三田明、美空ひばり、江利チエミ、園まり、ちあきなおみ、越路吹雪、GSバンドのいくつか、などなど数え上げればきりがない。
 ただ、私は洋楽についてはほとんど知らない。友人達の多くが夢中になっていたビートルズでさえも好んで聴くということは無かった。有名なベンチャーズもローリングストーンズも、その作品は、「あー聞いたことがある」ものは2、3曲あるだろうが、タイトルは何一つ思い出せない。私は間違いなく洋楽オンチである。
 ちなみに、ここで言う洋楽とはポップスのことで、日本語で言えば「西洋の流行歌」であり、クラシックや古い映画音楽、ジャズやブルースなどの洋楽は少し知っている。
     

 高一の頃、クラスにT子という運動神経抜群の、さっぱり性格の女子がいて、私は仲良くして貰っていた。彼女から『ノックは3回』とかシルヴィーバルタンとかを教わった。しかしながら、彼女から洋楽の録音テープをいくつも貰ったけど、私はそれらのほとんどを覚えていない。何言ってるか解らない歌、私の好みにはならなかった。
 そんな中、彼女が「これいいよ」と強く勧め、歌詞の意味も教えてくれたのがあり、洋楽オンチの私でも「オッ!」と思ったのがある。ボブディランの『風に吹かれて』。彼女から聞いた歌詞も良かったが、少ししゃがれた声、語るような歌い方に惹かれた。
 ボブディランがノーベル文学賞受賞というニュースを聞いて、T子を思い出した。高校卒業後の40年ほど前、東京高円寺で偶然会ったきり会ってない。その後、結婚し、アメリカで暮らしているという噂を聞いた。元気かなぁ・・・という話は置いといて、

 ボブディランがノーベル文学賞受賞というニュースを聞いて、「画期的なこと、良い事じゃないか、あって然るべき」などと思い、そして、もう1つ思うことがあった。
 先週のガジ丸通信『本音の歌、建前の歌』に「A先輩から高田渡、友部正人の存在を教えて貰い・・・」と書いているが、その時聴いたLPレコードは、高田渡の『系図』と友部正人の『にんじん』であった。私は彼らの歌に感動した。特に、友部正人の歌は、これまで私が聴いていたフォークソングとは異質であった。彼は詩人であった。
     
 ボブディランの歌が文学なら私が感動したシンガーソングライター友部正人も文学ではないかと思い、そして、「あー俺は、音楽を音としてでは無く、言葉として聴くのが好きなんだ。だから、言葉の意味が判らない洋楽が苦手だったんだ」と気付いた。
 先週金曜日、ネットのニュースで「ボブディランがノーベル文学賞受賞」を見ながら、今日家に帰ったらギターを弾いて『にんじん』やら『一本道』など歌ってみようと思い、その通り、家に帰ってギターを手にし、歌ってみた。歌は覚えていたが、長い間声を出して歌うことをしてこなかったせいか、声が出なかった。使わぬ筋肉は衰えていた。

 記:2016.10.21 島乃ガジ丸


本音の歌、建前の歌

2016年10月14日 | 通信-音楽・映画

 6月17日付ガジ丸通信『懐かしの漫画青春』でガロという漫画雑誌に触れたが、「ガロって今もあるのかなぁ」と思ってインターネットで調べた。ガロは残念ながら既に廃刊されたようだ。その後継雑誌はあるようだが、私は既に漫画への興味が薄れている。
 インターネットでガロを調べている時、「ガロ系」という言葉を見つけた。ウィキペディアによるその説明は「漫画雑誌『月刊漫画ガロ』および1998年から青林工藝舎によって刊行されている漫画雑誌『アックス』などに掲載された特殊な漫画作品、ないし、その作家である個性派の特殊漫画家、またその作風を指す特殊な表現」とのこと。
 ガロの好きだった私は、「そうか、俺は個性派が好きなんだ」と簡単に片付けてもいいのだが、何故、私は個性派が好きなのかをちょっと考えてみた。

 自分の感性、思想を絵や文章で表現し、表現したものを世に出し他人の評価を得るということをガロに投稿する作家たちはやっている。私が考えるに、おそらく彼らの優先順位は第一に「表現すること」、次に「世に出すこと」、最後に「他人の評価を得る」ことではないかと思う。売れる漫画を描くのではなく描きたい漫画を描くということ。「俺の漫画が一般受けする訳が無い、だからガロに投稿しよう」という人もいただろう。
 私は漫画に精通しているわけではないので、上の考えが正しいかどうかについては自信が無い、私がそう思っているというだけである。同じ考えで、私は美術に精通しているわけではないが、私の好きな画家、熊谷守一も私が思うに、彼の優先順位の第一は「表現すること」であって、売れる絵を描くのではなく描きたい絵を描いたのだと思う。
 私はまた、音楽に精通しているわけでもない。私の流行歌はキャンディーズ、ピンクレディー、吉田拓郎、井上陽水あたりで止まっている。その後私の音楽趣味は高田渡、友部正人、いとうたかお辺りへ向かい、オジサンと呼ばれる年齢になってからはクラシック、ジャズ、沖縄民謡となり、洋楽も和楽もポップスはほとんど聴いていない。
 そんな私がまたも大胆なことを言うと、流行歌(ポップス)のほとんどは建前の歌ではないかと思っている。「他人の評価を得る=売れる」を第一の目的にしたもの。私の評価ではそんな歌はつまらない。私が聴いて面白いと思うのは本音を語った歌となる。
     

 若い頃好きだった女性がいる。彼女とは恋人付き合いではなかったが、何度かデートをしており、これまでの私の人生で手紙葉書のやり取りが最も多い人だ。彼女とは高校生の頃からの付き合い。何故手を出さなかったんだというと、今考えるとバカみたいなことなんだが、彼女が「私、さだまさしの歌が好き」と言ったことも理由の1つ。
 「えっ、何であんな変なの?感性が俺とは離れている」とバカな男は思ったのである。私は、ファンの方には申し訳ないが、少年から青年の頃の私は、彼の歌は気持ち悪いと感じていた。ゴキブリが好きという男とは付き合えないというのと一緒、かな?違う?
 何はともあれ、今考えるとそれは全くたいしたことでは無い。音楽の好みのほんの1つに過ぎない。しかも、好みは年を経て変わることもある。その人の感性の本質を表すものでは無い。・・・と今では判断できるのだが、少年はバカだったのである。
 彼女と2人、A先輩から高田渡、友部正人の存在を教えて貰い、そのレコードを借りダビングしてくれたのは彼女だった。私の本音を言うと「後悔している」となる。
     

 記:2016.10.14 島乃ガジ丸


往年の名作・オジィの魔法使い

2016年09月23日 | 通信-音楽・映画

 私は中学から高校にかけては映画大好き少年だった。母の職場が映画館を経営する会社だったことから毎月映画招待券を貰ってきていて、そのほとんどを私が使った。
 中学生の頃には、一緒に住んでいた従姉Mが「映画音楽大全集」というLPレコード10枚(もっとあったかも)組を購入し、それも私は何度も繰り返し聴いていた。大全集には名作と言われていた映画、アカデミー賞とかカンヌ映画祭とかベネチア映画祭とかで賞を取った作品の音楽が収められていて、まだ観ぬ映画を想像しては楽しんでいた。そういった往年の名作がリバイバル上映されると期待に胸ふくらませ観に行っていた。
 『サウンドオブミュージック』、『ウェストサイド物語』、『風と共に去りぬ』、『ベンハー』、『大脱走』、『史上最大の作戦』、『真昼の決闘』、『荒野の七人』、『荒野の用心棒』、『シェーン』、『大いなる西部』、『汚れなき悪戯』、『ロミオとジュリエット』、『エデンの東』、『チキチキバンバン』など、数え上げればきりがない。
 「映画音楽大全集」のお陰で、今でも覚えていて、口ずさめる映画音楽も多くある。例えば、とこれも挙げればきりがないので止す。中学3年生の時、クラスにYという西部劇マニアの友人がいて、互いに映画のタイトルを言い、そのテーマ音楽を口ずさむというゲームをやっていた。彼とは、ロバートレッドフォードが運転する自転車の前輪の上にまたがったキャサリンロスのスカートが捲り上がって中が見えたかどうかで話が盛り上がったこともある。その映画とは『明日に向かって撃て』、音楽は『雨に濡れても』。
     

 往年の名作と評価される映画で「観てみたい」と思った映画は若い内にその概ねはリバイバル上映か、テレビの映画番組かで観ているが、オジサンとなってからは邦画を好むようになり、特に小津安二郎の淡々が好きになり、派手な洋画は好まなくなった。
 それでも、最近、懐かしい映画タイトルを見て、ノスタルジーに浸りたいという気分になることもある。ノスタルジーに浸りたいって・・・オジサンからオジィになりつるある証拠かもしれない。近くの宜野湾市民図書館には古い映画のDVDも置いてある。この3年間でたくさんのDVDを借りて、まだ観ぬ往年の名作もいくつか観ている。
 『誰が為に鐘は鳴る』、『波止場』、『そして誰もいなくなった』、『ドクトル・ジバコ』、『王様と私』、『オズの魔法使い』、『お熱いのがお好き』、『ニューシネマパラダイス』、『ジキル博士とハイド博士』、『オペラ座の怪人』、『上海特急』など。しかしながら、この中で早回しすることなくちゃんと観たのは『オズの魔法使い』だけ。
     

 それまで生きていればの話だが、10年後、私は紛う事無きオジィになっている。もしも20年後まで生きていたとしたら、なおかつ、元気に畑仕事を続けているとしたら、作物を毎日眺め、勝手に生えてくる雑草も毎日眺め、作物に集ってくる虫たちを眺め、畑にやってくる鳥や他の動物たちと挨拶を交わし続けている私はきっと、ちょっとした魔法は使えるような白髪(禿げていなければ)白髭のオジィになっているはず。
 親戚や友人達の曾孫が時々訪ねてくる。オジィの魔法使い(私)は、畑のエダマメを少し収穫して、それを手で握りしめる。数分後に手を開くとエダマメは焼き上がっている。子供達はそれを見て「すごいぃ!」と言い、エダマメを食べて「美味しいぃ!」と言う。なんていう妄想もしたが、『オズの魔法使い』は今も紛う事無き名作だと思った。
     

 記:2016.9.23 島乃ガジ丸


砂糖の映画

2016年09月16日 | 通信-音楽・映画

 7月の中頃に桜坂劇場の会員更新へ行った。更新時に映画招待券2枚を貰う。2枚とも有効期限は2ヶ月、確認すると期限は9月14日であった。「使わなきゃ」と思いつつ、酷暑に疲れ畑仕事を終えると外出する元気がなく映画は延期していたが、やっと8月29日にその内の1枚を使い、そして今週火曜日(13日)に残りの1枚を使った。
 その日観た映画は『あまくない砂糖の話』、2014年のオーストラリア映画だ。大雑把に言うと「砂糖がいかに人間の体に悪いかを証明する映画」となる。
 桜坂劇場では他にも面白そうな映画をやっていたが、砂糖の映画を選んだ理由は、つい最近、砂糖(私の場合は液糖となる)を自産したから。私自産の液糖は体に良いものではないかと感じたから。砂糖(精糖または白糖)とは違うのではないかと思い、「じゃあ、何でお前(私のこと)は白糖が身体に悪いと思っているんだ?」と自問し、「詳しく知らないぞ、調べてみよう」と思ったら、参考になりそうな映画をやっていたわけ。
     

 映画の評価は後回しにして、先ずは砂糖の基本、言葉の意味を広辞苑から。
 糖:水にとけて甘味を呈する炭水化物
 砂糖:蔗糖(サッカロース)を主成分とする甘味料。
 粗糖:甘蔗の茎を圧搾した汁に石灰乳を加え、不純物の大部分を除去した糖液から結晶させたままの、精製していない蔗糖。糖分96パーセント。
 精糖:粗糖を溶解して不純物を除いて脱色し、濃縮して結晶させた白砂糖。精製糖。
 葡萄糖:葡萄・イチジク・柿などの果実や蜂蜜など、および人体の血液中にも一定量が含まれる単糖の一種。自然界に広く分布し、・・・(後略)。
 果糖:白色粉末で、水に溶解し糖類中甘味が最も強い。果実・蜂蜜中に存在。

 子供の頃、私はケーキが好きではなかった。甘いものが嫌いというわけではない、チョコレートは食べたし、ジュース類は好んで飲んでいた。ただ、駄菓子屋のお菓子では、しょっぱい系の塩せんべいやイチャガリガリ(イカを揚げた物)を好んだ。オジサンと呼ばれる歳になってからは和菓子を好んで食うようになり、畑仕事で汗をかくようになってからは洋菓子も好んで食べている。夏は甘いお菓子をほぼ毎日のように食べている。
 身体が欲するものは食べても良いものと私は思っているので、白糖(お菓子類は概ね白糖が使用されている)を摂取することに何の抵抗もない。しかし、白糖(20年以上も前から家には置いていないのでできないことだが)を舐めることには抵抗がある。でも、自作ウージ液糖を飲むことには抵抗がない。両者にはたぶん、大きな違いがあるはず。
 私のウージ液糖は粗糖になる前の状態。飲むと味がある、ただ甘いだけでは無い。それはたぶん、精製塩では無い自然塩を舐めた時に感じるものと同じものであろう。同様に、それはまた、私の大好きな日本酒、米粒をほとんど削らずに造る雑味たっぷりの日本酒を飲んだ時に感じるものと同じものであろう。旨いのだ、洗練されていない雑味(不純物)こそが味の元であろうと私は思う。そして、その雑味は健康にも関係すると思う。
 映画では「果糖」が悪さをすると描き、その摂り過ぎを注意し、現代人は異常に摂り過ぎていると語る。「その通りだ」と納得。ただ、例えば、果糖を多く含むリンゴには他の成分(雑味)も含まれている。丸ごと食えばちっとも悪くないと私は想像する。
     

 記:2016.9.16 島乃ガジ丸