ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

逆風に耐える力『FAKE』

2016年09月02日 | 通信-音楽・映画

 9月中頃が期限の映画招待券を1ヶ月ほど前から2枚持っていた。「使わなきゃぁ」と思っていたのだが、炎天下での畑仕事を終え家に帰ると、心身ともグッタリして外に出る元気がない。で、映画鑑賞は延び延びになっていた。
 8月も終わりに近付いた今週日曜日(28日)、沖縄を避けUターンしていった台風10号の影響か、北寄りの風が涼しく私はぐっすり眠ることができ、翌朝はスッキリ目覚めであった。「よし、今日は元気だ、午後から映画を見に行こう」と決めた。
 映画を観るだけのために那覇へ出かけるのはガソリンが勿体無い。質素倹約を生活信条としている私は、那覇へ行くついでの用事をあれこれ考えた。
 2014年の年末、大掃除をしている時に壁の額(絵画)を誤って落として、その下にあった壁に掛けてあるギター、さらにその下に立ててあったサンシンを壊してしまった。両者ともチューニングする部品の一部が壊れてしまった。桜坂劇場の近くに老舗の楽器店がある。そこへ寄ってそれぞれの部品を購入することをついでの用事にした。
     

 さて、どうでもいい前置きが長くなってしまったが、その日観た映画は『FAKE』、数日前にラジオ番組で話題になっていたので、これにしようと決めていた。FAKE、英語で「偽物」とか「ペテン師」とかいった意味だ、興味は湧く。
 映画の内容を大雑把に言えば、2014年に世間を騒がせたある事件があり、一方の当事者を取材し、事件を検証したもの。2014年の事件(ゴーストライターがどうのこうの)については、私はほとんど知らない。映画の中で描かれているのを観ながら「そういえば、ラジオのニュースでもやっていたなぁ」といったおぼろげな記憶しかない。
 映画のチラシには「誰にも言わないでください、衝撃のラスト12分間」と謳い文句があった。であったが、私にはその意味が解らなかった。私の心には衝撃を与えなかった。それはたぶん、事件のいきさつを知っていないと解らないことなのかもしれない。
 ラストシーンは監督からの質問に答えを逡巡する主人公の表情をしばし映して、答えないまま終わる。事件のことを知らない私だが、誰がペテン師なのか判断できない私だが、監督の質問に「そんなこと無い」と即答しない主人公に好感を持った。何かはあるのだ、例えば「じつは、クラブのホステスに貢いでいる」とか、「じつは、先週、浮気した」とかだ。そんなこと告白すると世間の評判ガタ落ち、妻にも愛想尽かされるのでそんなこと言えない。彼がペテン師だとしても、「正直者のペテン師なんだ」と私は感じた。

 映画の後半になって私は何度かナダ(涙)ウルウルした。ウルウル場面の概ねは主人公の女房の見せる表情と語る言葉であった。夫を信頼しているその愛に私は心を打たれていた。「いいなぁ、こんな夫婦、こんな女房なら結婚もいいかもなぁ」と思った。
 ラスト12分間に何の秘密があったのか不明だが、その12分間にも、妻の夫に対する信頼と愛を感じる場面がいくつかあった。私はナダ(涙)ウルウルした。「こんな人が傍にいたらどんな逆風にあっても耐えることができるかもなぁ」とも思った。
 『FAKE』、ペテン師は誰かというより夫婦愛の映画だと私は強く感じた。確か、映画のラスト12分間の中でも監督がそのようなこと語っていたはず。森達也監督、感性の良い人だと思った。『FAKE』、私にとって久々に見応えのある映画となった。
     

 記:2016.9.2 島乃ガジ丸


寅さんは人間卒業

2016年08月05日 | 通信-音楽・映画

 後期オジサンの今、私はスポーツ芸能全般に関心が無い。前期オジサンの頃からプロ野球も大相撲も観なくなっている。プロ野球で言えば落合博光が中日の監督であった頃を知っている。巨人軍の前の監督原は現役の頃を知っているが、今の監督の現役の頃を知らない。大相撲で言えば若貴の頃から興味を失くしている。ラジオからオリンピックの話題が流れてくるが、今のオリンピック代表選手の、おそらく全てを知らない。
 前期オジサンの頃から芸能界にも興味を失くし、私が最後に観たテレビドラマはおそらくNHKの『ちゅらさん』だと記憶している。流行り歌はもっと前から関心が無く、今頭に浮かぶ私の中で最も新しい古い歌は、友人の息子にこの2曲のギター伴奏を教えていたこともあって、スマップの『夜空の向こうで』と森山直太郎の『さくら』だけ。
 テレビドラマも歌番組も観ないけれどバラエティー番組は、前期オジサンの頃まではたびたび観ていた。後期オジサンになってからも2011年7月まではちょこちょこ観ていて、朝の『めざましテレビ』、昼の『笑っていいとも』、夜の『からくりテレビ』などが私のお気に入りであった。そのお陰で若手のタレント芸人なども知っている。例えば、最近話題となったベッキーを知っている。しかし、それ以降の若手は知らない。

 少し前に永六輔の訃報があり、その後、大橋巨泉の訃報があった。私の青春時代、この2人は私がよく知っている芸能人トップ10に入るのではないかと思う位、彼らのラジオを聴いていたしテレビを観ていた。先日は千代の富士の訃報があった。私の青春時代、彼は私がよく知っているスポーツ選手の1人で、大相撲ではNO1の人。私の青春時代が次々いなくなっていく。昭和が遠くなっていく感じがし、寂しさも感じてしまう。
 子供の頃の私はテレビ大好き、スポーツも大好き、流行り唄も大好きだった。コント55号もドリフターズも、ウルトラマンもアニメも大河ドラマも大好きだった。長嶋、王、金田、村山、安仁屋、大鵬、具志堅用高などに興奮した。『帰ってきた酔っ払い』、『小指の想い出』、『サヨナラはダンスの後で』などは今でも歌える。
 子供の頃、『泣いてたまるか』という概ね1話完結のテレビドラマがあり、私は大好きでほとんど欠かさず観ていた。渥美清はその主人公の1人であり、私は渥美清も大好きとなった。電車の中の渥美清、ふと目を向けたその先には女のおっぱいがあり、ついふらふらと痴漢してしまい、警察に捕まり、情無い状況になるという1話を覚えている。
     

 昨日8月4日は渥美清の命日であると、ラジオから聞こえた。亡くなったのは1996年、享年68歳とのこと。68歳は、あまり世の中の役に立っていない私のような人間にとっては「まぁいいか」という歳だが、才ある人には若過ぎる死だ。
 子供の頃ファンになった渥美清だが、その代表作『男はつらいよ』シリーズを私は5~6作しか観ていない。ということで先日、宜野湾市民図書館から『男はつらいよ』の1作を借りて観た。1980年公開の、沖縄が舞台となった『寅次郎ハイビスカスの花』、久々、20年ぶりくらいの『男はつらいよ』だったが、十分に楽しめた。
 フーテンの寅、車寅次郎は魅力的な人間だと思う。車寅次郎をこの世に生み出した渥美清は偉人である。偉人は若くして亡くなったが、それはきっと、神から「あなたは人間卒業です」と卒業証書を得たのだと思う。大横綱千代の富士もそうなのだと思う。
     

 記:2016.8.5 島乃ガジ丸


ヨガという瞑想

2016年07月29日 | 通信-音楽・映画

 今年の沖縄は6月から糞暑い、夜も暑くてぐっすり睡眠ができていない。7月に入るとさらに暑くなって、夜も糞暑くて何度も目が覚めるグダグダ睡眠が続いている。
 時々、手首血圧計で血圧(脈拍数も)を計っているが、私は血圧が高い、元々高い、150超えが続いている。いつから150超えなんだろうと日記を調べてみた。2014年1月からだった。それ以前も高めだ、ほぼ140超えとなったのは2007年1月から、高血圧歴9年半というわけである。それ以前は130台と140台が半々であった。
 高血圧は脳や心臓疾患になるリスクが高いことも知っている。ではあるが、血圧が高いのは9年半の経験で慣れっこになっていて、今のところ、胸が苦しいとか眩暈がするとかも無いので、血圧の高さは気にしないことにしている。それよりも最近、脈拍数が多いのが気になっている。平常の私の脈拍数は60前後であるが、6月は65前後となり、7月に入ると、何と70前後になった。「これはきっと心臓の過重負荷だ」と心配。

 「そういえば最近、腹式深呼吸も瞑想もまともにやっていないなぁ」と思い出した。私の経験では20~30分程度の腹式深呼吸をやれば血圧は10ポイントほど下がる。同じく20~30分程度の瞑想をやれば心拍数も下がって行く。
 「そういえば最近」の最近は、はっきり覚えていないが、たぶん、1年くらいはご無沙汰しているはず。今年6月になって、暑苦しさで4時頃目を覚ました時があって、その時に「久々にやろう」と腹式深呼吸にトライした。10分もしない内に眠っていた。
 同じようなことが7月に入ってもあった。その時は腹式深呼吸ではなく瞑想。その時既に脈拍数が70前後となっていたので、「血圧を下げることよりは心拍数を落ち着かせることが先だ」と思ってのこと。その瞑想もまた10分と続かず私は眠っていた。

 脈拍数が多くなったのは6月から。つまり、暑くて寝苦しくてグダグダ睡眠となって、毎日が寝不足状態となってからだ。寝不足は健康に悪いはず。心臓にも負担がかかるので脈拍数が増えていると思われる。それでも、この糞暑い中、畑仕事は続けている。
 グダグダ睡眠が続いて、毎日のように寝坊して、畑への出勤が7時頃(夏農夫の予定では6時前出勤)となって、畑も暑くて11時頃にはフラフラとなって、グダグダ作業が続いて午後1時頃には家に帰って、家も暑くて、少し昼寝した後、ダラダラと引っ越し(予定、いつになるやら)準備と、そのついでのダンシャリ作業をしている。
 7月15日、「俺はたぶん疲れている」と思い、畑へはオクラ収獲のため30分ほど寄っただけで、畑仕事を久々に休んだ。そして、「健康のためには瞑想は大事だろう」と思っていて、たまたま、桜坂劇場でその類らしき映画をやっていたので観に行った。良い映画を観て、身体だけでなく心もリフレッシュしようという魂胆であった。

 その日観た映画は『永遠のヨギー』。ヨガの達人がアメリカ合衆国に渡って布教活動するというお話。ヨガに対する私の認識はずいぶん前から決まっていた。「瞑想の1種」という認識だ。しかし、『永遠のヨギー』を観て、その認識は少し変わった。主人公のヨギー(ヨガをする者)はヨガの目的は「神を感じる」ことであると語っていた。彼はまた、ヨガによる調和と愛も説いていた。ヨガは平和と愛を望む「宗教の1種」であった。
     
     

 記:2016.7.29 島乃ガジ丸


いいとも

2016年05月20日 | 通信-音楽・映画

 歳取ると共に月日の流れが速くなると言うが、それはもう、私は充分に実感している。ついこのあいだ、年末大掃除をした感覚なのに、もう既に5月下旬になっている。
 それはさておき、先日、といっても2ヶ月ほど前、ラジオから聞こえてきた言葉に違和感を感じた。ラジオから聞こえてきたのは「ギブソン」と「マーチン」。私も若い頃はギター少年だったので、それがギターのメーカーであることは知っている。しかし、その発音が、「ギブソン」はソンの方を高く、「マーチン」はチンの方を高く発音していた。私の知っているギブソンはギにアクセント、マーチンはマにアクセントがあった。
 このごろ、といっても何年も、あるいは2、30年も前からかもしれないが、名詞だと後ろの方にアクセントを置いて発音することが流行となっているみたいである。
 「笑っていいとも」と言う時、「いいとも」の最初の「い」にアクセントがある。ところが、「笑っていいとも」を略して「いいとも」と言う時、オジサンは変わらず「い」にアクセントを置くが、特に、若い女性たちは「とも」の方を高く発音する。初めの頃オジサンはそれに違和感を感じていたが、年月を経て、今では気にならなくなった。
     

 2011年7月末日からテレビを観られなくなった私だが、その前まではちょくちょく観ていた。アンテナの都合でチャンネルはほぼ8(フジテレビ系)に固定し、朝は『目覚ましテレビ』を見て(観るほど集中はしていない)、夕方帰宅するとフジテレビのニュースを見る。若い頃はドラマも観ていたが、オジサンとなってからはバラエティーを観る程度で、それ以外だとテレビを消し、音楽を聴いている時間が多かった。
 過日、といっても2年前、2014年3月のこと。それ以前に、長年続いていたテレビ番組『笑っていいとも』が終了するという噂を聞いていた。「あー、いいともが終わるのか、残念だなぁ、始まって30年以上経つのか、俺も年取るはずだ」と思った。
 職場が家から近く、昼食は家で摂ることが多かったこともあり、お昼の『笑っていいとも』はよく観ていた。『いいとも』のお陰で今どんな芸人やタレントが旬であるかを知ることができたと言っていいのだが、『いいとも』の魅力はやはり、MCのタモリにあると思う。タモリの知的で斜に構えた、乾いたユーモアが私の笑いの壺にピッタリ嵌った。笑いの壺に嵌ったといっても大笑いすることは無く、ニヤリとした笑い。

 タモリのユーモアセンスが好きなので、タモリの出演する他の番組も良く観ていた。特に、『今夜は最高』は大好きであった。その番組ではニヤリ以上の笑いを、私は1人の部屋で何度も発していたと記憶している。『今夜は最高』は最高のショー番組と私は評価していたのだが、ところが、いつのまにか終了していた。「何で?あんなに面白いのに」と不思議に思い、『今夜は最高』の最後を観ていないことを残念に思った。
 それもあって、『笑っていいとも』が終了するという噂を聞いて、その最後の特番くらいは観ておこうと従妹の娘S嬢にその録画を頼んだ。S嬢は特番だけでなく、最後の1週間分の『いいとも』も録画してくれていた。今年3月になってやっとそれに気付き、その後数日かけて全部観た。最後の日のエンディング、明日は無いのに「明日も観てくれるかなぁー」とタモリが言う。いかにも彼らしいユーモアに観客が「いいともー」と応える。この時の「いいとも」は「い」にアクセントがあった。明日も続きそうに感じた。
     

 記:2016.5.20 島乃ガジ丸


出世を望まない侍

2016年05月06日 | 通信-音楽・映画

 2016年3月25日付ガジ丸通信『強い男が目指すもの』で「強くあるということは動物の雄としての本能かもしれない。愛する者がいる場合、それを守りたいという本能かもしれない。」と書いた。書きながらある映画のある場面が脳裏に浮かんだ。

 2003年2月1日、映画『たそがれ清兵衛』を観に行った。その日の日誌に、
 「いい映画だった。幸せとは何かということを考えさせられた。」と書き、その日の友人宛メールに「始まって5分もしないうちに私は涙」と送った。
 「始まって5分もしないうちに涙」の理由を、最近になって解ってきた・・・と、自分勝手な解釈かもしれないが、思うので少し述べたい。

 「始まって5分」は確かでは無く10分か15分くらい過ぎていたかもしれないが、それは、清兵衛が畑を耕しているシーン。そこで私は目が潤んだ。
 「食い物を自分で作る、俺と一緒だぜ、大変だよなぁ、手作業で畑耕すのは」と我が身も振り返り、清兵衛に同情して、目を潤ませた・・・のでは無い。

 『たそがれ清兵衛』については、2004年11月5日付ガジ丸通信『寅さんに培われた人間表現』でも少し触れている。『寅さんに培われた人間表現』は、映画『隠し剣、鬼の爪』を観て後、山田洋次監督作品を主題とした一文、その一文の初めに「純粋に作品の出来栄えだけでメールを書いてまで誉めた映画は、ここ数年間で2作品しかない。その2作品は『千と千尋の神隠し』と『たそがれ清兵衛』。」と書いている。ついでながら、山田洋次監督の時代劇第2弾『隠し剣、鬼の爪』については「私が贔屓目無しに友人たちにメールまで書いて誉める、3本目の映画となった。」と誉めている。

 さて、清兵衛が畑を耕しているシーンに私が目を潤ませたわけ、
 淡々と畑を耕している姿に私は愛を感じた。「家族を守る」ための淡々である。監督の演出が良いのであろう、また、役者(真田広之)の演技が優れているのであろう、清兵衛が子供達を見る表情に優しさを感じ、畑を耕している時の表情に「家族を守ることが我が幸せ」という信念を持っているように私は感じた。
 「家族を守ること」が「我の幸せ」で「我が道である」と信じ、淡々と生きていく男、それが強い男ということではないかとまで私の考えは及んだ。
          

 清兵衛は平役人の貧乏侍だ、なので、少しでも食費を浮かそうと畑仕事もしている。清兵衛は平役人の貧乏侍だが、剣の達人でもある。剣の達人であるならば、その道で出世する方策もあるであろうが、清兵衛は出世を望まない。贅沢をしなければ城に出て働いて、畑を耕していれば家族を守り、生きていけるであろうと思っているようだ。
 「出世を望まない」と書いて、「おー、これだぜ、これが侍だぜ」と私は思った。侍が望んでいるのは家族の幸せであり、その暮らしを守ることで、出世のことが心の多くを占めることはないのだ。剣の達人がその強さを保っているのは、それによって出世を得るということではなく、彼の強さは「家族を守る」ためだけにあるようだ。
          

 記:2016.5.6 島乃ガジ丸