3月11日付週一日記は『天からの警告』というタイトルで、「その夜も9時半頃にコロッと寝入った。ところが、いつも楽しい夢ばかり見ているのに、その夜は悪夢にうなされて何度も目覚めた。そんな夜が月曜日まで続いた。」と書いたが、その4日後、3月15日、畑仕事を午後2時頃には引き上げ、我が家の位牌を預けてある寺へ行って、祖父母の合同命日のウートートゥ(祈りの言葉)を行い、スーパーに寄って生活用品や食い物を買い、アパートに着いたのは午後5時頃。私の部屋は2階、階段を上がってその踊り場から、ツバメのような大きさと形をした白い鳥が飛んでいるのを見る。
白い鳥というとシラサギの類、白いハト、白いインコなどが思い浮かぶが、ツバメのような大きさと形をした白い鳥は、図鑑にも載っていない。4月8日付ガジ丸通信『一人だけど独りじゃない』の中で過去の不思議体験を書いたが、母が病に倒れるその2ヶ月余前に私は「悪夢にうなされて何度も目覚め」る体験をし、図鑑にも載っていない不思議な鳥を見ている。なので、この日の不思議な白い鳥も「何か悪いことが?」と思う。
そう思いながらもウチナーンチュらしく呑気な私は、3月17日、久々に映画を観に行った。去年10月26日の『シャーリー&ヒンダ』以来の久々。映画館は『シャーリー&ヒンダ』同様、桜坂劇場、私はもう長いこと桜坂劇場以外の映画館には行っていない。
観た映画は沖縄出身の若い(まだ大学生とのこと)監督の作品『人魚に会える日』。沖縄を舞台にした映画で、桜坂劇場のチラシによる紹介では「女子高生が・・・基地建設問題と向き合っていく様を描く・・・(監督の)基地問題に対する想いが凝縮された作品となった」とあった。それについての私の感想は、「どう思う?」と問題提起し、「明快な答えが見つからない」と答え、そのまま映画は終わったように感じた。
私の興味を引いたのは、基地問題よりもむしろ、普通の沖縄であった。映画の中の人々の会話は普通の日常で、特に、登場人物たちの喋っている言葉や喋り方には感心した。主人公のユメの喋る言葉、喋り方は、私の知っている女子高生とまったく同じで、大人たちの飲み屋での会話も同様、私のすぐ隣に存在する光景だ、セリフに違和感が無い。
というわけで、映画は「今、沖縄のどこかで実際に起きていることである」と私に思わせ、私をすんなりと映画の世界へ引き摺りこんでくれた。
映画はまた、普通の沖縄を表現しつつ、そこに普通でない沖縄も並行して見せた。登場人物の中に普通でない人も混ぜ込んだ。役者の数人を私はテレビや映画で過去に観ているが、「川満しぇんしぇー」と愛称される川満聡の演じる教師の気持ち悪さは、「お笑い芸人としても一流だが、上手い役者でもあるんだ」と感心させられた。もう1人、この世のものかと思わせる雰囲気を持った女性が登場する。「迫力あるなぁ、この顔」と感心したのだが、誰だか分からない。エンドロールを見て、歌手のCoccoだと知る。
元より不思議雰囲気を持っている役者たちの力もあり、普通の沖縄のすぐ傍に普通でない沖縄が存在しているということを映画は上手に表現していると私は感じた。
1週間ほど前の悪夢にうなされた日々、2日前の不思議な白い鳥、そこから9年前の不思議体験を思い浮かべつつ、映画を楽しむことができた。ただ、ラストシーンが意味するところを私は理解できなかった。何で助かったの?の答えが見つからなかった。
記:2016.4.29 島乃ガジ丸
約1ヶ月前の3月12日の夜、ラジオを聴いていると『アンパンマンのマーチ』が流れた。パソコンのキーボードを叩いていた私の指が少し止まって、「お、久しぶり、懐かしや」と思ってワンコーラス(しか流れなかった)聴いた。
その前日の3月11日は大震災のあった日で、大震災後の被災地では「アンパンマンのマーチ」が流れ、人々を元気付けたという。元気の出る歌だと、私も思う。
アンパンマンは言うまでもなく、作者はやなせたかし氏。そういえばと思い出した。1年以上も時間を費やしたブログの移動、修正作業をしている最中、「あれ?記事が無い」と、書いたつもりだけど載っていない記事がいくつかあるのに気付いた。気付いたものの一つに、やなせたかしがあった。パソコンの中を探すと、記事はあった。タイトルは『83歳の愛と勇気』で日付は2002年1月11日。文章はしかし最初の数行のみ。
「そうだ怖れないで みんなのために 愛と勇気だけが友達さ」と書いた詩人は、
「ミミズだって オケラだって アメンボだって みんなみんな生きているんだ」と書いた詩人でもある。詩人は漫画家でもある。漫画家は今年83歳になるが、まだまだ若々しく意気軒昂、夢も希望もたっぷり持ち合わせているといった笑顔をしている。
彼の根底にある思想は、手塚治虫や宮崎駿と同種である。生きとし生ける物すべてに、存在する意味があるという仏教の思想だ。彼の漫画に登場する悪役は、バイキンマンもドキンちゃんも、どこかカワイイではないか。
この後、『千と千尋の神隠し』にも触れ、やなせたかしを褒めるつもりらしかったメモ書きみたいな数行があって、しかし、記事は未完のまま、ずっと忘れられていた。
書きかけの記事『83歳の愛と勇気』は2002年1月、その時、やなせは83歳、それから11年余経った2013年10月13日にやなせは亡くなっている。それから数日以内に訃報を私はラジオから聞いている。聞いて、思うことは多くあった。
その少し前に友人の娘の結婚式があり、その少し後に母の命日があり、実家の売買でアタフタしていたこともあり、思うことを書いたのは1ヶ月ほど過ぎてから。
同年11月15日付ガジ丸通信『平和の権化』で、「私はゴキブリは即殺する。ゴキブリはバイキンの塊だ・・・やなせたかしはバイキンも殺さない。『手のひらを太陽に』には平和を感じるが、アンパンマンも平和だ。ミミズもオケラもアメンボも、そしてバイキンも友達にするやなせたかし、平和の権化だと思う。」と私は思いを書いた。
『手のひらを太陽に』は1965年の作品、その後全国に広がって、南の果ての島、まだアメリカ軍統治下の沖縄でも、子供達に覚えられ、歌われた。
アンパンマンがテレビアニメ化されたのは1988年のことなので、『アンパンマンのマーチ』が世間に流れたのも同じ頃であろう。その頃私は大人(まだお兄さん)なのでアニメを毎週は観ていないし、『アンパンマンのマーチ』も毎週は聴いていない。でも、すぐに、「おっ、子供の歌にしては鋭い歌」と感想を持った。「何のために生きるの」に深い思想を感じた。そして、軽快なテンポで「そうだ怖れないで みんなのために 愛と勇気だけが友達さ」と歌う。被災地も元気になる、救いの歌だと思う。
記:2016.4.15 島乃ガジ丸
私が会員となっている桜坂劇場、1年に1度の会員更新時に2枚の招待券を頂くが、誕生月にも1枚送られてくる。更新時の2枚のうち1枚は自分で使い、もう1枚は友人のK子にあげ、誕生日の1枚を「さてどうする?いつ観る?何を観る?」と考える。
貧乏農夫は一つの用事だけで那覇へ行くのを時間的にも金銭的(ガソリン代とかバス賃とか)にも勿体ないと思うので、映画だけで那覇へは行きたくない。「そうだ、車の点検があった」と思い出す。自動車整備場は那覇との境界近くの浦添市勢理客、そこへ車を預け、点検をしてもらっている間に映画鑑賞をするという計画を立てた。
もう一つ予定を考えた。整備場へ12時前に行き、そこに勤めている友人Zと昼飯、も考えたのだが、彼に電話すると「9月に辞職した」とのことであった。辞職の理由は「母の介護」で、「仕事を続けながら介護は体がきつくてな、年だな」と彼は言う。
「年だな」とZが言う通り、彼と同級生の私も日々年を感じている。その日整備場へ行く前、Zに電話する前、畑仕事を11時に切り上げ、畑小屋の中で着替えた(汚れた作業着で那覇へ出るわけにはいかない)。着替える際、財布やカギ類を作業ズボンから出し、ジーパンに履き替える。財布もカギ類も「忘れちゃいけない」と目立つところに置く。そして、小屋から出て、小屋のドアを閉め、南京錠をかける。荷物を持って車へ。
ポケットから車のカギを出す・・・無い・・・車のカギは家のカギと畑小屋のカギと一緒にキーホルダーでまとめてある。「あっ、小屋の中だ」と気付く。ズボンのポケットには財布も無い、「あっ、財布も小屋の中だ」と気付く。何たるドジ!
小屋に戻って南京錠を見て「あっ、小屋のカギも小屋の中だ」と気付く。合鍵を車の中に置いていたはずと思い出し車に戻る。合鍵は無い。「あっ、この間車の掃除をした時、合鍵を部屋に置いたままだ」と思い出す。まったく!何て不運。その後、小屋の窓をこじ開けようとあれこれ試行錯誤して、腕がやっと入るほどの隙間を開けて、手を伸ばして腕に擦り傷を負いつつカギを何とかゲット。ゲットするまでに30分かかった。
財布もカギ類も「忘れちゃいけない」と目立つところに置いたのに、それでも忘れた。脳味噌がふと空白になるのだろう。それはこの先年取るにつれて増えるのだろう。
話が逸れてしまった。自動車整備場へ車を預け、点検している間に映画鑑賞という計画は10月26日となった。その日観た映画は『シャーリー&ヒンダ』。90歳前後の婆さまシャーリーとヒンダ2人が「経済成長ってホントに必要なの?」と疑問に思い、その疑問を解くためにあれこれ行動するというお話。反骨の婆さまたちの物語。
「経済成長って必要なの?」は私も常々疑問に思っていたこと。生きるに十分の食い物があり、雨風凌げる家があり、大事な個所を隠し寒さを凌げる衣服があれば人は幸せに生きていけるのではないかと思っている。常に上を目指して走り続けなければならない社会は、もしかしたらそれこそ発展途上なのであって、完成された社会というのは、「平坦な道を傍の人と語りながら歩いていく、それで幸せとなる社会」ではないだろうか。
映画は環境保護の思想も垣間見えたが、経済成長しなければ社会は成り立たないと政財界のお偉方が言うことに「何で?」と疑問を持ち行動する婆さまたちが主役。その反骨精神は、この先ジジイになって脳味噌も頼りなくなるだろうが、私も見習いたい。
記:2015.11.6 島乃ガジ丸
8月20日に桜坂劇場へ行き、桜坂ファンクラブ会員の更新をしてきた。更新時には招待券を2枚貰う。2枚の期限は10月19日、2ヶ月もある。貰った時は余裕であった。が、その2枚、使う機会を得ぬまま10月となってしまった。
「使う機会を得ぬ」は、映画を観に行く暇が無かったというわけではない。映画は雨で畑仕事の出来ない日に行こうと思っていたのと、貧乏人はガソリン代節約のためたった1つの目的で那覇へ行くのを躊躇したからという理由による。
8月下旬に雨の日はあった。が、暑さで体に元気が無く「映画は9月にしよう」と決めたら、9月は雨の日がたった1日だけ、その日は別の用事にあてた。そんなこんなで10月になる。「よっしゃ、今度の模合(もあい:正当な理由のある飲み会)へ参加しよう、バスで那覇へ行き、映画を2本観て、電気屋を3ヶ所回って、それから模合だ、楽しく酒飲んで帰る、有意義な1日の過ごし方になる」と決める。模合は第二土曜日。
その第二土曜日(10日)は夜中から雨、目覚めても雨、ずっと雨。雨の中、傘を差して那覇の街をブラブラするのは難儀なことと思ったので、「映画2本観て模合」を「映画1本観て模合」へと予定を変更する。ということで、午前中の時間が空いた。
大腸癌摘出手術で入院していた友人のTが既に退院し、元気に働いているというので、彼の店へ行ってTに会う。Tは元気だった。以前とちっとも変わらない。体調良好そうなのを確信し、安心する。Tの店にしばらくいたが、その間も雨は降り続いていた。
「雨は止まないな」と観念し、映画は1本のみと予定変更を確定して、家に帰って着替えて午後、家を出て、傘を差してバス停へ、バスに乗って桜坂劇場へ。
その日選んだ1本は、『先生と迷い猫』という題の邦画。イッセー尾形主演ということで選んだ。若い頃、イッセー尾形の1人芝居を何度も見ている。好きな俳優だ。しかしながら、映画そのものには特に期待していなかった。イッセー尾形の個性が強過ぎて、彼ばかりが目立つ映画になるであろう、彼の世界は1人芝居で十分体験している。
ところがどっこい。映画にはイッセー尾形と肩を並べるほどの個性派俳優が多く出演していた。嶋田久作は期待通りの雰囲気、岸本加世子も独特の空気を作っていた。他の俳優陣も頑張ってイッセー尾形一色の空気になるのを阻んでいた。
映画の内容は、大きな事件があるわけでなく全体に淡々としている。「野良猫に餌をあげるのはいかがなものか」という考えの私なので、野良猫の世話を焼いている人々に同感はしないが、同じ町内で生きている野良に友情を感じる気分は理解できる。
野良を仲介して人間たちに関わりが生まれる。わけありの少年がいて、わけありの少女がいる。何となくだが、大人たちと関わり合ったことで少年にも少女にも明りが差したように私は感じ、ちょっと幸せな気分になる。何となく幸せかも・・・で映画は終わる。
淡々と約1時間半が流れていった。良い映画だと私は思った。約1時間半、私はスクリーンの中に引き込まれていた。プライドの高い元校長先生や大声で笑うオバサン美容師のいる町、清流の川がある町、野良猫がうろちょろしている町、その町を私は散歩しているような気分になった。「良い映画はそうか、旅の気分が味わえるか」と思った。
記:2015.10.23 島乃ガジ丸
今週はいろいろ思いが及ぶニュースがいくつかあった。先ず、沖縄県知事選、衆議院解散等の政治関連。沖縄県知事選について思うことが10あるとすると、衆議院解散について思うことは2~3程度なので、沖縄県知事選については別項の『深刻問題に微かな光』で少し書いた。衆議院解散については、・・・一言だけここで書いておくと、
消費税値上げを延期するから「それで良いかどうか国民に信を問う」と総理は仰っていたが、当初から「消費税を値上げするかどうかは経済状況を見て判断する」という条項があったのだから、「経済状況を見て値上げ延期を決めた」は何の約束違反でも無い。よって、国民に改めて信を問う必要は無かろう、と私は思った。
沖縄県知事選、衆議院解散、畑に待望の雨、腰も肘も手首も膝も肩も痛いなどより私にとってはもっと大きなニュースが今週はあった。沖縄県知事選について思うことが10あるとすると、それについては20くらいある。そのニュースとは、高倉健他界。
高倉健、もしもなれるのであればこんなオジサンになりたい、こんな爺さんになりたいと私が常々思っている人であるが、高倉健の映画を私はさほど観ていない。任侠もの、網走番外地とか知っているし、観たこともあると思うが、観たのは子供の頃だったと思うのでよく覚えていないし、そもそも私は任侠ものというのがあまり好みで無い。
大学生の頃に観た『幸せの黄色いハンカチ』はよく覚えている。これも大学生の頃だったか、『八甲田山』も観ている。広末涼子が娘役だった『ぽっぽや』は、内容はうろ覚えだが観ている。ビデオテープで『ホタル』も観ている。憧れている割にはこの程度。映画そのものを観る機会が少ないので、しょうがない。
それらの映画から観た私の高倉健像は、渋い、照れ笑い、寡黙、忍耐、包容力、不言実行、侍、克己、真っ直ぐ、自分に厳しく他人に優しい、弱きを助け・・・の人。
ちょっと逸れるが、克己(こっき)、友人のOはこれを「かつゆき」と読み、同級生の名前としか思わないので念のため説明すると、「おのれにかつこと。意志の力で、自分の衝動・欲望・感情などをおさえること」(広辞苑)という意味。高倉健は正しくそれ。
映画『八甲田山』の1シーンで、洞窟の中でじっと立っている兵隊の中の、高倉健の立ち姿を思い出す。真っ直ぐ立って、真っ直ぐ前を見て、真っ直ぐ歩く人だ。
畑の土ほぐしという、とても難儀で時間もかかる作業をしている時、作業中私は何度もやってきた後を振り返り、「まだこんだけか」と嘆き、やるべき先を見ては「まだこんなに」と嘆いた。未熟者と反省する。高倉健ならきっと、目の前のやるべきことを黙ってやり、作業を終えたら静かに立ち、汗をぬぐうだけだろう。あー、私もそうありたい。
高倉健、克己の心で、真っ直ぐ立って、真っ直ぐ前を見て、真っ直ぐ歩く人。大地に一人でしっかりと立っている人、孤高の人。私もそうありたい憧れの人。
高倉健、長く独身だったが、かつて江利チエミと結婚していたことを覚えている。高倉健、享年83歳。2014年11月10日に逝く。私の母の命日10月18日、父の命日5月13日と共に、これは自分を叱咤する日として覚えておこう。
記:2014.11.21 島乃ガジ丸