ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

協力して生きる社会

2014年06月20日 | 通信-音楽・映画

 沖縄にはユイマールという言葉がある。ユイは結、マールは周り、労働力の相互扶助といった一つの慣習だが、その精神は現在でもまだ少しは残っていると思う。
 結を広辞苑で引くと、その第三義に「田植などの時に互いに力を貸し合うこと」とあるので「労働力の相互扶助」は日本の伝統でもあるようだ。
 「ユイユイユイ、ユイユイユイ、ユイマール・・・」と美少女達が歌うヒット曲(民謡なのでたぶん沖縄限定)もあるが、ユイマールについてはいつか別項で述べるとして、社会は助け合うことが必要である、少なくとも貧しかった昔の沖縄では、ユイマールが「人々が生きていく上で必要なもの」であったのだろうと想像できる。

  4月の始め、埼玉の友人Kから桜坂劇場の招待券が送られてきた。有効期限は4月20日なので余裕はある。観たい映画もある。ありがたく頂戴した。そして有効期限の切れる2日前の4月18日、晴れていて畑日和ではあったが、Kの厚意を無駄にせぬよう畑を休んで映画鑑賞とした。観た映画は良い映画と噂の『ペコロスの母に会いに行く』。
 映画を観に行くのは久々、去年10月の『標的の村』以来。『ペコロスの母に会いに行く』は、桜坂劇場から毎月送られてくる冊子の確か3月号で紹介されており、私の「観たい映画」の一つになっていた。3月はしかし、畑仕事が忙しく行けなかった。でも、4月にリバイバル上映があり、招待券が手に入り、好都合が重なったわけだ。
  冊子でそのタイトルを見た時、「老人ホームとか介護施設に入っている母親とその息子の話だな、ペコロスとはその施設の名前だな」と勝手に想像していた。映画の序盤で勝手な想像が違うことが判明した。ペコロスは主人公である息子のあだ名、その禿げた頭がペコロスみたいだと自らつけたあだ名のようであった。
 禿げ頭がペコロスみたい、というそのペコロスとは何ぞや?と疑問に思って広辞苑を引く。「小玉葱。通常の玉葱を密集栽培して小さくしたもの」とのこと。私の畑にはペコロスが多くあった。私は「通常の玉葱を密集栽培して小さくした」のではなく、肥料をあげずに育てているのでなかなか大きくならない、で、ペコロスも自然にできる。
          
          

 ペコロスはどうでもいいことであった。農夫は野菜に興味があるのでついつい話がそこへ逸れてしまった。本題は「助け」、他人の助けを要する人々がいるということ。今はそういった人々を他人ごとのように眺めている私だが、いずれ私も体や頭に不具合が来て、誰かの助け無くしては生きていけないようになるだろう。
  前に図書館からスペシャルオリンピックスをテーマとしたDVDを借りて、観た。そこにも「協力して生きる」社会があった。スペシャルオリンピックスのことを私は全く知らなかったのだが、簡単に言えば、知的発達障害者のスポーツ大会である。
 そこには助け合う形が様々見られた。障害者の傍にいて普段の練習から彼らの努力を助ける人々、スポーツ大会を運営する人々、ボランティアの人々、そういった人々もまた、障害者に協力を得て、自らも幸せを得ているのだと感じられた。
 私は勝った負けたのスポーツにはほとんど興味が無いので、オリンピックもパラリンピックも観ないのだが、スペシャルオリンピックスも、競技そのものには興味は持てなかったのだが、生きるために協力するというその精神には温かいものを感じた。
          

 記:2014.6.20 島乃ガジ丸


観せる唄

2014年03月07日 | 通信-音楽・映画

 先週火曜日(2月25日)、『めぇみちおむすびLive』と銘打って、宜野湾市大山にある飲食店「めぇみち」で20名様限定のライブがあった。ライブの演者は純名里紗ボーカル、笹子重治ギター。純名里紗を私は知らなかったが、笹子重治は一流のミュージシャン、純名里紗も後で調べたら、宝塚歌劇団の元トップスターであった。
 一流どころの2人が「めぇみち」という小さな店で、たった20名しかいない客の前で演奏する。「めぇみち」の女将Iさんは私の古くからの友人で、10年程も前になるか、彼女に誘われてショーロクラブのライブを聴きに行った。笹子重治はショーロクラブのメンバーだ。その時にIさんから「笹子さんのファン」であることを聞いている。ファンから親しい付き合いになって、その縁から小さな店ライブの実現、かと思った。
  ライブ当日、演奏が始まる前に「そうなの?」とIさんに訊くと、そうではなかった。その日店の手伝いにも来ていたが、「めぇみち」で使っている食器の多くを制作している陶芸家のHさんという女性とIさんが友人で、Hさんと純名里紗が幼馴染で親しい間柄という関係から、「めぇみち」という小さな店でのライブが実現したとのこと。
          

 演奏が始まってから、純名里紗からも「めぇみち」との縁が語られた。陶芸家のHさんとは同じ兵庫県で幼馴染、長じて以降も親しくしている。純名里紗は2011年3月11日の大震災に大きな衝撃を受け、その時に心を癒されたのがショーロクラブの音楽で、それ以来、いつかは笹子さんと一緒に音楽をやりたいと願っていた。
 陶芸家のHさんは18年ほど前に沖縄に移住し、ほどなく「めぇみち」のIさんと親しくなった。Iさんは笹子重治の古くからのファン、IさんとHさんはとても親しく、Hさんと純名里紗もとても親しく、これは私の想像だが、「笹子さんはとても気さくな人、優しい人」という情報がIさん→Hさん→純名里紗に伝わり、純名里紗は思い切って笹子重治に告白し、OKを貰い、一緒にやるようになった。そして、気さくで優しい笹子と純名は出演料も少ない小さな店でのライブを、「喜んで」となったのであろう。

  めぇみちでのライブ、3曲目をマイクを外し生で歌った純名里紗が、「マイクの方がいいですか?」と訊いた。彼女の目の前にいた私がそれに「マイクは無い方がいいです」と応え、その後、数曲を生で歌い、再びマイクを通して1曲歌った後、彼女は「どっちがいいですか?」と再び訊いた。それにも再び私だけが「私は、無い方がいいです」と応えたが、「私は」と強調したことを彼女はすぐに理解し、「マイク無い方が良いと思う人」と客達に挙手を求めた。圧倒的多数だった。前半7曲ばかり歌って、15分ほどの休憩の間にマイクスタンドはステージから消えた。よって、後半は全て生唄、生ギター。
 純名里紗は美人で、胸は出て、腰はくびれているスタイルも良いイイ女なのだが、生ギターの音がとても良くて、演奏中、私は美人では無くギターばかりを主に見ていた。「ギターばかり見ていたカウンターの人、何者?」と純名里紗が言っていたと、翌日Iさんから聞いた。「だよな、男なら美人を見るべきだ、ホモと思われたかなぁ」と反省。
 しかし、私は彼女を時々「観て」はいた。彼女の歌う唄は私にとってあまり魅力は無かったが、彼女の動作と表情には魅せられた。唄を、その歌詞と曲だけでは無く、動作と表情でも表現していた。「唄にはこういう表現方法もあるんだ」と認識させられた。
          

 記:2014.3.7 島乃ガジ丸


ホームコンサート

2014年02月27日 | 通信-音楽・映画

 今週火曜日(2月25日)、久々に音楽ライブを聴きに行った。その前は2011年2月の友部正人だからほぼ3年ぶりとなる。さらに記憶を辿っていくと、2008年5月にタテタカコ、2007年8月にEPO、2007年2月にいとうたかお、2004年3月に高田渡、同じく2004年には鈴木亜紀を知り、その後数回そのライブをあちこちで聴いている。その他、2004年から2011年の友部までの間に、遠藤賢治、ジママ、ショーロクラブ、比屋定篤子などを聴いている。年に1~2回程度だ。音楽は好きな方なのでもっとたくさん聴きに行ってもいいのだが、私の経済事情がそうさせている。
 上記の内、遠藤賢治、ジママ、ショーロクラブ、比屋定篤子、鈴木亜紀、EPOは友人のI女史の誘いで一緒した。この内、ショーロクラブは「上手い!」と思い、鈴木亜紀、EPOは大ファンとなり、鈴木亜紀には恋までしてしまった。いとうたかお、高田渡は私からI女史を誘っており、タテタカコはI女史のお勧めで私一人で行っている。

  I女史が私に教えてくれた音楽家たち、テレビにはあまり出ないので一般的にはさほど有名では無いが、優れた感性を持っていると私は感じ、その多くが私好みとなっている。私好みの音楽をいろいろ紹介してくれているI女史は飲食店の女将さんである。その飲食店の名前は「めぇみち」、店の名前をばらしてしまったら、I女史をIとイニシャルで書いている意味が無くなるが、まあ、取りあえずガジ丸ではイニシャル。
 先々週、I女史からチラシを頂いた。「めぇみち」でライブをやりますというお知らせのチラシ。ライブの演者は純名里紗ボーカル、笹子重治ギター。笹子重治はショーロクラブの人で知っているが、純名里紗は知らない人。料金3500円は私にとって大きな金額なので、「これどう?」とI女史に言われても即答はできなかった。
          

 家に帰ってチラシをよく見ると、「めぇみちライブ」の他に別のチラシがあって、それは桜坂劇場のものであった。同じ純名里紗ボーカル、笹子重治ギターのライブは「めぇみちライブ」の前、21日に桜坂劇場でも行われるとあり、料金は同じく3500円。
  チラシには純名里紗の写真が大きく載っているが、顔に見覚えは無い。「元宝塚歌劇団トップスターで、NHKの朝ドラ『ぴあの』の主役だったと書かれてある。『ぴあの』は私もちょっと観ていた、随分前のドラマだ。が、主役の女優の顔は思い出せない。チラシの写真を見ても一致しない。お父さん役の宇津井健が脳裏に浮かんだだけ。
 それよりも、私の心を動かしたのは「めぇみち」のチラシにある「20名様限定」という文字だ。「めぇみち」は小さな店だ。ぎっしり詰めて20名がやっとだろう。そんな中でライブ、演者がきっと目の前にいて、我が家で一流の音楽家が演奏してくれるような感じになるであろう。そう思ってすぐ「ライブ行く」とI女史にメールした。

 25日、店内の一角にマイクスタンド2台、アンプミキサー1台、スタンド式スピーカー2台、マイクの前に椅子が2脚あって、そこがステージ。客20名の他にI女史、及び店の手伝い3人が加わって店内はぎっしり。私はステージに近い席で、目の前1m程に純名里紗が立った。純名は「マイク要らないかもね」と言って、3曲目からは生唄となり、4曲目からはギターもマイクを外した。想像した通りのホームコンサートとなった。
          

 記:2014.2.27 島乃ガジ丸


舞台の実力者

2013年12月27日 | 通信-音楽・映画

 以前、『役者の力』というタイトルでこのガジ丸通信に拙文を書いている。調べると、2005年10月29日付けとなっている。8年前だ。「早ぇなぁ、時の過ぎるのは」と感慨に耽る。10年後生きているかどうか不明だが、生きていたとしても私は、草臥れた爺さんになっているだろう。そして、今書いている拙文を読み返す機会があった時にはまた、「早ぇなぁ、時の過ぎるのは」と感慨に耽るのだろう。10年って、すぐだ。

 などという話では無く、『役者の力』は映画『父と暮らせば』について書いたもの。どう評価したかについて少し引用すると、

 映画は私の心を鷲掴みにし、ぐいぐいと引き込んだ。宮沢りえも原田芳雄も、元より私の好きな役者なのではあるが、その演技は「見事!」という外無い。井上ひさしの原作の力もあろうが、黒木和雄監督の力もあろうが、この映画、二人の主役の言葉、表情、所作だけで十分に悲しみと愛情を含んだ空気を表現していた。良い映画であった。私が今年観た映画ではダントツの一位と評価したい。

 となっている。あまり人を褒めない私がべた褒めしている。
 映画の原作者が井上ひさしということから元は演劇かもしれないと想像できた。そしたら今年(2013年)1月、近所にある宜野湾市民図書館でビデオのコーナーを物色していたら『父と暮らせば』があった。こまつ座ビデオ劇場とビデオの表紙にあり、映画ではなく、舞台を撮影したものであることが判った。早速借りる。
 『父と暮らせば』は、映画もそうであったが出演は2人だけの物語、舞台での父は原田芳雄でなく、娘は宮沢りえではない。父はすまけい、この人は、何かのテレビドラマにも出ていたのだろう、私も知っている。娘は梅沢昌代、私のまったく知らない役者。

  すまけいは舞台役者として長年第一線で活躍してきたベテランだし、その演技はまったく言うこと無し。原田芳雄に劣らず、存在がもう既に登場人物の空気を出している。私のまったく知らない役者である梅沢昌代、この人もすごく良かった。
 宮沢りえは美女である。「こんな美女がこんな境遇で」と思うと男ならたいてい同情心が湧く。「あー、俺が助けてあげたい」などと思う。まぁ、私が助けなくても父が助けてくれて、幸せに向かっていくのであるが、梅沢昌代は、少なくとも宮沢りえに比べれば美女ではない。私(何様だお前!と思いつつ)好みでもない。だけれどもすごく魅力的、その場にいたなら抱きしめてやりたい(何様だお前!と思いつつ)と思った。
 映画やテレビドラマなら演技にちょっと失敗したとしても、「今のカット、撮り直し」と何度もやり直しができる。しかし、舞台ではそうはいかない。一発勝負だ。その緊張感を少しも表に出さず、舞台の造り出す空気に観客を引き込む。すごい技だと思った。 

 原田芳雄は二枚目であり、顔にも声にもその雰囲気にも魅力がある。すまけいは二枚目とは言えない。しかし私は、彼にも人間としての魅力を強く感じた。そのすまけい、今年12月9日に他界。私はつい数日前、ネットのニュースでそれを知った。合掌。
          

 記:2013.12.27 島乃ガジ丸


標的の村

2013年10月18日 | 通信-音楽・映画

 先週金曜日は、前日実家に泊まり、朝早く起きて実家のガラクタの整理処分をし、宜野湾へ行って30坪の畑ナツヤの台風被害状況を確認し、ガジ丸HPをアップして、お昼過ぎには家に帰った。掃除洗濯をして、2時間ばかり昼寝をした。結果、300坪の畑なっぴばるを欠勤した。7月上旬に宮崎の友人Iとヤンバルドライブへ出かけた時も、その前に朝早く畑へ出ている。9月に埼玉の友人Kと伊計島ドライブへ出かけた時も、その前に畑へ寄っている。なっぴばるの完全欠勤は梅雨時の6月上旬以来久々。
 その前日の木曜日は、車の半年点検で整備工場に車を持って行った。整備工場は浦添市の那覇市との境界付近にあり、実家に近い(車で2~3分)。実家からは桜坂劇場が近い(徒歩15分位)。点検が3~4時間かかると言うので、その間に映画を観に行く。映画が終わって、整備の済んだ車を取りに行って、実家に戻って、実家のガラクタの整理処分をした後、夕方から友人FとOとの3人で、自家近くの居酒屋へ飲みに行った。
  Oとはその前の週に友人の娘の結婚披露宴で同席し、酒を酌み交わしているが、Fとは4月にOの家で枝豆パーティーをして以来久々。ちなみに、その日の飲み代はFの奢り。9月23日付のガジ丸通信『貧農の貧産家』で「FやE子は生活できる収入があり、しかも、不動産を多く持っている。「奢るのはそっちだろう」と私は思う」と書いたのを読んで、その通りに奢ってくれた。もうひとつちなみに、OはE子の夫、「次は俺が奢るよ」と言ってくれた。そして、その次は私の番となる。「倍返しだな」と覚悟した。

 話が違う方向へ流れてしまった。今回は先週木曜日に観た映画の話。映画もまた、今年2月に同じ桜坂劇場で観て以来久々。2月に観たのは『LOVE沖縄その2』、ヘリパッド建設反対運動をしている高江と、普天間代替基地建設反対運動をしている辺野古、両方のテント村の人々と、その正義と奮闘を撮ったドキュメンタリー映画。
  今回観た映画は『標的の村』、これは高江のことに多くの時間を割いているが、辺野古にも触れており、普天間基地でのオスプレイ反対運動も映していて、内容は『LOVE沖縄』のその1、その2とほぼ同じ。ただ、『LOVE沖縄』は運動をしている人々の目線に近い描き方だったのが、この映画は「マスコミの目線」というのが違った。
          

 マスコミとはテレビ局、沖縄のQAB(琉球朝日放送)。テレビを観ない私は知らなかったが、『標的の村』は同テレビ局の取材したドキュメンタリーで、前に報道番組として放送されたもので、それに新たな映像を加え映画版として編集したもの。テレビで放送された『標的の村』は大きな反響を呼び、何とかいう賞を得たとのこと。
 『LOVE沖縄』を観た時、温厚な(自分で言うがたぶん他も認めている)私が大いに腹を立てた。あんまり腹が立ったので、その後まもなく舞台となった辺野古と高江のテント村を訪ね、彼らの歴史と現況を聞き、そして、激励した。
 闘っている人々の主役はウチナーンチュだ、基地建設に係る工事関係者もウチナーンチュだ、座り込みをしている人々を排除する警官達の多くもウチナーンチュだ、「何でウチナーンチュ同士が闘うんだ!利益を得る日本国やアメリカは高みの見物じゃないか!」と腹が立ったのである。似たようなことを『標的の村』で闘うウチナーンチュ達も言っていた。ヘラヘラ笑っている会議室の権力者達を想像して、終いには悲しくなっていた。
          

 記:2013.10.18 島乃ガジ丸