「幸せの量り」という機械を考えた。その量りに乗ると、現在の幸せ度がパーセンテージで表示される。健康診断で使用される。標準値は60%とする。
「はい、貴方の幸せ度は100%です。完璧です。何か良い事がありましたか?」
「先週、プロポーズされたんです。来春には結婚します。」
「それはそれは、おめでとう。量りが振り切れるかと思いましたよ。」
そして、また別の人、
「貴方は80%ですね。もう少し頑張れば100%になりますよ。」
「妊娠したんです。それはとても嬉しいことなんです。でも、産まれた子供をちゃんと育てられるかどうか、少し不安なんです。」
「その不安は貴方のせいじゃなく、政治の責任ですね。古い体質のバカな政治家が大臣をやっているからですよ。貴方には何の問題もありませんよ。ご主人も喜んでいらっしゃるのでしょう。だったら、自信持って産みなさい。」
「そうですよね。私と夫がしっかりすればいいんですよね。」
「そうです。じゃあ、もう一度量ってみましょう。・・・100%になりました。」などということになる。診察室は幸せでいっぱいになる。
そういったニュースが世間に流れる。そうなると、「ねぇ、結婚すると幸せになるみたいよ、子供を産むと幸せになるみたいよ。」なんていう意識が人々に広まる。すると、結婚が増えるし、出産も増える。「幸せの量り」は「子を産む機械」では無く、「子を産みたくなる機械」なのである。これで、女性に出産を強要することなく、少子化問題は解決されるはずだ。機械の力で、日本国の未来は安泰になるのだ。どうじゃい!
「幸せの量り」は幸せの度合いをデジタル化する。人々は数字を盲信する。当初は、自分が幸せかどうかが先で、それを「幸せの量り」で確認するだけであったが、しばらくすると、「幸せの量り」によって自分が今、幸せかどうかを確認するようになる。本末転倒である。健康のためにダイエットをした人が、痩せて不健康になったみたいなもの。
デジタルの数値は高ければ高いほど価値がある。価値がある数値、・・・つまりその数値はお金に換算される。幸せはお金で量れるものとなる。・・・ん?・・・「ということはだ」と、ここで気付いた。「幸せの量り」なんて機械が無くとも、そんなこと普通に、現在多くの人が既にやっていることだ。画期的な発明かと思った「幸せの量り」であったが、「お金より愛」という人が少ない今は、ヒット商品にはなれないみたいだ。
記:2007.2.6 ガジ丸
補足
なお、「古い体質のバカな政治家が大臣をやっている」と書いたが、私は実は、当該大臣のことをバカだとは思っていない。概ね政治家に好感を持たない私でも、あの人は十分に品格を備えた人だと思っている。「女は子を産む機械」という発言も、大騒ぎするような言葉では無いと感じている。ガタガタ言う民主党の方を、私はどちらかというと民主党支持なのであるが、こんなことで審議拒否なんて、大いなるバカだと思う。
「女は子を産む機械」は喩えとして十分成り立つ言葉であろう。「機械として喩えたならば」ということである。そしたら、「男は子を産む機械のエネルギー源」でしか無い。政治や社会は「機械を雨風から守る建物」とか、「機械が健康に動けるための潤滑油」とかに喩えられる。女は当然、そこでは主役となっている。
かの大臣の間違いは、「女がたくさん子供を産めば少子化問題は解決される」と受け取られる発言をしたことである。もしも、本当にそう思っているのなら、彼は少子化対策担当大臣の資格は無いであろう。「子を産む機械」は自由意志を持っている。産むか産まないかはその意思に委ねられるべきである。少子化問題は、「産みたい」と思う社会を形成することによって解決されるべきである。それがきっと、政治の仕事。
それにしても民主党、大物3人が先頭にいながら、何て無様。議会で討論すべきこと、やるべきことはもっと他に多くあるはず。嵐の海に三人で船出して、助け合うのもいいけれど、一人の大臣の失言を嵐のようにしてさ、日本をどうするの?しっかりしてよ。