先週土曜日(2月10日)、大好きな桜坂劇場へ行った。映画『長い散歩』を観に。
『長い散歩』は曲者が演出している。監督が曲者なのである。ちなみに、曲者は「まがりもの」では無い、「くせもの」と読む。時代劇の、ある屋敷の中で、そこの侍が急に立ち上がって、壁に掛けてある槍を取り、その槍で天井を突く。そして叫ぶ。「曲者じゃ、出会え、出会え!」と。その場合の曲者は概ね忍者であることが多い。
念のため、曲者を広辞苑で引くと、
1、ひとくせある人物。変り者。変人。
2、異常な能力をそなえた人間。
3、妙手。やり手。
4、えたいの知れないもの。用心すべきもの。
5、ばけもの。怪物。
6、あやしい者。不審な者。
などとある。「監督が曲者」で私がイメージする曲者とは、「その男が画面に登場するだけで、何か良からぬ事が起こるんではないかと胸騒ぎがしてしまう。」ような俳優。上記の広辞苑の説明では、1~6までの全ての性格を持った人。
曲者俳優というと、もうだいぶ前に他界しているが、岸田森なんかが思い浮かぶ。今も大活躍している岸部一徳や火野正平なんかも思い浮かぶ。そして、「その男が画面に登場するだけで、何か良からぬ事が起こるんではないかと胸騒ぎがしてしまう。」ような俳優に最も当て嵌まるのが、映画『長い散歩』を監督した奥田瑛二。
桜坂劇場から毎月送られて来るスケジュール表に『長い散歩』が紹介されていて、その監督が奥田瑛二と知って、曲者が監督する映画だ、観に行かなくちゃと思った。桜坂劇場からはスケジュール表と一緒にその月、及び翌月上映される映画のチラシなども送られてくる。『長い散歩』のチラシもあった。映画を観る前にそのあらすじ、他人の感想などを私は読まないが、キャッチコピーと出演者くらいは見る。
「人生は長い散歩。愛がなければ歩けない。」とある。徳川家康は人生を坂道に喩え、苦労して登るものだとしていたが、のんびり屋の私は、「長い散歩道をぶらぶら歩く」方に賛成する。そして、愛は必要である。愛されることもだが、愛することが特に。
さて、曲者の映画は、「どーゆーこと?」と思うような場面がいくつも現れた。だが、曲者はそれらの説明を十分にしない。「どーゆーこと?」は、登場人物の仕草や表情から「なーんとなく」は読み取れるのだが、はっきりしない。だけど、はっきりしないことがモヤモヤとはならない。その場面の空気が余韻として残るみたいになった。演出が上手いのだと思う。役者の演技も良い。緒方拳は上手い俳優だと再認識もした。
状況設定があんまり悲惨なので、この映画の空気はファーストフードみたいに手早く感じ取ることができる。しっかりとした味を持つ空気。そこはかとない味を好む私には、ちょっと濃過ぎる味ではあった。でもまあ、良い映画でした。
後でチラシを読んで知ったことだが、奥田瑛二は、『長い散歩』が3本目の監督作品とのこと。残りの2本も観てみたいと思った。曲者は、なかなかの曲者みたいである。
記:2007.2.16 ガジ丸