ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版041 酒豪の肴

2007年09月14日 | ユクレー瓦版

 「今日は土曜日だしさ、ガジ丸も、勝さんも新さんも太郎さんも来るしさ、宴会でもしようか?」とマミナが、カウンターに座っているケダマンと私に向かって言う。
 「土曜日と、ガジ丸、勝さん、新さん、太郎さんが来るのは毎週1回、決まってやってくるじゃないの。毎週、宴会ということになるじゃないの。」と私が応える。
 「いや、まあ、そう言われればそうだけどさ。マナが旅に出てもう一ヶ月くらいになるでしょ。傷心も癒えて、そろそろ戻ってくるでしょ。今日辺りが、私がユクレー屋のカウンターにいる最後の土曜日かなと思ってさ。」
 「おー、そういえば、マナが旅に出てからもう一ヶ月になるか。早ぇもんだな。しかしあいつ、何してるんだろうな一ヶ月も。自殺でもして無ぇかな。」(ケダ)
 「自殺は無いだろうよ。何度もどん底を味わって、それでも生きてきている女なんだからさ、今更、男に振られたくらいで死にはしないよ。」(私)
 「そうだよ。そんな軟な女じゃないよ、マナはさ。」(マミナ)
 「ところでさ、宴会って、俺たちいつも宴会みたいなんだけど、何するの?」(私)
 「そうだね、涼しい風も吹いているしさ、外でやろうか。今夜は月の無い夜だからね、星がきれいだよ。天の川もくっきりだよ。庭にゴザを敷いてさ、勝さんたちにサンシンでも弾いてもらってさ、皆で歌い、踊り明かすなんてのはどう?」(マミナ)
 「外?・・・歌い踊り明かす?・・・って、それ、来週やるじゃない。」(私)
 「あっ、そうか、来週の初めにはもう中秋の名月だね。月見だね。」(マミナ)
 「んだ、いいよ、今日は中で。今から準備するのも面倒臭いしよ。」(ケダ)
 「準備するって、あんた、何準備するつもりだったの?いつもただ座って、飲んで、食べて、歌って踊るだけじゃないの。それとも、今日は料理でもしてみる?」(マミナ)
 「バカ言うんじゃ無ぇ、自慢じゃないが、男子厨房に入らずを頑なに、一生守り続けてきた俺だぜ。料理なんかできるわけ無かろう。」(ケダ)
 「んじゃ、何を準備するんだい?」(私)
 「何って、うーん、例えばだな、料理を運ぶとかだな・・・。」(ケダ)
 「まあ、それはそれは、有難いさあ。そんな機会がきたらお願いね。」(マミナ)

  なんて会話をしているうちに、ガジ丸、ジラースー、勝さん、新さん、太郎さん御一行がやってきた。ジラースーが手に持っている袋をマミナに渡して、
 「マミナ、これ、近所の農家から貰ってきた。ズッキーニとか言ってた。キュウリのような形をしたカボチャのような味の野菜だとよ。知ってる?料理できる?」
 「はいはい、知ってるさあ。料理も任せてちょうだい。」とマミナは言って、
 「あっ、そうだ。今日はさ、みんながあまり食べたことの無い料理をいろいろ作ってあげるよ。私の日頃の酒の肴なんだけどさ。」と続けて、台所へ向かった。

 酒豪マミナの肴とは楽しみである。ケダマンと私もカウンターを離れ、テーブルを二つ合わせて、皆と同じ席に着き、マミナの料理を待った。
 座って5分も経たない内に、
  「ケダ、こっち来て!」とマナが大声でケダマンを呼ぶ。
 「えーっ、なんだい!今座ったばかりだぜ。」と嫌がるケダマンであったが、
 「料理運ぶんだよ!今、その機会が来たんだよ!」と怒鳴られて、渋々、マミナのもとへ行く。さっきの約束が早速果たされることとなった。
 最初の一皿はヒジキのサラダで、前菜とのことであった。それからそう間を空けることなく、ズッキーニのソテー、アーサヒラヤーチー、マーボオクラ豆腐、煮ダイコンなどなどが次々と出てきた。どれも美味しかった。皆の評判も良かった。
     

 「確かに美味いんだが、マミナ、これ全部野菜じゃないか。おめぇ、こんなのばっかり食っていて、何でそんなに太っているんだ?」とケダマンが訊く。「美味い」だけで済ませばいいものを「太っている」なんて要らん事を言う奴、と思ったが、マミナはユーナやマナとは違う。大人である。ケダマンの軽口を軽く右から左へ受け流す。
 「私の体はね、脂肪で丸くなってるんじゃないのさ。私の体には人々からの愛と、人々への愛の、両方の気が充満して、それで丸くなってるのさ。」とニカッと笑う。確かにその通りなのだと思う。マミナの心は深くて広い感じがする。

 皆がマミナの美味しい料理を味わって、幸せになって、ある程度飲んで、さらに幸せになって、愉快な気分になった頃、マミナが言う。
 「ピアノでも弾こうか?ジャズやポップスはできないけど、童謡、唱歌ならたいていのものはできるよ。みんなも知っている曲を弾くからさ、みんなで歌おうよ。」
 ということで、この夜はマミナ先生の伴奏で、皆で懐かしい唱歌、童謡を歌い、愉快な上、幸せな気分に浸りつつ、夜は更けていった。
 ふーけゆくー あーきのよー ・・・歌声が夜空に響き渡った。
     
     
     
     
     

 記:ゑんちゅ小僧 2007.9.14


靴下に熱湯

2007年09月14日 | 通信-政治・経済

 火傷は、火傷した後のズキズキも痛いのであるが、じつは、火傷した瞬間の雷のような瞬間的な痛みの方が、痛みのグレードとしてはかなり上なのだと私は感じている。瞬間的なので、後のズキズキよりは印象が薄いだけなのだと思っている。

 私は滅多に外食をしない。月1回の模合(相互扶助的理由をつけた飲み会)と、年に数回あるデート(オジサンとデートしてくれる天使のような女性がたまにいる)やその他の飲み会を合わせて20回ほど、それに、旅に出た時の3食約30回ほどを足して、1年365日1100回ほどの食事のうち、外食は50回ほどとなっている。
 というわけで、1年365日1100回ほどの食事のうち、残りの1050回を私は自炊している。現場仕事の際も、概ね自分で弁当を作って昼飯にしている。現場仕事で無い場合は、家に帰って、自分で昼飯を作って食っている。

 内勤の日に家で昼飯を作る時は、私は靴下を履いている。そんな時に、ソーメンか何かを茹でている時だったと思うが、その煮立ったお湯をうっかりこぼして、靴下を履いた足に、足の甲全体が濡れるほど大量にかけた経験がある。
 靴下に100度の熱湯を注いだことを想像してみると良い。熱湯がじわーっと靴下に滲みて皮膚に達するまで一瞬の間があるが、皮膚に達すると、これは非常に熱いのである。それは、火傷した瞬間の雷のような瞬間的な痛みが、靴下を脱ぐまで続くのである。ソーメンをざるに移して、水に浸すまでの数秒ほどは我慢したのだが、それが限界。滅多に声を上げることの無い私であるが、その時は「わっ、わっ、わっ、」と叫んでしまった。慌てふためいて靴下を脱ぐ。左足の甲が広い範囲で赤くなっていた。
  その時の経験から、私は一つの格言を得た。「熱湯のかかった靴下は熱い内に脱げ」ということである。よく知られている「鉄は熱いうちに打て」とか、あまり知られていないが、「味噌汁は熱いうちに飲め」とかいったものとほぼ同じことである。「熱いものはなるべく早く処理した方がいいぜ」ということである。
          

 「そう長くは持たないでしょう。年内には何かあるんじゃないですか。」と予想する政治評論家は多くいたが、臨時国会が始まってすぐに、と予想した人はいなかった。政治にそう詳しくない一市民である私もまた、テロ特措法の継続を確かにして、それを花道にして退陣という可能性はあるかも、くらいに予想していた。
 多くの人が「何で今?」と感じたであろう。私も同じである。多くの人が「ならば、参院選の後、すぐに退陣すべきだった」と思うであろう。私も同じである。
 参院選惨敗直後が、安部さんにとっては最も熱い時期だったと思う。この場合の熱いは厳しいという意味である。その時、潔くきっぱりと辞めていれば、安部さんの傷もそう深くはならずに済んだかもしれない。のっぴきならない事情があったのであろうが、このドタバタによって、安部さんの再登板はちょっと遠退いたと思う。
 安部晋三さん、テレビに映る顔がすごくやつれて見える。泥沼に足を突っ込んで、強い逆風を受けて、それでもなお前に進もうとしたんだけど、ついに疲れ果てたんだな。安部晋三さん、荒心臓では無かったようだ。早よ元気になってね。

 記:2007.9.14 島乃ガジ丸