わけあって働くことができないのに、生活保護を受けられずに死ぬ人がいる。というニュースを前に、何ヶ月か前にテレビで観た。理不尽な話である。そのニュースではまた、働けるのに不法に生活保護を受けている人もいるということも付け加えていた。
不法に生活保護を受けている人には困ったものだが、それなりのペナルティーを科して欲しいが、本当に必要なのに生活保護を受けられない人は、「困ったものだ」では済まされない。生きるか死ぬかの問題なのである。
私も独り暮らしで、老後に多少の不安がある。後10年もすれば定年となり、その後数年で、僅か(薄給なので)ながらも年金が貰え、何とか食っては行けると思うが、沖縄の建築業界はだいぶ前から不況にあり、私もいつリストラされるか分らない。そうなった時に生きる術があるのか不安がある。貯金はほとんど無いし。
生活保護を受けられずに死ぬ人がいるということはつまり、「動けざる者は死ね」という政治、あるいは社会ということであろう。国家の品格というのが昨年話題になったが、品格で言えば、それは全く下品な社会であると思う。そんな社会は、現在の日本に現実にあるようだが、ここでは論外ということにしたい。
もう一つ、富裕層と貧困層に二分化される格差社会も、私は下品だと思っている。グローバルとか自由競争だとかいう、どこぞの大統領、沸酒とかいう大統領が好んで、他国へ押し付けている考えは、その国、地域の歴史、文化、風俗などを無視したものであると思う。お金は大事だが、金儲けが一番という社会は、やはり下品であろう。
富裕層にとっては贅沢するための金だが、貧困層にとっては生きるための金である。生きるためには多少の無理をし、不自由にも耐える。昔、鞭によって自由を奪われていた奴隷であるが、ここでは金によって自由を奪われる奴隷の形となる。
お金によって自由を奪われるというのはこれまでの社会にあり、働いている多くの人がそういう気分を味わっているかもしれないが、ここで言う奴隷の形は、そうするより他に生きる術が無いという所まで追い詰められた形である。
もちろん、奴隷が存在する社会というのは大下品であると私は思う。
記:2008.1.25 島乃ガジ丸