ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版055 マナの結婚式

2008年04月04日 | ユクレー瓦版

 昨日は、『ジラースーとマナの関係を島の人々が認め、祝福する会』という、何とも長ったらしい名前のパーティーがあった。結婚披露宴という名前にならなかったのは、照れ屋のジラースーが、「60過ぎてそんな・・・」と嫌がったからである。

 ジラースーは若い頃に1度、結婚している。子供も一人できたが、その子がまだ3つ4つの頃に、妻と一緒に事故で亡くしている。その耐え切れない悲しみからユクレー島にやってきた。ジラースーがまだ30代後半の頃である。2年ほど島で暮らした。
 元々感性の良い男だったので、島に来てすぐにガジ丸やケダマン、私などのマジムンたちとも懇意となった。ジラースーの半生を、その時に私は聞いている。

 ジラースーの名前は青田治朗と言う。父親は倭人であったが、その昔、兵隊として沖縄戦に参加し、生き残って、終戦を迎えた。父親は沖縄の悲惨に深く心を痛めていたのと、元々天涯孤独の身の上だったので、そのまま沖縄に住み着き、沖縄の女と結婚した。
 やがて、ジラースーが生まれた。父親は晩婚であり、その時既に40歳を越えていた。母親は戦争未亡人で、ジラースーを産んだのは30歳手前であった。少々病弱だったのでそれ以上子を産むことは無く、また、彼女には先夫の子もいなかったので、ジラースーは二人にとって大事な一人息子であった。青田家はごく平凡であったが、平和に暮らし、けして裕福では無かったけれど、愛に溢れた幸せな家庭であった。
 病弱だった母親は、ジラースーが二十歳になるのを見届けるようにして、父親もその数年後に、それぞれ病死した。青田家の男は、天涯孤独となる運命なのかもしれない。ジラースーもかつての父親と同じく、天涯孤独の身となった。
 その後、ジラースーは結婚する。しかし、その幸せも束の間であった。数年後には妻と子供を事故で亡くし、再び天涯孤独となる。で、ユクレー島へ、ということになる。
 最近は、チシャと暮らしたり、また、ユーナと暮らしたりしていた。チシャはウミンチュ修行のために今は遠洋暮らしである。そして、この春に、ユーナが一人暮らしをするようになって、ジラースーはまた、一人暮らしに戻っていた。

 「どうするの?一緒に暮らすの?」と昨日、パーティーの最中にジラースーに訊いた。
 「あー、そうだな。すぐにでは無いが、しばらくしたらそうなる予定だ。平日は俺の家で一緒に暮らすし、金曜日に一緒にここへ来て、金曜日と土曜日だけ、マナはユクレー屋で働くことになっている。マナのいない平日は、マミナが店を手伝うそうだ。」
 「そうか、それは良かったね。マナは嬉しいだろう。」
 「うん、まあな。それが彼女の望みだったからな。」
 「って言うジラースーも嬉しいんじゃないの?私がいなくなってさ、淋しくなったところにさ、マナが来てくれるんだよ。良かったねぇ、おじさん。」と、横からユーナが割って入った。大学入学の準備、引越しなどで忙しくしていたユーナも島に帰ってきた。
 「あっ、コノヤロ、からかいやがって。しかし、そりゃまあ、そうだなわな。料理のできない小娘に比べたらマナの方がずっとマシかもな。」とジラースーも言い返す。
 「えー、私も最近、料理上手くなったんだよ。残念さあ、ジラースーに私の腕前を見せてあげられなくてさ。」と、ユーナも負けていない。さすが女だ、口は達者。

 「それにしてもさあ、驚いたよ、ジラースーのその格好、初めてみるよ私。」
 というジラースーの格好、私も初めて見た。スーツ姿だ。自分達のためのパーティーだということで、一応の礼儀として、わざわざ着てきたんだそうだ。ところが、服装のことなど、事前にマナと打ち合わせしたわけじゃなかったようで、マナは普段着であった。マナはジラースーがまさかスーツとは思わず、ジラースーはまた、マナが当然ドレスアップするものと思い込んでいたらしい。ジラースーのスーツ姿に、マナも笑い転げた。
 「あー、しかし、60過ぎてよ、いい晒しもんだぜ、俺もよ。」と、ジラースーは後悔していたのだが、わざわざ着替えるのも男らしくないと、そのままでいた。
 その日は、ユーナだけで無く、モク魔王もやってきた。ハルも珍しくやってくる。ハルは昔から、ジラースーのファンであった。「ちょっと悔しいわね」と挨拶をした。
     

 パーティーの合間合間に、このあいだ、ガジ丸がマナのために作った唄、『ぽっかぽかだね』を皆で歌った。何度も歌った。皆が幸せな気分になって、ジラースーとマナのためのパーティーは大盛況であった。とても楽しい一日であった。

 記:ゑんちゅ小僧 2008.4.4


25円の向こう

2008年04月04日 | 通信-政治・経済

 私の愛車は軽自動車である。だいたい月に1回くらいガソリンを入れている。正確な数字は覚えていないが、だいたい1回で30リットルほどだと思う。ガソリンが安かった頃は3000円、今は4000円ほどの出費となっている。
 ガソリンの暫定税率が廃止されて25円安くなったら、25円×30リットルで、私の家計は月に750円の支出減となる。私は日本国の中では貧乏人の部類に入るが、それでも、月に750円で大喜びするほど生活に困っているわけでは無い。
 750円なんて、1回飲みに行けばその4倍くらいは使っている。ただし、飲み代はけして無駄使いでは無い。人生の楽しみである。有意義な支出だと思っている。私の750円が政府によって有意義に使われているのなら、それは何の問題も無いのだ。
 暫定税率廃止には賛成だが、道路特定財源を一般財源化することについてはもっと賛成である。暫定税率は廃止せずに、その財源を本当に必要な道路、または、福祉や医療に使ったら良いと思う。そのための750円なら惜しいなどとはちっとも思わない。

 不服田総理が、「平成21年度から道路特定財源を一般財源化する。」と発表するのをニュースで見たとき、私は小躍りしたいくらい喜んでしまった。もちろん、「道路特定財源を一般財源化する」だけでは足りない。ちゃんと計算したことは無いので大雑把な数字を言うが、「道路特定財源を一般財源化し、その5割を市町村が、4割を都道府県がそれぞれ自由な裁量で使えるものとし、国の取り分は1割とする。」というようなことであれば、私は大踊りしたかもしれない。しかしまあ、そこまで行かなくとも、「道路特定財源の一般財源化」は初めの、大きな一歩になるに違いないと思うのだ。
 不服田総理の提案に、民主党の小技意地郎代表が乗ってこなかったのを私は不思議に思った。利権の温床を消滅させることは民主党の望みだったのではないか。変革の大きな一歩となる話だ。必ずしも本年度からじゃなくてもいいじゃないか。1年くらい待ってもいいじゃないか、と思ったのである。何故、小技意地郎は乗らなかったのか?
 「分った。来年度から一般財源化するというのを条件に、今回は譲歩しよう。」となって、ガソリンが安くなったり元に戻ったりせず、国民生活がてんやわんやすること無く、20年度の予算が施行される。で、1年後、21年度予算案の審議となって、
 「小技君、悪いな、去年約束したんだが、党から大反対されてな、結局、道路特定財源を一般財源化するのは今年度も無理みたいだ。」となることを、小技代表は恐れているのかもしれない。自民党の道路族とかいう人々も「総理に勝手はさせない。」と思っているのだろう。25円の向こうには、そういった政治家の思惑が蠢いているのだろう。

  ある日ある村で、散歩をしていた村長が、村民に声をかけられる。
 「村長さんよ、あそこに橋を架ける計画があるそうだが、それ本当に必要か?」
 「ん?それは、私は必要だと思うんだが。」
 「それよりよ。向こうの道を広げたほうが良くは無いか。」
 「ほう、そうか、そういう手段もあるか。ちょっと調べてみるわ。」
 などと、一般財源化したうちの5割を使える村では、村民が財源の有効活用を考え、自分達の生活に必要なもの、優先順位まで考えるようになるかもしれない。
 もしも道路特定財源が一般財源化され、その多くが地方の自由裁量が利く予算となったなら、25円の向こうには、このような村の景色が見えるかもしれない。
          

 記:2008.4.4 島乃ガジ丸