昨日は、『ジラースーとマナの関係を島の人々が認め、祝福する会』という、何とも長ったらしい名前のパーティーがあった。結婚披露宴という名前にならなかったのは、照れ屋のジラースーが、「60過ぎてそんな・・・」と嫌がったからである。
ジラースーは若い頃に1度、結婚している。子供も一人できたが、その子がまだ3つ4つの頃に、妻と一緒に事故で亡くしている。その耐え切れない悲しみからユクレー島にやってきた。ジラースーがまだ30代後半の頃である。2年ほど島で暮らした。
元々感性の良い男だったので、島に来てすぐにガジ丸やケダマン、私などのマジムンたちとも懇意となった。ジラースーの半生を、その時に私は聞いている。
ジラースーの名前は青田治朗と言う。父親は倭人であったが、その昔、兵隊として沖縄戦に参加し、生き残って、終戦を迎えた。父親は沖縄の悲惨に深く心を痛めていたのと、元々天涯孤独の身の上だったので、そのまま沖縄に住み着き、沖縄の女と結婚した。
やがて、ジラースーが生まれた。父親は晩婚であり、その時既に40歳を越えていた。母親は戦争未亡人で、ジラースーを産んだのは30歳手前であった。少々病弱だったのでそれ以上子を産むことは無く、また、彼女には先夫の子もいなかったので、ジラースーは二人にとって大事な一人息子であった。青田家はごく平凡であったが、平和に暮らし、けして裕福では無かったけれど、愛に溢れた幸せな家庭であった。
病弱だった母親は、ジラースーが二十歳になるのを見届けるようにして、父親もその数年後に、それぞれ病死した。青田家の男は、天涯孤独となる運命なのかもしれない。ジラースーもかつての父親と同じく、天涯孤独の身となった。
その後、ジラースーは結婚する。しかし、その幸せも束の間であった。数年後には妻と子供を事故で亡くし、再び天涯孤独となる。で、ユクレー島へ、ということになる。
最近は、チシャと暮らしたり、また、ユーナと暮らしたりしていた。チシャはウミンチュ修行のために今は遠洋暮らしである。そして、この春に、ユーナが一人暮らしをするようになって、ジラースーはまた、一人暮らしに戻っていた。
「どうするの?一緒に暮らすの?」と昨日、パーティーの最中にジラースーに訊いた。
「あー、そうだな。すぐにでは無いが、しばらくしたらそうなる予定だ。平日は俺の家で一緒に暮らすし、金曜日に一緒にここへ来て、金曜日と土曜日だけ、マナはユクレー屋で働くことになっている。マナのいない平日は、マミナが店を手伝うそうだ。」
「そうか、それは良かったね。マナは嬉しいだろう。」
「うん、まあな。それが彼女の望みだったからな。」
「って言うジラースーも嬉しいんじゃないの?私がいなくなってさ、淋しくなったところにさ、マナが来てくれるんだよ。良かったねぇ、おじさん。」と、横からユーナが割って入った。大学入学の準備、引越しなどで忙しくしていたユーナも島に帰ってきた。
「あっ、コノヤロ、からかいやがって。しかし、そりゃまあ、そうだなわな。料理のできない小娘に比べたらマナの方がずっとマシかもな。」とジラースーも言い返す。
「えー、私も最近、料理上手くなったんだよ。残念さあ、ジラースーに私の腕前を見せてあげられなくてさ。」と、ユーナも負けていない。さすが女だ、口は達者。
「それにしてもさあ、驚いたよ、ジラースーのその格好、初めてみるよ私。」
というジラースーの格好、私も初めて見た。スーツ姿だ。自分達のためのパーティーだということで、一応の礼儀として、わざわざ着てきたんだそうだ。ところが、服装のことなど、事前にマナと打ち合わせしたわけじゃなかったようで、マナは普段着であった。マナはジラースーがまさかスーツとは思わず、ジラースーはまた、マナが当然ドレスアップするものと思い込んでいたらしい。ジラースーのスーツ姿に、マナも笑い転げた。
「あー、しかし、60過ぎてよ、いい晒しもんだぜ、俺もよ。」と、ジラースーは後悔していたのだが、わざわざ着替えるのも男らしくないと、そのままでいた。
その日は、ユーナだけで無く、モク魔王もやってきた。ハルも珍しくやってくる。ハルは昔から、ジラースーのファンであった。「ちょっと悔しいわね」と挨拶をした。
パーティーの合間合間に、このあいだ、ガジ丸がマナのために作った唄、『ぽっかぽかだね』を皆で歌った。何度も歌った。皆が幸せな気分になって、ジラースーとマナのためのパーティーは大盛況であった。とても楽しい一日であった。
記:ゑんちゅ小僧 2008.4.4