ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版071 安全を妨げるもの

2008年09月26日 | ユクレー瓦版

 マナのお腹が目立ってきた。いかにも妊婦って格好になった。予定日は年末ということなので、あと3ヶ月だ。人間の子供が産まれるという場面を、私は昔、ネズミだった頃に1度目撃しているが、それ以来のこと。とても楽しみだ。

 「マナ、ここで産むって言ってたけど、ホントにそうするの?」
 「うん、そのつもりだけど。」
 「だけど、病院はもちろんのこと、ここには産婆さんもいないよ。」
 「ウフオバーもいるし、マミナ先生もいるし、大丈夫と思うけど。」
 「オバーやマミナは、僕の知っている限りでは産婆の経験は無いよ。訊いてみたの?」
 「いや、まだ。でもさ、昔は家で産むのが普通だったんでしょ?ほら、テレビドラマなんかであるじゃない。『布を用意して、お湯を沸かして』なんてシーン。ああいうの見ていると、そんなに難しいことでは無いように思えるけどね。」
 「難しいかどうかは判らないけど、そういうのだって、ちゃんと産婆さんがいて、その人が指図しているんだと思うよ。お産のプロなんだよ。」
 「そうかなぁ、無理かなぁ、プロの人がいないと。」

 ちょうどその時、ウフオバーが外出から帰って来た。で、早速、
 「オバーさあ、産婆の経験ある?」とマナが訊いた。
 「産婆?私は無いねぇ。産婆さんがやるのを見たことは何度もあるけどね。」
 「私、ここで子供を産みたいんだけど、オバー、産婆さんやってくれない?」
 「そうだねぇ、大切な命を扱うことだからねぇ、それもデリケートな赤ちゃんの命だからねぇ、見よう見まねではできることじゃないと思うさあ。」
 「そうかぁ。・・・マミナ先生も経験無いのかなぁ?」
 「さー、どんなかねぇ。訊いてみたらいいさあ。」

 ということで、庭で昼寝をしていたケダマンが叩き起こされて、マミナを呼びにやらされた。マミナの家は村のはずれにあり、ユクレー屋からは最も近い。寝起きでフラフラだったケダマンであったが、15分後には戻ってきた。マミナも一緒。

 「はい、オバー、慌てて来たけど、何の用事ねぇ。」
 「マナが、ここでお産したいっていうんだけど、あんた、できる?」
 「できる?って、私が産婆さんになるっていうこと?」
 「そういうこと。マミナ先生、経験ある?」(マナ)
 「経験は無いさあ、テレビで見たことはあるけどね、産婆さんがどうやっているか正確には知らないさあ。私がやるとしたら伝統無視のやり方ということになるねぇ。」
 「ほう、伝統無視の産婆か、そういう唄があったな、昔。」(ケダ)
 「なんだよそれ、そんな唄、聞いたこと無いよ。」(私)
 「あなたと私が夢の国、森の小さな教会で、っていう奴だよ。」(ケダ)
 『てんとう虫のサンバ』のことだ。くだらない駄洒落だった。一瞬、場が白けてしまったが、ちょうどその時、上手い具合にガジ丸一行(ガジ丸、ジラースー、太郎さん、新さん、勝さん)がやってきて、空気を変えてくれた。

 「マナがここで産みたいって言ってるけど、ジラースーはどう思ってるの?」と私。マナのお産のことなのだ、もう一人の当事者であるジラースーの意見も大事だ。すると、我々があれこれ協議していたことに、彼は簡単に決着をつけた。
 「あー、予定日が年末年始休みになるんでな、知り合いの産科医がここに来てくれることになっている。ガジ丸も顔見知りの医者でよ、ガジ丸が瞬間移動で連れて来る。」
  「なんだ、そういうことになっているんだ。そうならそうと早く言ってくれればいいのにさ、オバーとマミナ先生に産婆さんやってもらおうかと相談してたんだよ。」(マナ)
 「医者の話は昨日決まったことなんだ。」(ジラースー)
 「それじゃもう、マナのお産はここでということに決まりだね。」(マミナ)
 「だな、場所はここの母屋でいいだろう。」(ジラースー)
 「出産の場所は清潔でないといけないんだろ?」(ケダ)
 「オバーが毎日掃除しているから母屋はきれいさあ。」(マナ)
 「場所は問題ないが、ここに清潔を妨げるものがいるな。それを何とせんとな。おー、ちょうど今日はシャワーの降る日だ。もうそろそろ降り始める頃だな。」と言いながら、ガジ丸はケダマンの毛を掴んで、ドアを開け、ケダマンを放り投げた。
 「ナンダバー!」とケダマンは叫んだが、
 「その汚れた毛玉が出産の不安材料なんだ。よー洗っとけ。」とのことであった。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2008.9.26


偉い人々

2008年09月26日 | 通信-社会・生活

 社会保険庁から「ねんきん特別便」が届いた。長い間、アルバイトと無職を繰り返していた私は、年金を支払っている期間が短い。「ねんきん特別便」を見ると、私が年金の支給を受ける資格を持つまでには、あと10年、年金を払っていかねばならない。
 今の職場は建設関連である。建設関連の業界は公共工事が減って、数年前から不況が続いている。私はまた、社長に対し遠慮なく意見を言うので、社長からあまり好ましく思われていない。よって、いつリストラされてもおかしくない状況にいる。
 あと10年、年金を払わなければならないのに、いつ職を失うかしれない。もしも職を失ったら、この不況下で、オジサンに新しい職があるかどうかも不安だ。
 私は血圧が少々高めである。なので、脳梗塞なんかで倒れて、半身不随になって、働けなくなる可能性も高い。あるいはまた。私は現場に出て、肉体労働をすることもある。危険な電動工具を扱ったり、高い場所に上ったりする。怪我の可能性も高い。
 この先何とか頑張って、リストラされること無く働き続けて、歳取ってまでも働き続けて、そうやって努力したにも関わらず、もしもである。9年を経た後に病気や怪我で倒れて、働けなくなって、年金を支払う能力が無くなってしまったら、過去24年間支払い続けた積み立てが何の役にも立たないということになる。何てこった!である。

  そうやってよーく考えれば、私は不安だらけである。不安を抱いて生きていかなければならない。だけれども私は、あまり不安を感じていない。どうも、不安を感じる部分のセンサーが少々麻痺しているみたいである。「なんくるないさ」と思っている。
 世の中には、不安を感じるセンサーが敏感な人も多くいるであろう。そういった人たちの気分になって、ちょっと想像してみた。お金の入るあてがなくなるかもしれない。老後に年金が貰えないかもしれない、などということをである。
 生きていけないかもしれないのだ。不安である。その不安を払拭するにはどうするか。先ずは貯金だ。金さえあればなんとかなる。貯金する余裕が無ければどうするか。家族である。家族に何とか助けてもらうしかない。その家族もいなければどうするか。

  さて、どうするか。そりゃあもう、開き直るしかない。不安は忘れてしまうしかない。ところが、不安に敏感な人にとっては、自分自身の力ではどうしても拭い去ることのできない不安もあるだろう。それをどうするか。・・・と考えて、ふと思った。
 世の中には偉い人たちがいる。他人の不安を忘れさせてしまう力を持った人々である。彼らから「勇気を貰いました」とか「生きる力が湧きました」とかいった感想をテレビで何度となく私は聞いている。偉い人々とは歌手や俳優、アスリート達のことである。
 ポップスや演歌を聴いて、あるいは、ドラマを観て、「勇気を貰いました」となり、スポーツ選手たちの活躍する姿を観て、「生きる力が湧きました」となる。

 そこでまた気付いた。私は20年以上も前から歌番組を観ていない。ドラマもほとんど観ていない。スポーツにも興味を無くしている。不安を感じることが無いから、そういったものに興味が無いということなのだろう。ただ、このあいだのパラリンピック、ニュースで観ただけだが、選手の頑張る姿に感動した。ホントに偉い人たちだ。
          
          

 記:2008.9.26 島乃ガジ丸