何かと騒動の種になっていたケダマンがいなくなってから、ユクレー島も静かで、何の事件も起こらない。私の瓦版も野山の瓦版という名の通り、森のフクロウや、畑のミミズや川のメダカたちの近況報告が紙面の多くを占めている状況。
そんな週末、ユクレー屋にはマミナ先生がいて、マナがいる。マナは概ね、毎月の第一週には里帰りしている。で、今日はその月初め。いつもはカウンターで私の相手をしてくれているマミナだけど、マナがいるから今日は私の隣。で、三人でユンタク。
「トーキョーは凄かったよー。人も車も一杯でさ、酸素が足りなくなるんじゃないかって思うくらいだったよー。」というマミナの旅話の一つから、環境の話となった。
「人も車もトーキョーには遠く及ばないオキナワだって、酸素が足りなくなるかもしれないよ、海の森が減りつつあるからね。」(私)
「海の森って、珊瑚のこと?」(マナ)
「南の海の珊瑚だけど、海水温があまり高いと死ぬらしいんだ。」(私)
「あー、地球温暖化で海水温も上がるってことね。そうか、海の森も危ないのか。このままいったらどうなるんだろうね。子供達の将来は大丈夫かなぁ。」(マナ)
「マナは何か環境にいいことやってるの?」(マミナ)
「そうだねぇ、夏場もクーラーを使わないようにしているよ。」(マナ)
「マナ一人が頑張ったって、世界中の砂浜の砂の1粒程度だと思うよ。」(私)
「いや、それでもね、1日1粒で、1年で365粒になるさあ。」(マミナ)
「365粒って、屁みたいなもんだよ、お金で考えたら365円だ。」(私)
「その365円を世界中の人たちのうち10億人がやるとしたら?」(マミナ)
「10億かける365円、・・・3650億円だ!すごいね。」(マナ)
「3650億円といえば、ユニセフの1年間の援助金額の10倍さあ。一人一人が少しずつでも努力すればそんな大きな数字になる。塵も積もれば、だね。」(マミナ)
ちょうどそんな会話をしている時にガジ丸一行(ガジ丸、勝さん、新さん、太郎さん、ジラースー)がやってきた。話は聞こえていたようで、すぐにガジ丸が加わる。
「塵も積もればって環境の話か?それとは違うが、今度の新曲も塵も積もればって話になる。若い頃からちゃんとした食事と運動をコツコツ続けていれば年取っても元気でいられるって話だ。モデルはジラースーなんだがな、爺さんトリオにも言える。」
「確かに爺さんトリオも元気だけど、ジラースーは人間としちゃ驚異的かもね。」
「あー、自分では特にそうは思わなかったんだけどな、このあいだ久々、20年ぶり位に同窓会があったんだ。同級生達が皆老いぼれていたのには驚いたよ。」(ジラー)
「今年64歳になったんだよこの人、近所の60代の人たちと比べたら女房の私だって驚くくらいさあ。走るし、跳ぶし、ほとんど病気しないし。」
「体の鍛え方だね、我が身を甘やかさない精神力の強さだね。」(マミナ)
「うん、いや、だから塵も積もればって話だ。ジラースーは日頃から体を鍛えている、若い頃からずっとだ。そういったコツコツが積み重なって大きな成果となる。歳取ってからも元気という結果だ。塵も積もれば千里の道にも到達するってことだ。」(ガジ)
「あと5、6年もしたらマナの子供達も小学生になって、運動会とかあるよね、父兄の参加する催し物もあるよね、その頃、ジラースーは70歳だよね、年齢からすると曾お爺さんだよね、それでもまだ、走ったり、跳んだりしているかなぁ?」(私)
「お前、想像したくないことを想像させるなぁ。しかしそうか、子供達が小学生になったら俺は70歳か、確かに曾お爺さんだ。走っているかなぁ?」(ジラー)
「大丈夫だよ。あんたなら走れるし、跳べるさあ。それに見た目だってさ、今でも40代だし、あと5、6年経ったって40代だよ。お父さんで通るよ。」とマミナ、それはけしてお世辞ではない。私もそう思う。傍でマナも大きく肯いて同意している。
などという話が一通り終わった後、トリオG3の唄が始まった。新曲は一つ、そのタイトルは『病も山のように』、まさしく、我々の話していた内容の唄であった。
記:ゑんちゅ小僧 2009.12.4 →音楽(病も山のように)