12月になった。といっても、一般的にマジムン(魔物)にとっては12月だろうが1月だろうが日々の暮らしに特に変わり(新月と満月は多少関わりがある)は無い。ただ、人間との付き合いがある私にとっては、人間に近い気分になる。正月は少しウキウキ気分になるし、年末は慌しい気分になり、クリスマスは恋したくなる気分になる。
といっても、ユクレー島にいる限りではそういった気分もあまり起こらない。ユクレー島に喧騒は無い。子供達がちょっとはしゃぐくらいだ。しかし、この時期オキナワへ行ったりすると気分はパッと変わる。ナハにあるユイ姉の店なんかは年末忙しいし、クリスマスになると、恋したくなっている大人たちで賑やかになる。
そんな12月、年末の気分、クリスマスの気分が控えめなユクレー島は今日もよく晴れていて、気分爽やか。散歩を終えての夕方、いつものようにユクレー屋へ。
カウンターにはマミナ、厨房にはウフオバー、店内は特にいつもと変わりは無い。もうすぐクリスマスだけど、それらしい飾りつけは無い。
そんな景色を見渡して、
「うん、やっぱりだね。」と、カウンターに腰掛けながら感想を述べた。
「何がやっぱりなの?」とマミナが応じる。
「クリスマスって感じじゃないよね、ユクレー屋は。」
「クリスマスかぁ、そうだねぇ、別にめでたいってことも無いからねぇ。子供達が遊びに来るんならちょっと考えてもいいんだけどねぇ、ここは大人しか来ないし。」
「オキナワのユイ姉の店も大人しか来ないけどクリスマスやってるよ。」
「うたかたの恋を求める大人たちがいるからね、ここにはそんなのいないし。」
確かに、この島にはそういうのを求める人はいない。さらに言えば、恋とは無縁のマミナと、恋とは、ということさえ憚れるウフオバーでは、クリスマスも無縁だ。
「キリスト教徒でも無いしねぇ、私は。」とオバーが決定打を放つ。
「あっ、・・・」と、マミナがカレンダーを見ながら、「今年のクリスマスは金曜日に当たるんだ。じゃあ、宴会になるね。」と続けた。
「金曜日ならいつもと変わらない、いつもの宴会だよ。」(私)
「あい、そうねぇ、金曜日になるのねぇ、だったら少しは飾ってみようかねぇ。」とオバーが厨房から出てきて、カレンダーを確認する。
「ユーナが帰ってくるって言ってたさあ、この日。」
「ユーナ?そうか、ユーナは恋したい若者だからってことか。」(私)
「クリスマスの飾りか、そういえば、マナがいる頃はちょっとクリスマス気分を出していたね。彼女は恋する女だったからねぇ。」(マミナ)
などとユンタク(おしゃべり)している間に夜になって、いつものようにガジ丸一行がやってきて、ユクレー島運営会議が終わって、ガジ丸がカウンター席に座った。オバー、マミナ、私の三人で語ったことをかいつまんでガジ丸に聞かせ、意見を訊いた。すると、ガジ丸はそれに答えること無く、話を始めた。ここからガジ丸の語り、その要約。
このあいだ、ある島で物思いに耽っているクジラに会った。オジサンクジラだ、人間で言うと四十代、分別の十分備わっている歳だ。わけを聞くと、
「生きている意味を見失った。」と言う。
「生きていることに意味があると思うが。」
「いや、俺は毎日たくさんの小さな命を食べて生きている。たくさんの小さな命を犠牲にしてまで俺一人の命に生きている価値があるのだろうかと・・・。」
「ほう、そんなでっかい図体をしていて、自分が取るに足りないちっぽけなものに見えたか。ふんふん、お前、ひょっとして、振られたな?」と言うと、クジラはゆっくりと俺に目をやって、ゆっくりと目を逸らし、しばらく黙っていたが、
「あー、」と小さく答えた。そして続けた。
「恋などしなければ良かった。するだけ損だ。この歳になって馬鹿だ。」
「その歳になって恋をしたってことは、たとえ振られたとしてもだな、天晴れなことだと思うぜ。人間も動物もおよそ恋をするために生きているといって過言では無い。お前は動物として正しい生き方をしてるんだ。まあ、ただ、普通はそろそろ、女では無く、花鳥風月に恋をする歳だがな。いずれにせよ、何かに恋するってことは大事だぜ。」
「そんなもんかなぁ・・・、」とクジラは言って、空を見上げた。夜空だ。十三夜の月がそこにあり、煌々と明りを照らしていた。
「というわけだ。」とガジ丸の話はここで終わった。「まあ、つまりだな、何かに恋をするということは、そこに夢とか希望とかワクワクとかドキドキとかの、生きるのに必要な要素が詰まっているんだ。だから大事だよって話だ。」とのこと。その後、そんなことをテーマにしたっていう新曲をガジ丸は披露した。題は『クジラの憂鬱』。
記:ゑんちゅ小僧 2009.12.11 →音楽(クジラの憂鬱)