先週土曜日(2010年2月27日)の午後、浦添美術館へ行った。『ピカソと20世紀の巨匠たち』という催し物をやっていて、それを観に。
展示数が少なかった(約60点)ことで物足りなかったのと、会場が狭いうえ、土曜日ということもあって来場者は多くて、一つ一つの絵をじっくりと観賞できなかった、ということで、期待していた満足感には遠く及ばなかった。
その会場で、従姉の息子家族に会った。小学校二年生と幼稚園生の息子を連れて来ていた。「27日に浦添美術館へ行くから、できたら一緒にいかが?20世紀の優れた作品が生で観られます。子供たちには経験させた方が良いでしょう。」といった内容のメールを前に送っていたので、会うのは偶然では無く、予想していたこと。
その小学校二年生の息子が、絵を描き、物語を作るのが好きな子で、前にその作品を見せてもらったことがある。絵も文も小学校二年生らしく拙いのだが、その想像の世界は、彼の両親は無関心のようであったが、妄想癖のある私にはなかなか面白いと思えた。で、彼の母親に、「彼のように想像力豊かな子供が、その力を存分に発揮したからこそ、鉄腕アトムやハリーポッターは生れた。才能は伸びる方向へ伸ばした方が良いでしょう。」というメールを送り、『ピカソと20世紀の巨匠たち』にも誘ったのであった。
子供たちが名作に対しどう反応するか興味があった。なので、私は絵だけでなく、子供たちにも注意を払っていた。それから、絵の展示は概ね大人向けの高さになっている。子供の目線では大きな絵に見降ろされているみたいになって、威圧感が先にくるのではないかと思っている。もし、子供たちが関心を示した絵があれば、彼らをおぶって、大人と同じ目線で観させて、印象がどう変わるかを試してみたかった。
「好きな絵はあったか?」と、展示を一通り観た後、二年生に訊いた。
「ううん、分からない。」と、困ったような顔をして彼は答える。
そりゃあそうなのである。、やはりと言った方がいいのだが、大人が見ても意味の分かりにくい絵を、子供たちが「僕、ピカソの『眠る女』が好き」なんて関心を示すことは無いのだ。おかげで私は、二年生をおんぶする重労働から免れたのであった。
友人Sが昨年再婚した。Sも再婚だが、相手のTさんも再婚。Tさんには連れ子が三人いて、その長男が確か今、23、4歳だと思うが、絵を描いている。Sの家でパーティーがあった時、その作品を数枚見せてもらった。「ほほう」と感心する。
絵は上手い。絵を描くようになって何年も経つのであろう、練れている。細かく、丁寧でもある。それよりも、私の感性にはあまり無いドロドロ感に惹かれる。
彼の絵は概ね暗い。ドクロやらお化けのようなものが描かれていて地獄絵のようなものもある。また、絵の中には少女の顔がいくつかあり、少女は笑っている。しかし、その笑いは何か毒を秘めている。「人間不信?」と疑うような表情、それが気になる。
見たこと、経験したことが心の中に映像を作る。映像を作るのは想像力の問題だが、彼はその力がある。そして、心の中の映像を表現するのは技術だが、その力もある。
それにしても、中学高校の頃は私も鬱屈していたが、子供の頃の彼の目は、いったい何を見てきたのだろうかと興味が湧く。今度会う機会があったら訊いてみよう。
記:2010.3.5 島乃ガジ丸