このブログを毎回読んでくれている友人Hが、「お前の文章には難しい言葉がちょくちょく出てきて、よー解らん時がある。」と言っていた。表題にある些事(さじ)、Hにとっては難しい言葉だと思われるので、彼のために説明、「些細な事」という意味。
もう一つHのためのお勉強、「対岸の火事」は「自分には全く関係のない出来事で、少しも痛痒(つうよう)を感じない物事のたとえ。」(広辞苑)のこと。「痛痒って何なんだ?」とさらにHが訊いてきたらこう答える。「読んで字の如くだ」。
火事は、対岸にとっては「えらいこっちゃ」で、些細な事ではない。表題の対岸の些事はよって、「自分には全く関係のない出来事で、当事者にとっても些細な出来事だと判断され、全く痛くも痒くもないどうでもいいこと」となる。私の造語。
日本国の政治は日本国民にとって対岸の事ではない。また、時の総理が任期途中で辞任することは国民にとって些事ではない。のだが私は、総理の辞任が「対岸の些事」だと感じた。ただ、破賭山総理と小技幹事長の綱引きだけがドラマとして少々興味を引いた。しかしそれも、どっちが勝っても負けても引き分けでもどうでもいいことだが。
私は選挙権を得てからこれまで数多くの投票をしてきたが、棄権した(たまたま都合が悪かったとか、うっかり忘れていたとかいう理由)のは数回、保守系の候補者に入れたことはたったの1回(どうしてもと頼まれていたしかたなく)、それ以外は全て革新系の候補者に投票してきた。ここ十数ほどは特に、ある政党に肩入れしている。
肩入れしているのは、その政党の党首が可愛いからというのが主な理由だが、その党首が言うような社会が実現するといいなぁと思うからでもある。
政治は、医療で言うところの対症療法(患者のその時の症状に応じて行う治療法。広辞苑による)が作業の大部分だと思う。つまり、国のその時の社会、政治、経済等の状況に応じて、国民の生命と財産を守るために何らかの対処を行うことだと思う。
対症療法は政治の作業の大部分なので、それができない政党には国政を任せることはできない。ではあるが、今はともかく将来の理想とする社会はどうあるべきかを掲げることは、政治の作業の小さな部分だが、とても大事な部分だと私は思う。対症療法のできない政党に現実の政治を任せるのは不安だが、理想とする社会を目指して突き進もうと努力している政党には肩入れしたいのだ。「頑張ってね」と言いたいのだ。
「アメリカが沖縄を手放すわけが無い」と私は認識しているが、それでも、普天間基地の国外移設については、「そうなるといいなぁ」と心底望んでいた。破賭山前総理もそう仰っていたし、受け入れを歓迎している国外もあったことから、可愛い党首の活躍いかんによっては、ひょっとしたらひょっとするかもと思わぬこともなかった。
可愛い党首のいる政党の国会議員がせめて、今の10倍くらいの人数がいたならば、もう少し沖縄県民の望む方向へ近づけるのではないか、という思いを私は常々抱いていた。ので、党首が可愛いという理由だけでなく、長くその政党を応援してきたわけ。
普天間基地問題は、他府県民から見ると対岸の些事なのだろう。普天間から辺野古へ移動するだけの、沖縄内部の問題に過ぎないと思うのだろう。よって、「そうじゃない」と訴える政党が全国的な支持を得ることは難しいかもしれない。でも、頑張ってね。
記:2010.6.4 島乃ガジ丸