「こうこうしたい」は、「孝行したい時に親は無し」の孝行では無い。不肖の息子は、そういうことはあまり思わない。母親は、尊敬できる人であったが、人生の価値観で私とはいろいろ確執があった。父親は、指図好きな人で、指図されるのが嫌いな私とは性格が合わなかった。それでも、実家を離れ、アパート暮らししてからは、適度な距離を保っての付き合いができたと思う。互いに憎み合うことはこれっぽっちも無く、会えばいつも、にこやかな時間を過ごすことができた。それが私の親孝行のつもりだった。
アパートの、私の部屋に白蟻が発生して、避難を余儀なくされ、7月の一ヶ月間、実家で暮らした。実家で一晩寝るのは10年ぶりくらい、二晩以上続けて寝るのはアパートへ越して以来初めてで、17年ぶりくらいとなる。
母が死に、父が死に、誰もいなくなった実家に一ヶ月。元自分の部屋を整理し、父の部屋の本棚を整理し、門前を整理し、ベランダや屋上を整理し、物置を整理し、居間を整理し、台所の棚の一部と冷蔵庫の中を整理していくうちに、あることに気付いた。
壊れて使えない運動器具が父の部屋にある。大きいので部屋の邪魔になっている。できれば処分したかったのであろうが、重いので、女の母には持てず、右半身が多少不自由な父にも持てず、よって、そのままにしておいたのであろう。処分すべき重い物は玄関前にもある、壊れたマッサージチェア、これもずっと置きっぱなしだ。重くは無いが処分すべきか直すべきか悩んだと思われる壊れた扇風機や自転車もあった。
室内の床の一部に塗料が塗られている。父が塗ったと思われる。仕事としたならばまったく金の貰えない、逆に損害賠償を要求されかねない不味い出来。コーティングの残ったフローリングには使えない塗料を使ったせいだ。
居間にはDVDレコーダーがあるが、使われた形跡が無い。DVD媒体が1枚も無いことからも使ったことが無いということが判る。電気屋さんに勧められて買いはしたが、年寄二人には、その使い方を覚えるのが面倒であったようだ。
不要な物は処分したい、壊れている物を直した方がいいかどうか判断したい、ところどころ塗装の剥げた床に塗料を塗り直したい、などなど、父も母も「こうこうしたい」と思うことがいくつもあったのだろう。私が一緒に住んでいれば、それらを私に頼んだに違いない。木工を趣味としていたので、塗装の知識も私にはある。
年に数回しか顔を見せない息子に、「会社の景気はどうだ?」、「元気ねぇ、ちゃんと食べている?」、「お中元の品、好きなもの持っていけ。」、「天ぷら作るから持って帰りなさい。」などと二人は言い、息子の近況を聞き、世間話をしているうちに、普段「こうこうしたい」と思っていることを言い忘れてしまうのだろう。
荷物運びや塗装では無い他の雑用で、父には何度か呼び出されたことがある。しかし、母にはそれが無かった。「こうこうしたい」と思った時も、肉体労働で疲れている息子を呼び出すことに遠慮があったのかもしれない。その母が、亡くなる一年ほど前、「年賀状をパソコンで作ってくれない?」と電話してきた。その前年も同様のことを頼まれ、その時はやってあげたが、その年は仕事が忙しくて、断った。滅多に頼み事をしない母であった。やってあげれば良かったと、その半年後、母の病気を知った時に後悔した。
記:2010.9.3 島乃ガジ丸