ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

タイワンキドクガ

2012年03月09日 | 動物:昆虫-鱗翅目(チョウ・ガ)

 毒虫の代表

 これまで本種を含めて20種のガの仲間を紹介しているが、子供の頃から虫などには興味を持たなかった私はそのほとんどを、姿も名前も知らなかった。でもただ2つだけはガジ丸HPを始める前、昆虫図鑑を頻繁に見るようになる前から知っていた。
 もう25年前位になるか、親戚の家の門傍に植わっているチャーギ(イヌマキ)の枝葉に夥しい数の尺取り虫が付いているのを見た。チャーギの幹を蹴るとその振動で尺取り虫が落ちる。尺取り虫は自ら分泌する糸で木と繋がっているので地面には達しない。何十匹もの尺取り虫がシャワーのようにぶら下がっている。その光景が忘れられなくて、ぶら下がっている奴がキオビエダシャクというガであることを知り、その名も覚えた。
     
 知っていた残りのもう一種はタイワンキドクガ、キオビエダシャクの幼虫はイモムシだが、こっちの幼虫は毛虫。その毛に毒を持つという毛虫。子供の頃、毛虫には毒があると聞いて、どの毛虫にも触れなかった。今でも毛虫を直に触ることは無い。
 私自身、虫刺されによると思われる発疹の経験はあるが、その犯人は不明。毛虫かどうかも確証は無い。若い頃、バイト先の先輩が「毛虫に刺されたぁ」と言って腕の発疹を見せ、「タイワンキドクガって奴だ」と教えてくれたので、その名を知った。

 タイワンキドクガ(台湾黄毒蛾):鱗翅目の昆虫
 ドクガ科 琉球列島、台湾に分布 方言名:ハベル(蝶蛾の総称)
 名前の由来、分布は琉球列島、台湾とあるが、おそらく、台湾に多いのでタイワンと名がつくのであろう。成虫の翅の色が黄色いのでキが付くドクガ科のガということ。
 沖縄で毒毛虫というと本種が代表格、幼虫の毒毛に触れると発疹がでて、痒くなるとのこと。毒毛は幼虫だけで無く、卵、蛹、繭にも付着している。
 平地性のガで、特にその幼虫は近隣の公園や民家の庭、畑などでもよく見かける。幼虫の体長は25ミリ内外。食草はゴボウ、ダイコン、ツルソバ、バラなど。
 成虫は主に夜行性で、灯火によく飛来する。飛翔力に乏しく、1度静止するとなかなか飛び立たないとのこと。前翅長13~16ミリ。出現時期は3月から12月。
 本種と同属で、見た目がよく似たものにゴマフリドクガという種があり、文献にあるその特徴を持った個体を見つけ、写真を撮った。
 
 成虫
 
 幼虫

 ゴマフリドクガ(胡麻振毒蛾):鱗翅目の昆虫
 ドクガ科 分布は不詳 方言名:ハベル(蝶蛾の総称)
 前翅長30ミリ内外。前翅に赤色斑点がある。白色の横線は無い。ちなみに学名、
 ゴマフリドクガEupructis pulverea (LEECH)
 タイワンキドクガEupructis taiwana (SHIRAKI)
 
 成虫 
 
 記:ガジ丸 2012.2.22  →沖縄の動物目次 →蝶蛾アルバム

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄昆虫野外観察図鑑』東清二編著、(有)沖縄出版発行
 『名前といわれ昆虫図鑑』偕成社発行
 『いちむし』アクアコーラル企画発行


欲望の行きつく所

2012年03月09日 | 通信-社会・生活

  1月中旬、友人のE子が私の畑に来た。何か食えるものはないかと彼女の目がギラギラ輝く。パセリをちぎって口の中に入れた。それは別に構わない。食べられることでパセリは役に立っている。さらにE子はすくすくと育っているジャガイモを見つけ、「ジャガイモ掘ってみようよ、できているかもしれない」と言う。「掘るのはまだまだ先だよ」と答えるが、「1株でも試しにさぁ」とさらに要請する。もしかしたら食えるかもしれないと思っていやがる。ジャガイモの掘り時、私の感覚では早くとも一ヶ月以上先だ。今掘ってもジャガイモは人の役にほとんど立たない。ということで、これは強く断る。

  別の友人K子は「得することが死ぬほど好き」といって憚らない。そんなにガツガツしなくても生きて行けるだろうと私は思うが、得することへの強い欲求は人間のあたり前の性質だと思っているようだ。「あんたのその欲が原発が無いと成り立たない社会を作ってるんだぜ」と私はまた思う。欲の強さは生きるエネルギーであり、社会の発展の源であるかもしれないが、自然を壊してまで・・・つまり、未来の人間の命と今の自分の命が繋がっていると思えば、自分で自分の首を絞めるようなことをしてまで欲望を満足させなくてもいいじゃないかと思う。E子もK子も好きな人たちだけに少し悲しくなる。

 しかし、彼女らはまだ可愛い(見た目でも)方である。私の姉のように親の金を欲に任せて使い込むような女もいる。それも当たり前と思って反省しない、戦争を反省しない日本帝国の生き残りみたいなものである。彼女を見ていると「悲しくなる」を通り越して、気持ち悪くなる。「犯罪の影に女あり」というが、戦争が「欲望の行きつく所」であるとするならば、「戦争の影に女あり」とも言えるかもしれない。

 「ねぇーあなた、イノシシの肉が食べたいわ、盗ってきて。」
 「イノシシなんてそう簡単には獲れないよ。」
 「獲ってって言ってるんじゃないよ、盗ってって言ってるの!」
 「盗って?ってどういうことだ?」
 「隣町にイノシシを何頭か捕まえた人がいるのよ、それを盗んでってことよ。」
 「えーっ!泥棒するのか?見つかったらどーすんだ?」
 「相手を殺してでも盗って来るんだよ!愛する女のためにさっ!」
 男は女の言う通りにした。そしてイノシシの所有者を、見つかってしまったので仕方なく殴って怪我を負わせてしまった。後日、男はイノシシの所有者仲間から報復を受けた。それに怒った男の親族たちが隣町に殴り込みをかけた。そして、戦となった。
 なんてことが昔、昔、その昔、ある所であったかもしれない。

 E子の言動をみると、本音と建前を使い分け上手く世渡りができ、上手く得するような知恵を身に着けることが大人であると思っている節がある。しかし私は、「自らの欲望をコントロールできることが大人」という考えだ。脳科学の詳しいことは知らないが、脳幹に心を支配されるのでは無く、前頭葉が脳幹をコントロールするということ。平和であり続けることこそ人間の知恵の働かせ所で、知恵は前頭葉から生まれる、はず。
          
          

 記:2012.3.9 島乃ガジ丸