ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

ものさし

2012年03月30日 | 通信-政治・経済

被災地の瓦礫処理に携わる人々は毎日危険に晒されている。
「そんなことしていたら、命が危ないから逃げなさい」と勧め、
もしも、瓦礫処理をする労働者がいなくなったら瓦礫はずっとそこに残る。
瓦礫はずっとそこから放射性物質を放ち、全国、また世界中にばらまかれる。
それを防ぐためには、やはり、命を削りながら働く人々が必要となる。
その人達のことを思えば、その仕事が早く終わるようにしなければならない。
瓦礫受入れがその方法の一つであれば、受入れも考慮しなければ人道では無い。
しかし、汚染瓦礫を全国にばら撒くのはバカげている。

「瓦礫の処理は国に責任がある、原発は国策であったのだから」というのは解る。
だけれども、国策は国民の間接的多数決によって成されてきた。
多少の危険よりお金が大事、経済発展が一番大事とした「国民」の多数決である。
国策は、反対意見も多くあったのに、間接的には国民が選択したものとなる。
であるならば、汚染瓦礫の処理は全国民の責任であるとも言える。
「食べ物は頂くけど、排泄物はあんたのところで処理して」は人道に反する。
だからといって、汚染瓦礫をばら撒くのが当然とは思わない。
リスクは負うべきものだが、リスクは最小限に留めなければならない。
全国に汚染瓦礫をばら撒くことが最小限のリスクとは、私には全く思えない。

「汚染されていない瓦礫を受入れてくれと言っている」らしいのだが、
汚染されていない瓦礫であれば、今ある場所に置いておいても良かろうと思う。
いくら瓦礫の量が多いからといって、沖縄の基地面積に比べればたいしたことない。
それが、復興の大きな妨げになっているとは思えない。

ものさしは一つでは無い。好き嫌いを物差しにすれば、結論は簡単に出る。
中には変人がいるかもしれないが、汚染(の可能性のある)瓦礫は概ね嫌われる。
ものさしは一つでは無い。損得を物差しにすれば、意見は分かれる。
受入れによって利益を得る者(政治屋とか土建屋とか)は概ね賛成で、
利益と無関係な一般庶民は汚染(の可能性のある)瓦礫受入れに概ね反対となる。
ものさしは一つでは無い。善悪(倫理的に正しいかどうか)を物差しにすれば、
その判断はなかなか難しい。何も考えずに、受入れ反対という結論は出ない。
だからといって、汚染瓦礫を全国にばら撒くのはバカげている。

「汚染されていない瓦礫を受入れてくれと言っている」らしいのだが、
そんな瓦礫であっても、遥か遠く沖縄にまで運ぶという国の意図は理解不能。
ただでさえ小さな島に、何で遠くから時間と金をかけて運ぶのだろう?
瓦礫が汚染物だから首都から遠く離れた場所へ、という意図かと疑ってしまう。
霞が関からも永田町からも遠く離れた沖縄へ汚物は捨て置け、という物差し。
ものさしは一つでは無い。んがっ、そんな物差しであれば、沖縄は拒否したい。
 
 
 記:2012.3.30 島乃ガジ丸