ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

強化しよ問題

2012年04月13日 | 通信-政治・経済

 去年(2011年)11月、デイサービス施設で3日間バイトした。利用者は主に介護を要する老人、その施設には8人いた。介助無しに歩ける人は2人だけで、手を添えれば歩ける人が3人、車椅子の人は2人で、寝た切りの人が1人。
 アルバイトの私は介護をする人たちの手伝いをするだけで、車椅子の人を持ち上げて車に乗せたり降ろしたりなど力を要する仕事が主であった。その他には、お年寄りたちの血圧や体温を測ったり、その日の様子を記述したり、遊び(トランプやらカラオケやら)時間に一緒に遊んだり、お年寄りたちの話し相手をしたりなどがあった。
 そうやって三日間、お年寄りたちと付き合った。介助無しに歩ける2人、手を添えれば歩ける内の1人、車椅子の内の1人の計4人は頭がしっかりしている。時々トンチンカンなことを言ったり(耳が遠いせい)するが、普通にユンタク(おしゃべり)できる。
 4人のお年寄りたちからはいろいろ話を伺った。生まれ島の宮古の話、小作農の夫と共に貧乏生活を生き抜いてきた話、古い沖縄民謡の話などなど、いずれも興味深いものであったが、たった3日ではそれぞれの人生の、1ページほども聞けなかった。

 聞いた中では、まあ、私が「戦時中はどんな暮らしでしたか?」と質問したからでもあるが、戦争の頃の話が多く、概ね「戦争は絶対やったらダメさぁ」だった。
 「日本兵からは『捕虜にはなるな』と言われていたけど、もう負けることは分かっていたからね、アメリカーが来たら降伏しようって村の皆で決めていたさぁ。」
 「日本兵は怖かったけど、アメリカーは優しかったよー。」
 「だけど、アメリカーの黒人グループに強姦された女も多くいたよー。」

  「怖かった」という日本兵の弁護をすると、死が目の前に迫っているという精神状態にあったということを考慮したい。村人たちと一緒にガマ(洞穴)に隠れている。アメリカ軍が近付いている。一緒に隠れている村人が声をあげたら見つかる。赤子が泣いたら見つかる。見つかったら命が無い。だから、惨いこともしてしまう。
 もう少し言うと、日本兵の中にも自らの死を諦観し、兵隊になる前の元々の日本人の優しい心を取り戻し、「さぁ、米軍がそこまで来ている。あなたたちは殺されることは無いからガマから出て行って降伏しなさい。さぁ、ここに白旗がある。これを持って行きなさい。米軍は捕虜となった民間人に酷いことはしないと聞いている。安心しなさい。」などと言う人もいたであろう。どこにでも天使と悪魔はいる。戦時下では悪魔が増える。
          

  沖縄戦の悲惨を明記しない教科書を「使う、使わない」で揺れた八重山教科書問題が決着した。石垣市と与那国町はその教科書を使い、竹富町は別の教科書を使う。義務教育の教科書は国の費用で賄われるが、竹富町は勝手なことをしているからとのことで国は金を出さない。竹富町の教科書は有志の寄付金で賄われるとのこと。
 八重山教科書問題のニュースを最初に聞いた時、「えっ!ホントか?なんで?」と私は耳を疑った。「愛国心を強化しよ」という圧力に沖縄が屈したのか?沖縄戦を語らない教科書の採択なんて、沖縄に対する売国行為じゃねぇか?と思った。戦後70年近くになって、圧力団体「愛国心は教科書で強化しよ」が沖縄を侵略しつつあるようだ。
          

 記:2012.4.13 島乃ガジ丸


煮豆

2012年04月13日 | 飲食:果物・菓子

 自作豆菓子

 豆の料理というと真っ先に思い浮かぶのが「ぜんざい」、沖縄のぜんざい。子供の頃から食べているかき氷の載ったぜんざい。倭国のぜんざいは小豆が使われるが、沖縄のぜんざいに使われる豆は概ね金時豆、金時豆はインゲンマメの1品種。
 ちなみに広辞苑による金時豆の説明、「インゲンマメの栽培品種。種子は楕円形で赤紫色。甘納豆や煮豆とする。」ちなみに、インゲンマメとアズキは同属別種。

  小豆も無いわけでは無い。小学生の頃、駄菓子屋で買い食いする時の私の好物の一つでもあった甘納豆、それは小豆が使われていた。小豆は他にも餡として、餡餅や饅頭に使われている。沖縄の月見の餅、フチャギも概ね小豆。
 豆ご飯というのを、私の母は時々作った。よく覚えているのはエンドウマメ(グリーンピースだったかもしれない)のご飯。父が好きだったようである。何か祝い事があった時に、母は赤飯を作った。赤飯には小豆が入っていた。小豆は、戦前は沖縄でも盛んに栽培されていたらしいが、戦後はおそらく輸入品が多く使われていたと思われる。

 舶来の豆料理もあった。缶詰のポーク&ビーンズという奴、豚肉と大豆をトマト風味の味付けで煮たもの。これも父の好きだったもので、我が家にほぼ常備されていた缶詰の一つであった。大豆の入った料理は他に、ヒジキの炒め煮位しか思い出せない。豆腐は別、豆腐は沖縄料理に多く使われる。味噌汁、チャンプルーに無くてはならないもの。
 豆まきの日に出る大豆の炒ったもの、ビールのつまみになる炒った落花生という豆料理も子供の頃から口にしている。ピーナッツバターなんてのもある。

 そんなこんなの、たくさんある豆料理、沖縄に昔からあった豆料理だが、倭国のお節料理にある煮豆というものを、子供の頃に食った覚えが無い。倭国で売られている弁当に煮豆が入っているのをよく見るが、沖縄の弁当に煮豆が入っているのはあまり見ない。文献を見ると煮豆が無いことは無いようだが、ポピュラーでは無いのだろう。
 甘く無い煮豆はよくある。私の母は弁当の中にエダマメをよく入れていた。弁当を開いてそれを見た高校生の私は「昨夜の親父のビールのつまみの残りだな」と想像しながら、甘い豆より塩味の豆が好きだったので、喜んで食べていた。

  オジサンという歳になってからは甘い煮豆が好きになってる。餡子も好きだが、餡子は酒の肴にならない。ぜんざいを作る時に買うくらいだが、煮豆は日本酒の肴になる。正月はほぼ必ず、そうでない時でも北海道産黒豆の煮豆などを時々買っている。
 不況が長引いて、私の貧乏生活も長引いている。で、今年からは煮豆も買わずに、自分で作るようにしている。煮豆料理は2度作ったが2度とも失敗。失敗の原因は砂糖、黒砂糖を用いた、黒砂糖は煮込むと苦くなる。でも、食えないことは無いので食っている。

 煮豆
 「豆類を砂糖・醤油などで煮しめたもの」(広辞苑)
      
      
 記:2012.3.31 ガジ丸 →沖縄の飲食目次

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄昆虫野外観察図鑑』東清二編著、(有)沖縄出版発行
 『沖縄身近な生き物たち』知念盛俊著、沖縄時事出版発行