去年(2011年)11月、デイサービス施設で3日間バイトした。利用者は主に介護を要する老人、その施設には8人いた。介助無しに歩ける人は2人だけで、手を添えれば歩ける人が3人、車椅子の人は2人で、寝た切りの人が1人。
アルバイトの私は介護をする人たちの手伝いをするだけで、車椅子の人を持ち上げて車に乗せたり降ろしたりなど力を要する仕事が主であった。その他には、お年寄りたちの血圧や体温を測ったり、その日の様子を記述したり、遊び(トランプやらカラオケやら)時間に一緒に遊んだり、お年寄りたちの話し相手をしたりなどがあった。
そうやって三日間、お年寄りたちと付き合った。介助無しに歩ける2人、手を添えれば歩ける内の1人、車椅子の内の1人の計4人は頭がしっかりしている。時々トンチンカンなことを言ったり(耳が遠いせい)するが、普通にユンタク(おしゃべり)できる。
4人のお年寄りたちからはいろいろ話を伺った。生まれ島の宮古の話、小作農の夫と共に貧乏生活を生き抜いてきた話、古い沖縄民謡の話などなど、いずれも興味深いものであったが、たった3日ではそれぞれの人生の、1ページほども聞けなかった。
聞いた中では、まあ、私が「戦時中はどんな暮らしでしたか?」と質問したからでもあるが、戦争の頃の話が多く、概ね「戦争は絶対やったらダメさぁ」だった。
「日本兵からは『捕虜にはなるな』と言われていたけど、もう負けることは分かっていたからね、アメリカーが来たら降伏しようって村の皆で決めていたさぁ。」
「日本兵は怖かったけど、アメリカーは優しかったよー。」
「だけど、アメリカーの黒人グループに強姦された女も多くいたよー。」
「怖かった」という日本兵の弁護をすると、死が目の前に迫っているという精神状態にあったということを考慮したい。村人たちと一緒にガマ(洞穴)に隠れている。アメリカ軍が近付いている。一緒に隠れている村人が声をあげたら見つかる。赤子が泣いたら見つかる。見つかったら命が無い。だから、惨いこともしてしまう。
もう少し言うと、日本兵の中にも自らの死を諦観し、兵隊になる前の元々の日本人の優しい心を取り戻し、「さぁ、米軍がそこまで来ている。あなたたちは殺されることは無いからガマから出て行って降伏しなさい。さぁ、ここに白旗がある。これを持って行きなさい。米軍は捕虜となった民間人に酷いことはしないと聞いている。安心しなさい。」などと言う人もいたであろう。どこにでも天使と悪魔はいる。戦時下では悪魔が増える。
沖縄戦の悲惨を明記しない教科書を「使う、使わない」で揺れた八重山教科書問題が決着した。石垣市と与那国町はその教科書を使い、竹富町は別の教科書を使う。義務教育の教科書は国の費用で賄われるが、竹富町は勝手なことをしているからとのことで国は金を出さない。竹富町の教科書は有志の寄付金で賄われるとのこと。
八重山教科書問題のニュースを最初に聞いた時、「えっ!ホントか?なんで?」と私は耳を疑った。「愛国心を強化しよ」という圧力に沖縄が屈したのか?沖縄戦を語らない教科書の採択なんて、沖縄に対する売国行為じゃねぇか?と思った。戦後70年近くになって、圧力団体「愛国心は教科書で強化しよ」が沖縄を侵略しつつあるようだ。
記:2012.4.13 島乃ガジ丸