ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

テントの下の献身:高江

2012年07月13日 | 通信-沖縄関連

 辺野古高江へ最初の訪問をしたのは6月2日(土曜日)、その一週間前の5月26日に映画『ラブ沖縄』を観て、沖縄のために献身している人々を激励しなくちゃあと思って出かけた。沖縄に遊びに来ていた埼玉の友人Kと、彼の同僚Tさんが同行。
 じつは、Tさんは子供の頃以来の、30年ぶりだったかの沖縄ということで、私が映画『ラブ沖縄』を観る前までは、海洋博公園の「ちゅら海水族館」などの観光を予定していた。私の一存による予定変更だが、二人とも快諾してくれたのであった。
 辺野古高江へ2度目の訪問をしたのは6月30日(土曜日)、私の畑の近くに住んでいて、今年になって懇意にして頂いている平和運動家の爺様Hさんと、彼と一緒に暮らしている婆様Mさん(二人は夫婦では無い)に頼まれてのこと。たまたま沖縄に出張で来ていた鹿児島の友人Nが「土曜日空いている」というので彼も同行した。 
 高江は2007年7月2日から座り込みを開始している。2度目の訪問の翌日、7月1日には6年目を迎えることを記念してのパーティーがあると言う。辺野古もだが、非暴力の座り込みで5年間も基地建設を阻止し続けている。何という強さ!だと思う。
          

  高江の座り込み運動をしている団体は、手元の資料を見る限りでは「ヘリパッドいらない住民の会」のみ。その会には、以前は代表を置いていたらしいが、今はいない。それは何故かということを聞き忘れたが、代表を置くと、その代表が狙われるからではないかと思われる。リーダーの動きを封じて、運動を衰退させようと考える奴がいるのでは。
 ヘリパッドが作られると、近辺住民に害(事故や騒音など)が及ぶ。なので住民は当然嫌だと思う。ヘリパッドはまた、ヤンバルの自然にとっても害だ。なので当然、自然を愛する人々も嫌だと思う。嫌だと思えば抗議し、建設を阻止しようとするのは当然の行為である。その行為に対し国は「工事を妨害している」と裁判所へ訴えたらしい。その裁判で被告とされた14名の内、以前会の共同代表であった2名が有罪となったらしい。

  私が訪れた6月2日も6月30日も、高江はのんびりとした雰囲気であった。何故かと訊くと、「6月まではノグチゲラの繁殖期なので工事は行われない、7月からは我々も24時間態勢となり忙しくなる」とのこと。ノグチゲラとは世界でもヤンバルの森にしかいない貴重な鳥(キツツキの仲間)、彼らも建設阻止に加勢しているようだ。 
 10日(火曜日)、座り込みの人々の隙をついて、防衛局の車両が工事車両搬入のために高江のゲート前に陣取り、「作業を再開した」とマスコミに発表した。でもまだ、少なくとも今のところ工事再開の動きは無いとのこと。テント下の献身は続いている。
 最後に、興味ある方々のために、それぞれの会の連絡場所を紹介しておく。

ヘリ基地反対協議会
〒905-0015 名護市大南1-10-18-202  TEL&FAX 0980-53-6992
命を守る会
〒905-2171 名護市字辺野古座り込みテント村意見書係  FAX:0980-55-3131
ヘリパッドいらない住民の会
〒905-1201 沖縄県国頭郡東村高江上新川85-2  TEL・FAX 0980-51-2688
          

 記:2012.7.13 島乃ガジ丸

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『在日米軍司令部』春原剛著、株式会社新潮社発行


テントの下の献身:辺野古

2012年07月13日 | 通信-沖縄関連

 先だって、このガジ丸通信で映画『ラブ沖縄』を紹介したが、その記事の最後は「未来の沖縄のために頑張っている人達のことを思い、辺野古と高江の頑張っている人達にお菓子の一折も持って行って激励し、感謝したくなった。そうでもしないとこの腹立ちは収まらないに違いない、と思って、先週訪問した」と締め括った。そして、その翌週には辺野古高江訪問の話をする予定であった、のだが、そうはせず一ヶ月が過ぎた。
 高江では、座り込み代表の1人であった伊佐さんに会えた。伊佐さんを紹介してくれたのは、私の畑の近くに住む平和運動家の爺様Hさん。後日、Hさんに紹介してくれたお礼と辺野古高江の報告をしに行ったら、Hさんと一緒に暮らしている婆様Mさんが「私達も行きたいさぁ」と言う。紹介してくれた爺様婆様に「行きたいさぁ」と言われたら、そりゃあ断れない。そして6月30日、二人を辺野古高江に連れて行くことになった。私自身は、2度目となる訪問によっておぼろげだった記憶が確認でき、新たな発見もあろうと期待した。で、話の続きは2度目の訪問の後でいいか、となったわけ。

  辺野古は2004年4月から座り込みを開始している。今年で満8年が過ぎた。非暴力の座り込みで8年間も基地建設を阻止し続けている。何という強さ!だと思う。
 辺野古には基地建設反対の団体がいくつかあるとのこと。2度行って、2度聞いたのにそのいくつかを私は覚えていない。なんというふとどきもの!と反省する。覚えてはいないが、手元にテント村で頂いた資料があり、その中からそれらしきものを記せば、「ヘリ基地反対協議会」、「命を守る会」、「座り込みテント村」の3つある。もし間違えていたなら、辺野古で日夜平和のために献身している皆さま、申し訳ないです。
 座り込みテント村で我々にキャンプシュワブ(辺野古に現在ある基地)の現状、将来の計画、反対運動のこれまでの経過や内容などを説明してくれた男性(オジサンという歳だが、たぶん私よりは若い)は、とても優しそうで誠実そうな人。訊けば、ウチナーンチュでは無く、埼玉からやってきて、長くこの運動に参加しているとのこと。いや、まあ、ほんとに、何とも有難いことである。「沖縄のためにありがとう」と心の中で呟いた。
          

 ちなみに、辺野古の基地建設のこれまでの経過について簡単に述べておく。
 宜野湾市の普天間基地は街中にあって危険である。
 よって、普天間基地は閉鎖し、どこぞへ移転する。
 そのどこぞを、沖縄県は県外・国外を求めたが、
 日米両政府は沖縄県内の辺野古へと合意した。
 「辺野古の海は自然豊かな海である、そこを埋め立てて基地なんてとんでもない」
 「自然への影響は最小限におさえるから何としてでも辺野古へ」
 「自然環境は大事な問題だ、それに加え、辺野古住民に基地被害が及ぶ」
 「そうだね、じゃあ少なくとも県外」と鳩山総理は言う。が、後日、撤回。
 以降の総理は初めから「辺野古しかない」と、県外国外を考えようともしない。

 と、辺野古基地建設問題の大雑把な説明であるが、まあ一度、辺野古のテント村を訪ねてみるとよい。彼らの話を聞き、そこの海を見れば、反対に賛成したくなるはず。
          

 記:2012.7.13 島乃ガジ丸

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『在日米軍司令部』春原剛著、株式会社新潮社発行