雨の日にもやることがあり、晴れた日は畑が忙しい。そのため映画を観に行こうなどと思う余裕も無い。であったが、2月に1本観た。埼玉の友人Kから桜坂劇場の只券を貰ったからだ。観たいと思う映画をやっていた。以前観た映画『ラブ沖縄』、その続編。
続編の『ラブ沖縄』、大半は前作のあらすじで、それにオスプレイ反対運動が加わったものであった。結果の見えない、というか、巨大な力にいずれ押し切られるであろうという憂鬱感が残ったが、ライオンに立ち向かう子羊たちの姿に胸が熱くなった。平和と安全のために戦っている人達がいる。ウセーられている(バカにされているという意のウチナーグチ)沖縄人の怒りを体を張って叫んでいる人達がいる。
そう、沖縄は米国、及び日本政府にウセーられているのだ。「嫌だ」と言っているのにオスプレイを配備され、「ならば夜間飛行はしないなどの運行ルールは守ってくれ」と言っても米軍は無視し、日本政府は「ルール違反の明確な証拠が無い」と逃げる。それは逃げながら、辺野古の基地建設や高江のヘリパッド建設は断固進めようとする。まったく、沖縄人は嫌なもの押し付けても許される人種とでも思っているのだろうか。
映画館へ映画を観に行く余裕は無いが、その代わり、近く(徒歩3分)の図書館からビデオやDVDを借りての映画は最近よく観ている。古い(戦前から戦後すぐの頃)邦画、私が若い頃の名作映画、最近の邦画などを観ている。今年三ヶ月間で18本の映画を観ているが、その中で2度繰り返して観た作品が一つだけある。『カメジロー』。
戦後、沖縄のために闘い続け、米国から嫌われ、市民から愛され、沖縄で最も信念と気概と愛のある政治家、瀬長亀次郎。映画『カメジロー』はその瀬長亀次郎の半生を描いた半ドキュメンタリー。亀次郎を津嘉山正種が演じているが、亀次郎本人も古いフィルムの中に何度も出てくる。その顔、私もよく覚えている愛すべき顔。
私は正義というものを子供の頃に「鉄腕アトム」などから学んでいるが、中学生になって映画が好きになって、特に西部劇が好きになって、正義というものをジョン・ウェインやジェームズ・スチュワートなどから学んだ。で、「アメリカは正義の国なんだ」と思い込んでしまった。「いや、そりゃちょっと違うみたいだぞ」と思うようになったのは沖縄の祖国復帰後、私が少し政治にも興味を持つようになった浪人生の頃になる。
少なくとも沖縄では、アメリカはスーパーマンやポパイのような正義の人では無い。ジョン・ウェインやジェームズ・スチュワートが言っていた「ジャスティス」を沖縄には持って来ていない。もちろん、沖縄にいた(あるいは、いる)全てのアメリカ人がそうだとは言わないが、彼らは子供の頃に正義を学ばなかったのかもしれない。
映画『カメジロー』には、軍用地に関する(土地強制収用など)あれこれでの米軍の傲慢な行いや、米軍人が沖縄の少女を強姦殺人したこと、それでも罰せらないなどといった事が映される。それらは私も知識として知ってはいたが、改めて怒りがこみ上げる。
当時、アメリカはウチナーンチュを虫けら扱いしていた。ウチナーンチュはしかし、闘った。そのお陰で現状は当時より良くなっていると思う。でも、まだ舐められている。正義のジョン・ウェインは最後には勝つ。沖縄もそうなってくれることを願う。
記:2013.4.5 島乃ガジ丸