実家は那覇市の街中にあり、生活に便利である。便利とは、バス停が近い、モノレールの駅までも徒歩10分程、徒歩5分圏内には3つの銀行、郵便局、2つのコンビニ、いくつもの飲み屋、食い物屋、いくつもの病院、ひとつの小学校がある。
徒歩5分を少し超えた所に中規模の公園があり、そこまで行けばデイゴやガジュマルの木に出会え、草の匂いを嗅ぐことができる。が、実家の周りはコンクリートとアスファルトに囲まれている。庭のある家も少なく、庭があったとしても玄関前のほんの小さなスペースしかない。実家の北隣はその小さなスペースにツツジなどを植えているが、南隣と東隣の家、そして私の実家の敷地には土の地面がほとんど無い。
隣家との間は隙間も小さい。3軒とも1~2m前後しか無い。よって、実家の西は道路に面して明るいが、隣家のある北、東、南に面した部屋はいつも暗い。
先月、千葉に住む弟が帰省した際、「定年になったら沖縄に帰ろうかと考えている」と彼が言うので、「なら、この家を残しておいて、ここに住めば?」と私は提案した。弟の答えは「この家は暗い」であった。暗いので住みたくないということだ。
私は、暗さはあまり気にならなかった。私の部屋が他の部屋に比べて比較的明るかったせいかもしれない。そういえば、居間や食堂、トイレなどは昼間でも電灯が必要で、弟の部屋なんかはそんな中でも特に暗かった。私が実家に住む気になれないのは、暗いからというのでは無く、実家の敷地には土の地面がほとんど無い、という理由である。
従姉の息子の女房M女は美人で賢い私好みの女性で、よくメールのやり取りをし、たまには会って話もする。彼女とは楽しい時間を過ごせる。であるが、彼女には大きな欠点が2つある。1つは「酒が飲めない」で、もう1つは「虫が苦手」。「苦手」はアリさえも嫌がるほど。小さな蛾が体に着いただけでギャーギャー言う。
飲みに行く以外にデートアイテムが無いという私にも問題があるが、酒が飲めないのでデートに誘えない。また、虫が苦手なので土いじりも難しい。草の間、地面の上、地中にたくさんの虫がいる私の畑でお手伝いなんて、とても無理。というわけで、彼女と私は共有できる時間をほとんど持てない。よって、メル友付き合いとなる。残念だが。
「大地は命の糧、草の匂いは命の息吹」だと私は思うのだが、虫が嫌いで野良仕事もできず、草原を歩き回ることもできない、そんな人は今、きっと増えているのだろう。コンクリートとアスファルトの社会が育て上げた人種なのかもしれない。
私が小学一年まで住んでいた家は庭があり、祖父がトマトやトウモロコシなどを育てていた。小学二年の時に今の実家に引っ越した。その頃、周りの道路がアスファルト舗装され始めた。それでもまだ、2軒隣には空き地があり、草が茂っていた。徒歩5分ほども行くと、小金森という名のちょっとした森があり、少年たちはコーラル(サンゴ石灰岩)敷きの道を歩いて小金森へ入り、木に登り、草に埋もれ、泥んこになって帰った。
私が土の地面に愛着を持っているのは、そのような子供の頃の幸せな体験があったからかもしれない。土に触れていると安心感を得られる。草の匂いを嗅いでいると気持ちが良い。私の終の棲家は草の匂いのする里以外には無いと思っている。
記:2013.4.19 島乃ガジ丸