9月2日、なっぴばる周辺に待望の雨が降った。6月18日に大雨があって翌日の19日から9月1日までセミの小便程度の雨は数回あったが、いずれも焼け石に水の量。しかし、2日の雨は「恵みの雨」と言える十分の量の雨であった。
しかしそれ以降、雨が無く、3日後には畑もすっかり乾いてしまった。雨水タンクの水は200リットル程度が1t近くまで増えたが、周囲の森に降った雨を集めてくれるかもと期待した畑小屋裏の沼にいたってはずっと干からびたままである。
周囲の森に降った雨は、なっぴばるの北東側の坂上から畑裏の溝伝いに流れ来て、畑小屋裏の小さな沼に水を溜めて、さらにその下の、隣の畑へと流れは続いている。
その隣の畑の先輩農夫Tさんが、先日、畑に堆肥を撒いていた。
「もうキャベツの準備ですか?雨が降らないから苗植えも厳しいですね」と訊いた。
「苗植えはまだ先だが、早めの準備さ。しかし、こんなに雨が降らないのも珍しいよ。裏の溝の水が枯れているのを私は初めて見たよ。」
その翌日、近所の大先輩農夫N爺様とちょっとユンタク(おしゃべり)した。
「Nさん、Nさんの畑、水はどうしているんですか?」
「水?もうかけてないよ。かける水が無いんだから」
「隣のTさんが言うには、裏の溝の水が枯れるのを見たのは初めてだそうです」
「あー、私も長いこと畑やっているが、こんなに日照りが続くのは初めてだ」
去年7月に300坪の畑を借りて本格的に農作業を始めた私だが、その年に最強台風に襲われ大被害を被り、今年はまた、88歳の爺様が「初めて」という程の干ばつに襲われ作物がほとんどできず、無収入状態が長く続いている。農業は生きるに厳しい。
88歳のNさんをはじめ、近所の先輩農夫Tさん、Kさん、Nさん、Sさん、Oさん、Yさんたちはもう既に年金を貰える年齢である。畑の作物ができなくても生活はやっていけるだろう。私が年金を貰えるのはまだまだ先だが、畑の芋で食費の足しとし、生命保険を解約して残った少しばかりの貯金を細々と使いながらで生きてはいける。
これがもし、年金も無く、貯金も無い昔の農夫だったらどうなるんだろうと考えた。作物ができないのだ、他所から食い物を買う金も無いのだ。作物ができないほどの干ばつが続いたなら、昔の農夫は泥棒するか、そのまま餓死するしかなかったのであろう。
そこでふと気付いた。「あー、そうか、だから神が存在したんだ、だから祈ったんだ、神頼みは必然だったのだ」と。農夫が真摯に祈る、その意味が解った気がする。
神頼みの必要を理解したつもりの私だが、つもりはつもりで、無信仰の私自身が信心深くなったというわけでは全く無い。私は私の感性で信じるものを選んでいる。
実家にある「ヤシチ(屋敷)ぬ神」なるものを祠ごと墓へ持っていった。「然るべき人を呼んで祈りを捧げてから」、「墓へ持っていくなんてとんでもない」などと周囲から注意されていたが、私は祈りもせず墓へ運んだ。家の守り神なら我が家のご先祖たちとも仲が良いはずというのが私の感性。運んだのは8月27日、その御利益?で以降、9月2日に十分の雨が降り、その後もちょくちょく降ってくれている。ありがたや。
記:2013.9.20 島乃ガジ丸