今は真面目な労働者である三十歳くらいの若者が「若い頃は少々やんちゃでした」と言う。「うーん、そう言われればそう見えない事もない。今も茶髪だし」と、茶髪はあまり関係ないかもしれないが、彼の気の強そうな顔を見ながら私はそう思った。
それにしても、彼が「若い頃・・・」というのを想像したら、「中学高校の頃の話だとしてもせいぜい15年前だな、2000年前後のことだな、バブルははじけていたな、会社の業績も悪くなり始めていたな、14歳下のM女と付き合っていた頃だな、二人で長崎へ婚前旅行したな、でも、結婚する前に別れてしまったな、可愛かったのに、あーなんて勿体ないことを・・・」と、オジサンは記憶がはじけて、後悔の念に晒される。
それにしても、2000年前後っていったって「ついこの間のことじゃねーか」がオジサンの時間感覚だ。あっという間の14年、だからといって「この14年間、俺は何をしてきたんだ」といった後悔はしない。何かをしてきたから今こうして生きている。
オジサン後期の私にとっては「ずいぶん前・・・」では無く、「このあいだ・・・」と言っても良い13、4年前、具体的に言うと2001年1月のこと。年の初めの計として一念発起、決めたことがある。当時、体重が70キロあり、それ以前の数年間は小便の切れが悪かったり、吹き出物が出たりで体調も良くなかった。「これは運動不足と食い過ぎで太っているせいだ」と思い、「よっしゃ、体重減らそう」と決めた。
2001年1月から運動を始めた。仕事が建築関係なので概ね内勤(パソコン作業)の私もたまには現場に出て肉体労働をする。そんな日は既に十分な運動をしているのでやらないが、一日中パソコンとにらめっこした日などは家に帰って、スクワットやら腿上げやら、腕立て伏せやら腹筋やらの運動をし、柔軟体操もした。
それから数ヵ月後からは粗食少食を始め、一年後の2002年1月には4キロ減、二年後の2003年1月には8キロ減となった。20%を超えていた体脂肪率も一年後は18%内外、二年後は16%内外となって、体調も良くなった。
その後、玄米食を始め、週五日は一日二食とし、数年前からは芋食も始めた。以降、体重も体脂肪率も徐々にだが下がり続け、体脂肪率は夏場が10%内外、冬場は13%内外となり、体重は60キロを切るようになった。その体重、一時期は54キロ台まで落ちたが、それは肉体労働(畑仕事)をしても一日二食を続けたからで、肉体労働する日は昼飯も食うようににしてからは57~58キロ台に落ち着いた。
私の身長は170センチ、それで体重58キロ、「あんた、ちょっと痩せ過ぎよ」と小太りのオバサンたちによく言われるが、私はこれで良しと感じている。2001年1月から満13年を過ぎた「体重を減らそう運動」、優秀な成果となっている。
300坪の畑を借りて、耕し始めたのは一昨年の8月。今年の夏には満2年となる。当初は、「こりゃ、耕運機が必要だな」と思うほど硬かった土、今でも、まだ耕していない箇所の土は最初と同じくらい硬い。しかし、既に耕したことのある箇所の土は手でほぐせるほど軟らかくなっている。この先、耕して、種を播いてを繰り返していけばもっと良い土になるはず。これもコツコツやっていけば、いつかは優秀な成果となるはず。
記:2014.4.11 島乃ガジ丸