「甲斐性無しの息子は家土地を失いましたお詫び行脚の旅」の初日は9月26日、先ずは東京。その日は府中に住む従兄と飲む約束をしていて、宿は京王線府中駅の近くにし、夕方までは若い頃(35年ほど前)住んでいた吉祥寺駅近辺を散策した。ノスタルジーを味わいに若い頃よく飲みに行っていた焼き鳥屋、居酒屋、ライブハウスなどを探した。しかし、どれ一つ見つからなかった。廃業したのか、私が探せなかったのかは不明。
その後、井の頭公園を散策した。ここもよく遊んだ場所だ。高校の頃から仲が良く、私が東京に出てからは文通(死語かな?)していたM女が東京へ来た際、デートしたこともある場所、懐かしの井之頭公園、ところが、どの景色にも覚えがない。ボートを漕いだ記憶は残っているが、「こんなボートだったっけ?」とその姿には覚えがない。青春の想い出なのに頭の中の映像と一致する景色が無い。ちょっと寂しい気分になった。
井之頭公園や吉祥寺駅前を数時間歩き回り、4時頃には府中に着いてホテルにチェックインし、荷物を軽くしてホテル周辺を散策。6時に従兄Hと落ち合って飲み屋へ。
翌日は朝9時過ぎ、沖縄在の従妹N(父方、Hも父方)と離れて暮らし(仲が悪いのではない)ている彼女の亭主Aと会って、しばらくおしゃべり。その日は午後3時に母方の叔父Tと会うことになっていた。待ち合わせ場所は西八王子。それまでたっぷり時間があるのでどうするか?と考えていたが、Aの勧めで高尾山へ行くことにした。
高尾山、途中まではケーブルカーで行ったが、それでも山頂までの往復でたっぷり歩いた。沖縄ほどではないが東京も暑くて、たっぷり汗もかいた。途中途中、立ち止まって写真を撮ったりしたが、山頂でも腰掛けることなく歩き続け、たっぷり疲れた。
28日、府中から静岡へ向かう。静岡市で駿府城とその周辺を散策し、掛川市で掛川城とその周辺を散策し、たっぷり歩いて、たっぷり汗をかいて、夕方6時には美女K女史がホテルに迎えに来てくれて飲みに行く。K女史とは久々、10年ぶりくらいに会う。相変わらずイイ女で楽しかった。が、ホテルに戻ると、体はたっぷり疲れていた。
29日、ホテルをチェックアウトし、荷物を背負って浜松へ、荷物を背負ったまま浜松城とその周辺を散策する。昼前には浜松を出て岐阜県関ケ原にある父方の伯母Tの家へ向かう。電車に慣れないウチナーンチュは乗り換えにあれこれ手間取って、関ヶ原に着いたのは午後3時過ぎとなった。伯母の家でたっぷりおしゃべりし、カレーライスを御馳走になり、1時間ほど周辺を散策する。関ヶ原合戦で家康が本陣を構えた場所などがあり、写真を撮りつつ歩き回った。伯母の家に戻ってお別れの挨拶をし、弁当(伯母の世話をしている従姉Eは料理上手)を頂いてホテルを予約している岐阜へ。
夕方6時にはホテルへ着く。たっぷり歩いたせいで足裏と膝と腰が痛い。近くのスーパーでビールと酒を買い、従姉Eの弁当を肴に部屋飲みをして早めに寝た。
30日、金崋山へ登り、岐阜城見学、ここでもたっぷり歩く。その後、犬山へ行き、犬山城見学、ここでもたっぷり歩く。夕方には名古屋のホテルにチェックインしたが、体はクタクタになっていた。旅の初めからの「たっぷり歩き」のせいだ。10年程前までの旅ならさほど疲れなかったと覚えている。老化だと思った。歩きたいのに歩けないというのは楽しくない。老後を楽しむためにはタフな足腰が必要だ、鍛えなきゃと思った。
記:2014.10.3 島乃ガジ丸