去年の年末、病み上がりの友人Kに「今、畑のダイコンが収穫できている。安全な健康野菜を食べたら元気になるよ」旨のメールしたら、翌日、畑にやってきた。
Kは孫2人を伴っていた。長男の子供達、歳はたぶん、5歳と3歳。2人とも男の子。畑のような環境は初めてだったのか、そのような環境に憧れてでもいたのか、2人は満面笑みを浮かべ走り回った。「自由」を感じたのかもしれない。
畑には果樹の支柱として、また、畝位置の目印としてあちらこちらに棒状のものが挿してある。棒は塩ビパイプ、鉄パイプもあるが、竹の棒も多くある。男の子2人は竹の棒が欲しいとジィジ(友人K)にねだった。爺バカのKは彼らにそれぞれ1本ずつ与えた。すぐにチャンバラが始まった。チャンバラは彼らが畑にいる間(約2時間)、ほとんど途切れなかった。「やっつけてやる」と、時にはジィジにまで襲いかかった。
「誰かをやっつける」というのが、男の子の本能にはあるんだと、その時改めて思った。そういう私だって、子供の頃はチャンバラも好きだったし、玩具の拳銃を買って貰って、西部劇ごっこや戦争ごっこをやるのも好きだった。他人を傷付けたり殺したりして、自分が生き延びる、それこそ強い男。そんな男になりたいと願っていたのだろう。
それでも私はまだ、「戦いたい」遺伝子の力は弱い方だと思う。若い頃テレビゲームなるものが流行って、私もあれこれやっているが、私の好きなゲームは対戦型より達成型であった。戦って勝敗を決めることより、自分がどのレベルまで行けるかどうかというゲーム。子供から青年へと成長した私は「勝つ」ことより「達成する」ことの方により大きな幸せを感じるようになっていたみたいである。オジサンとなった今もそうである。
「戦いたい」遺伝子、女には無いかというと、いやいや、ある。ただ、女の場合は腕力に頼る戦いでは無く、策略による戦い。自分が得するために策略を巡らす。
前にも書いたと思うが、「男は勝ち負けに拘り、女は損得に拘る」と私は思っている。そうでない男や女もいるので「概ね」である。男にとっての「勝つ」は多少損してもいいのだが、女にとっての「勝つ」は多少の傷を受けようが、とにかく得すりゃあ勝ち。
女にとって「損する」ことは負けなので、放っておくと自分が損することになる場合は敢然と立ち上がり、戦いに挑む。そんな事例に最近遭遇した。従姉と従妹、同じ父と母を持つ2人が今、財産争いで裁判している。2人共、心が傷付くことはお構いなしのようだ。
そういえば、私の姉もまた、策略を巡らせて私から金を騙し取ろうとしていた。「父さんがそう言っているのよ」とは姉のよく口にしたセリフだが、「これだけは本当のことだから信じて」というセリフもまた、姉からのメールに2度ばかりあった。「今まで本当じゃないことがいくつもあったわけだな」と私はあれやこれや思い出しながら合点した。
従姉と従妹も姉同様、あることないことあれこれ主張しあうんだろう。腕力に頼れない以上、嘘と策略が女の武器なんだと私は理解している。それはそれで良かろう。
女の「戦いたい」遺伝子は損得で済むが、男の「戦いたい」遺伝子は命のやりとりになったりする。そんな中、人の命を虫けら同然に扱う奴もいる。奴の前頭葉は「戦いたい」遺伝子を制御する能力が無いようだ。「戦いたい」遺伝子の制御こそ人類の知恵だと思う。
記:2015.2.6 島乃ガジ丸