テレビを観なくなって4年が過ぎたが、それ以前もテレビを観ている時間は少なかったので何の不具合も無い。今どんなドラマが流行っているか、どんな歌が流行っているかなどといったことには全く興味が無いので知らなくても困ることはちっとも無い。スポーツにも興味は無いので、観なくても聴かなくても構わない。ラジオのニュースから情報は聞こえてくるけど、選手の名前をほとんど知らない。夏の高校野球で沖縄県代表の興南高校が1回戦を勝ったということは聞いたが、「良かったね」という感想のみ。
「芸能人の誰それが結婚した、離婚した」とか「近鉄、逆転日本一」とか、「若貴兄弟決戦」とか「ベルディ連覇」などといったことは生きるに必要な情報では無い。それらの情報は私の幸せに何の影響も与えない。先輩農夫N爺様の話の方が遥かに有益。
世間のニュース、私が関心のあるニュースはラジオからで足りている。「辺野古の基地建設工事が1ヶ月ストップし国と県が話し合いをする」ことを知っているし、今週水曜日「米軍ヘリコプターが中部東海岸沖で墜落した」ということも知っている。総理が「何が何でも安保関連法案を成立させようとしている」ということも知っている。
私は貧乏で無力の出来損ない(畑から収入をほとんど得ていない)農夫だが、家族親戚友人知人を含め、国や地方公共団体も含め社会にはこれまで大変お世話になっている。なので、これから先の社会の在り方には出来損ないにも多少の責任があると思っている。よって、将来の社会の在り方に関わるニュースには多少の興味を持っているわけ。
その場合も、テレビよりラジオの方が「それはどういうことか?そうするとどうなるのか?」を考えるのに適しているはず。「百聞は一見に如かず」ともいうが、映像が無く音声のみで伝えられる方が、人間の想像力はより強く働くのではないかと感じている。
というわけで、私にテレビは不要と判断し、テレビだけでなく、インターネットの映像も観ない。むろん、携帯のワンセグなるものも観ない。もっとも、ガラ系と呼ばれている携帯の小さな画面で映像を観られるほど私は若く無い。堂々の老眼である。
先週土曜日(8日)の夜10時前、もう寝る準備に入っていた時、ドアをノックする音がした。2回は無視したが、ちょうど小便もしたかったので3回目に出た。NHKの受信料集金人であった。眼鏡を掛けた小賢しそうな若い男だった。
「こんな時間に!」と思いつつ応対した。私の受信料支払い拒否の理由はこれまで通り「ワンセグの見れる携帯は受信料が発生するという説明が無かった、これはNHKの周知義務違反だ」であったが、先方はその言い分を存じていたみたいで、「携帯の規約には書かれています。あなたは規約を読まずに契約したのですか?」ときた。「携帯会社の職員が説明しなかったのはテレビは普通、家にあると思っているからです」ともきた。
「規約の隅々まで読んで契約する人が多数か?支払の発生する重要情報は口頭で説明するべきだろ?」、「少数派への配慮は公共の義務、テレビ観ない少数派にも情報が伝わるようにすべき」などと思ったが、農夫はもう眠いので「煩い、帰れ」とドアを閉めようとした。すると、若い男は手に持っているカードをドアに挟んで閉めるのを阻んだ。東京の強引な新聞勧誘員を思い出した。「NHKは押売りか!」と思った。カードを押し返そうと彼の手に触れたら「私に触らないでください」と仰る。「何様だ!」と思った。
記:2015.8.14 島乃ガジ丸
南の、小さな島(仮にガジ島とする)の、小さな学校。そこは小学校と中学校が一緒になっていて、合わせて30人ちょっとの生徒数でしかない。白い砂浜と青い海がすぐ傍にあり、森があり、野原があり、畑がある自然豊かな環境で、子供達は元気に育つ。
生徒のほとんどは島の子であったが、小学校3年生の男子1人と小学校1年生の女子1人の2人だけは島の子では無く、この春、内地(倭国のこと)からの転校生。お父さんお母さんの4人で家族ごと島に引っ越してきた。男の子は健太、女の子は沙織という。
この春島にやってきた人がもう1人いる。新任で小学生の担当となる下地紅子(しもじべにこ)先生。下地先生は東京の大学を卒業して沖縄で教員となり、教員となって2校目の赴任地がガジ島小中学校となった。まだ20代の若い先生、独身の美人。
下地先生は美人というだけで子供達から好かれた。心も優しかったので、すぐにみんなと仲良くなった。他所から来た健太と沙織も、生活習慣の異なる島、言葉もいくらか異なる島での生活に戸惑いがあったのだが、優しい下地先生がそんな2人に心を配り、2人は程なく島の生活に溶け込み、他の子供たちとも仲良しになった。
下地先生は美人というだけで男たちから好かれた。独身なので独身男性たちからは羨望の眼差しで見られた。プロポーションも良かったので、好色オジサンたちからは垂涎の的となった。そういったことに慣れている彼女は、言い寄る男たちをさりげなくかわす術も心得ていて、懸想する男供をことごとく退けた。身持ちも固いのであった。
美人で優しい下地先生は1学期が始まって間もなく子供たちから愛称で呼ばれようになった。「しもじべにこ先生」を略してしーべぇ先生。子供たちだけでなく、島の人皆から親しみを込めてそう呼ばれた。みんな仲良しの平和な時間がしばらく続いた。
しーべぇ先生、身持ちは固いが、恋愛が嫌いという訳ではけして無い。二十歳前後の頃はむしろオープンであった。過去に数人の男と深い関係になった経験がある。その経験から「そんじょそこらの言い寄る男と付き合っても楽しくない、私にもきっと運命の人がいる、赤い糸で結ばれた人がいる」と確信に近い思いを持っていた。
夏休みも近付いたある日曜日の朝、しーべぇ先生は家から海岸端へ出て海岸沿いを散歩した。しばらくすると港へ出た。漁港だ。護岸の下にいくつもの漁船が見えた。その向こうには大きな漁船も停泊している。何気なくその大きな船を目指して護岸沿いを歩いていたら、突然、足元に大きな魚が投げ込まれた。驚いて「きゃっ」と声が出た。
すると、護岸下からいかにも漁師といった日焼けした顔が出て、
「あー、人がいたのか、悪いね驚かせて。靴でも汚した?」と言い、白い歯を見せた。
「あっ、いえ、突然だったのでちょっと吃驚しただけです」としーべぇは答え、漁師の顔を見た。かつて、松田聖子が言ったように「ビビッ!」と来た。黒い顔はいかにも島の漁師だが、言葉遣いで島の人では無いと判る。優しそうで思慮深そうなその顔も、知性の豊かそうなその言葉遣いもしーべぇの好みだった。「赤い糸だ」と思った。
「おー、珍しいなぁ、この島にこんな美人がいたんだ、旅の人?」
「いえ、この春から・・・」などといった会話を少し交わしたが、しーべぇはその内容をほとんど覚えていない。気が付いたら船の中、小さなベッドの上、男の腕の中。
男は家庭持ちであった。というだけでなく、しーべぇの教え子である健太と沙織の父親であった。最近、長い遠洋漁業から帰って来たばかりであった。若い美女の潤んだ目に見つめられて、コロッと心を奪われたのであった。禁断の泥沼に入って行った。
夏休みに入った頃には噂が立った。島の人々から白い目で見られるようになり、しーべぇは島にいられなくなった。学校に辞表を出し、しーべぇは島から消えた。
その後、駆け落ち、刃傷沙汰、子供達が泣き叫ぶ・・・といった、それはそれはドロドロしたドラマの始まり・・・になりそうだが、妄想はここでお終い。
ウチナーグチ(沖縄語)でシーベーという名の昆虫がいる。和語で言うとキイロショウジョウバエ、コバエホイホイなどで対象とされる、いわゆるコバエ。こいつが私の部屋に年がら年中いる。見つけたら叩き潰しているが、どこから湧いて来るのか知らないが、しばらくするとまた1匹が私の前に姿を見せる。奴がいない日は稀であった。
ところが、今年の夏、思い返すと梅雨の明けた6月下旬頃から姿を見ていない。何でいなくなったのかと考えると、ただ一つ思い当たることがある。その頃、風呂場兼トイレの排水溝の大掃除をした。そのお陰かな?と思うが、確信は無い。
「シーベーが消えた夏」、「何で消えたか?」、「戻ってくるか?」などと考えている内に妄想が頭に浮かび、上記のドロドロになりそうな話を思い付いたわけ。
シーベー、ゴキブリやカに比べるとさほど不快に感じる奴では無いが、食べ物にたかるので煩い奴であった。原因は何であれ、取り敢えず、シーベーがいなくなったのは嬉しいことであった。・・・「あった」と過去形にしたのは、妄想を書いている時(8月8日の夕方)、奴が戻ってきた。私の目の前、机の上、すぐに叩き潰した。
その後、9日にも1匹見つけ叩き潰したが、それ以降今日(11日)まで奴は姿を見せていない。安心していいのかな?それとも油断させているだけかな?
記:2015.8.11 ガジ丸 →ガジ丸のお話目次