去年の今頃、高校の同級生Mから「Tが癌になり手術をした。今、家で療養中だ」と聞き、その時、Tの携帯番号も聞いた。MがTと呼ぶのは私の中学時代の友人Oのこと。Tという愛称(芸名でもある、彼はミュージシャン)を持っている。MとTは仕事上の付き合いがあり、Mを介して私も大人になってから何度かO(愛称T、以降Oとする)には会っており、一緒に飲み食いしたこともあり、彼の家に招かれたこともあった。
お見舞いの言葉でもかけようと、早速その日の内にOに電話をする。が、取らない。数時間後にも電話したがやはり取らない。体調不良で電話を取ることもできないのかと思って、以後は遠慮する。6月になれば私の畑はエダマメが収穫時期となる。それを手土産にして、その時に改めて電話、もしくはショートメールするかと予定した。
ところが、去年のエダマメは10株ほどしか収穫できず、病気なのか害虫なのか不明だが残りは全滅。ならば、ゴーヤーやナーベーラー(ヘチマ)などの夏野菜が収穫できたら見舞いに行こうと予定したが、夏野菜は台風にやられ、ほぼ全滅。ならばジャガイモ、ニンジンなどの冬野菜だ、ということで、ついに年が明けてしまった。
2月13日、友人の父上の告別式が那覇であり、「ジャガイモを土産に、ついでにOに会いに行こう」と思い立ち、告別式の後、Oの家(那覇の中心街にある)へ向かう。その途中、「待てよ、喪服の格好では、縁起悪いと不愉快な思いをさせないか?」と思ってしまい、「きょうは止めよう」と決め、車の行き先を我が家へと変更した。
そんなこんなで、「Oを見舞いに」も頭から離れつつあったが、3月の下旬、MからOの携帯アドレスを知らせるメールがあった。その後さっそくOへメール、「5月から6月にエダマメが収穫できるからそれを持って行くよ」と送ったら、
「5年前に大腸癌の手術をし、その後リンパ節、肝臓、骨、肺へと癌が転移し、今は抗癌剤治療で夜は眠れず・・・」といった衝撃的内容の返信が来た。「こりゃあ、近い内に会わなけりゃ」と思い、メールのやり取りをして、「近い内に会おう」という話になる。それから3週間ほど過ぎた先週土曜日、やっと会うことができた。
もう何年前になるか、30年以上前になるか、2、3度訪れたことのあるOの家、大体の場所は覚えていて、車をゆっくり走らせていたら彼の名の表札がすぐに見つかる。チャイムを鳴らす。玄関を開けて出てきた30年以上ぶりのOは、以前と変わっていた。白髪が増えていて、オッサンになっていた。それは私も同じだ。しかし、予想外に、変わっていたのはそれだけだった。癌があちらこちらに転移している病人には見えない。
Oは中学の頃から肥満体で、大人になるとさらに肥満は増して(100キロ超)いた。今見るOの体付きは30年前と変わらない。肌の色艶も良い。声にも張りがある。「本当に癌?」と疑うほどの元気さであった。「食欲は変わらないんだよ」とOは笑った。
抗癌剤治療を受けた後の数日は体調が悪く、立つことさえ苦しい時もある、しかし、それ以外は普通。外へコーヒー飲みに行くし、買い物して、料理もするとのこと。
肥満体だったOは、しかし運動能力は長けていた。力も強く、足も速かった。脂肪も多く抱えていたが、脂肪の下に筋肉も多く持っていたのだろう。そのお陰かどうか、彼の体には力がある。体の力とは「疾病に対する抵抗力」でもある。Oはそれが強いようだ。
記:2016.4.15 島乃ガジ丸
約1ヶ月前の3月12日の夜、ラジオを聴いていると『アンパンマンのマーチ』が流れた。パソコンのキーボードを叩いていた私の指が少し止まって、「お、久しぶり、懐かしや」と思ってワンコーラス(しか流れなかった)聴いた。
その前日の3月11日は大震災のあった日で、大震災後の被災地では「アンパンマンのマーチ」が流れ、人々を元気付けたという。元気の出る歌だと、私も思う。
アンパンマンは言うまでもなく、作者はやなせたかし氏。そういえばと思い出した。1年以上も時間を費やしたブログの移動、修正作業をしている最中、「あれ?記事が無い」と、書いたつもりだけど載っていない記事がいくつかあるのに気付いた。気付いたものの一つに、やなせたかしがあった。パソコンの中を探すと、記事はあった。タイトルは『83歳の愛と勇気』で日付は2002年1月11日。文章はしかし最初の数行のみ。
「そうだ怖れないで みんなのために 愛と勇気だけが友達さ」と書いた詩人は、
「ミミズだって オケラだって アメンボだって みんなみんな生きているんだ」と書いた詩人でもある。詩人は漫画家でもある。漫画家は今年83歳になるが、まだまだ若々しく意気軒昂、夢も希望もたっぷり持ち合わせているといった笑顔をしている。
彼の根底にある思想は、手塚治虫や宮崎駿と同種である。生きとし生ける物すべてに、存在する意味があるという仏教の思想だ。彼の漫画に登場する悪役は、バイキンマンもドキンちゃんも、どこかカワイイではないか。
この後、『千と千尋の神隠し』にも触れ、やなせたかしを褒めるつもりらしかったメモ書きみたいな数行があって、しかし、記事は未完のまま、ずっと忘れられていた。
書きかけの記事『83歳の愛と勇気』は2002年1月、その時、やなせは83歳、それから11年余経った2013年10月13日にやなせは亡くなっている。それから数日以内に訃報を私はラジオから聞いている。聞いて、思うことは多くあった。
その少し前に友人の娘の結婚式があり、その少し後に母の命日があり、実家の売買でアタフタしていたこともあり、思うことを書いたのは1ヶ月ほど過ぎてから。
同年11月15日付ガジ丸通信『平和の権化』で、「私はゴキブリは即殺する。ゴキブリはバイキンの塊だ・・・やなせたかしはバイキンも殺さない。『手のひらを太陽に』には平和を感じるが、アンパンマンも平和だ。ミミズもオケラもアメンボも、そしてバイキンも友達にするやなせたかし、平和の権化だと思う。」と私は思いを書いた。
『手のひらを太陽に』は1965年の作品、その後全国に広がって、南の果ての島、まだアメリカ軍統治下の沖縄でも、子供達に覚えられ、歌われた。
アンパンマンがテレビアニメ化されたのは1988年のことなので、『アンパンマンのマーチ』が世間に流れたのも同じ頃であろう。その頃私は大人(まだお兄さん)なのでアニメを毎週は観ていないし、『アンパンマンのマーチ』も毎週は聴いていない。でも、すぐに、「おっ、子供の歌にしては鋭い歌」と感想を持った。「何のために生きるの」に深い思想を感じた。そして、軽快なテンポで「そうだ怖れないで みんなのために 愛と勇気だけが友達さ」と歌う。被災地も元気になる、救いの歌だと思う。
記:2016.4.15 島乃ガジ丸
私は流行りものにあまり興味が無い。ファッションにも音楽にも興味が無い。ファッションはTシャツにジーンズで可、音楽はクラシックとジャズと沖縄民謡があれば可、なので、家にテレビが無くても、テレビ番組を観なくてもちっとも困らない。
流行っているからという理由でそのものに興味を持つことは無いが、「好きかも」という理由では興味を持つ。畑仕事をしているのでそれに関わるもの、作物としての野菜や果物に興味を持ち、酒の類、酒の肴の類には私の根本がそれらに興味を持っている。
流行り物と言えば、ラジオから聞こえてくる言葉に知らないモノが多くある。例えば、スムージーとかジュレとか。会話の流れから「食い物」だと判るが、映像は出てこない。私がテレビを見ていた数年前まで無かったモノであろう。その後、スーパーの冷蔵庫に並んでいるそれらを見ているが、買ったことはなく、口にしたこともない。
もう1つ、クロニンニク、これは去年のちょうど今頃(4月)、初めて口にした。近所の先輩農夫Nさんから自作のクロニンニクを頂いた。ニンニクの収穫時期は3月~4月。Nさんは自分の畑で収穫したニンニクを加工したとのこと。クロニンニクという名前を初めて聞き、実物を初めて見た私は「クロニンニクって何?」なのだが、
「最近流行っているんだ、健康にいいらしい」とのこと。ニンニクの燻製みたいなものだろうか、火を長く通して黒く焼き上がっている。食べるとまあまあ美味しい。
私も作ってみようと思ったのだが、Nさんによると時間がかかるらしい。Nさんは炊飯器を使って1週間ほど蒸し焼きを続けたとのこと。1週間も炊飯器を点けっ放しは電気代が勿体無い。ダッチオーブンを使って、数時間でできないかと私は考えた。
そして今年春、私の畑からもニンニクが採れている。ニンニクは1片ずつ皮を剥いて、オーブントースターで7~8分焼けば、美味しい焼ニンニクができる。このところほぼ毎日それが酒の肴の1つになっている。お陰で、屁をすると、屁もニンニク臭い。
ニンニク臭い屁をこきながらも「ダッチオーブンを使ってクロニンニク」はずっと忘れ続けていた。つい先日、八百屋で売られているクロニンニクを見て、思い出した。
2016年4月6日、「ダッチオーブンを使ってクロニンニク」作りに挑戦。炉に火を熾して朝9時半からダッチオーブンによるローストを始め、2時間ほどは薪を足して、その後は灰の上にダッチオーブンを置き、余熱によるローストを4時間。
午後3時半、蓋を開けてみる。良い香りがした。生のニンニクよりずっと甘い匂い。6時間のローストで当然、火は通っているのだが、黒になっているかどうかは怪しい。
ローストしたニンニクを家に持ち帰って、少し皮を剥いてみる。皮が黒っぽくなっているのもあったので少しは期待していたが、結果は「残念でした」となった。
それでも、半分をその日の酒の肴にしようと皮を剥くと、中に1個だけ茶色に色付いたものがあった。他のものも生のニンニクに比べると茶色がかっている。「これならもしかしたら」と思って、残りの半分はさらにローストしてみようと計画。
4月7日、しかし、うっかり者の私はその計画を忘れ、残りの半分を家に忘れてしまった。「どーする?うっかり者」と自問し、「そうだ!」と閃く。新たに5株のニンニクを収穫し、ダッチオーブンで6時間ローストした。これを翌日さらにローストすれば良いのだ。6時間ローストニンニクとダッチオーブンは小屋のテーブルに置いておく。そうすれば、いかにうっかり者の私でも、またも忘れることはあるまい。
4月8日、金曜日だったので、ガジ丸ブログのアップをして、畑に着いたのは午前11時、さっそく、小屋のテーブルの上に置いていたダッチオーブンに前日の6時間ローストニンニクと、今回はうっかり忘れることなく一昨日の6時間ローストニンニクを入れ、火にかける。時刻が遅れたので、ダッチオーブンによるロースト追加は4時間となる。
ローストしたニンニクはムチャムチャして皮が剥きにくい、というのを一昨日経験しているので、1晩、冷蔵庫に寝かせ、乾燥させ、9日の朝、皮を剥いてみた。
1晩冷蔵庫に寝かせてもムチャムチャに変わりはなく、皮が剥きにくいも変わらなかった。でも、頑張って剥いた。中はさすがに、前より黒い、玉の外側の片には真黒になっているのもある。「やった、成功だ!」と一瞬思ったのだが、真黒のニンニクの1片を口に入れると、それはクロニンニクでは無く、コゲ(焦げ)ニンニクであった。不味い。
というわけで、私のダッチオーブンによるクロニンニク作りは失敗となる。ダラダラと長い文章を書いたのに、何の役にも立たなくて申し訳ないという気分です。
記:2016.4.9 ガジ丸 →沖縄の飲食目次