私はもう40年近く健康診断なるものをやっていない。役所から特定検診のお知らせみたいな封書は毎年届くけど、無視している。開けずに捨てている。「何で?健康に不安はないの?」と問われると、不安は無くもない。歯周病だし、腰痛も時々あるし、何より、血圧がここ数ヶ月、ずっと高め(150台)で推移している。脳溢血とか心筋梗塞で今日倒れるかもしれない。それでも私は、私に健康診断は不要と思っている。
私の健康判断基準は「快食快眠快便」であること。そうである限り私は健康であると思うようにしている。歯周病については、冷たいものを食べると歯は凍みるが、その痛さが我慢の範囲内にあって、我慢しながらも1個のアイスクリームを完食できるようであれば歯周病も治療不要としている。腰痛については、畑仕事を頑張った日などは少々腰痛もあるが、立って靴下が履ける間は足腰もまだまだ大丈夫と判断している。
快食快眠快便について現在どういう状態かというと、食事は毎日美味しく食べられている、自作の野菜が美味し過ぎて休肝日が少ないというのが気になるほど。快便も相変わらず、便器に座ればバッと出て、スッキリ終わる。ところが、快眠ができていない。
睡眠時間は概ね夜9時半に寝て朝5時半起床のたっぷり8時間、それはだいたい守られているが、眠りはたぶん浅い。5月の中旬頃からこの時期とは思えぬ糞暑さになって、その寝苦しさで眠りが浅いのだと思われる。実際、夜中に暑さで何度も目が覚めている。先週木曜日の未明は雨の音にも目が覚めた。雨の音にも目覚めるほど眠りが浅いのだ。
先週は暑さの他にも糞!と思うことがあったが、先週は他にも書くことがいっぱいあって、糞!は金曜日に間に合わず、その日、家に帰ってから書いた。それがこの頁。
「糞!」と思ったのは天気が原因。5月27日付ガジ丸通信『見えない雲』にも書いたが、露地栽培農夫の私はその日の予定は天気予報に左右される。前の夜に天気予報を聞いて明日の予定を考え、当日の朝も天気予報を聞いて予定を決定する。その決定を覆されることが『見えない雲』の事例以降もたびたびある。自然の気紛れに翻弄されている。
先週水曜日、いつものように4時頃まで畑仕事。芋掘りをしようと思ったが畑の土がまだ湿っている。3時頃の天気予報で「明日は曇り、昼過ぎから雨」とあったので、「明日の午前中なら土も少しは乾いているはず」と芋掘りは明日に延期した。しかし、木曜日の未明に大雨が降り、結局、芋掘りはできなかった。それが「糞!」と思ったこと。
将来は自給自足芋生活、つまり、芋(甘藷:サツマイモのこと)が概ねの主食で野菜も全て自給を目指している私にとって、定期的芋掘りは重要な作業なのである。
それにしても天気予報、夜中に雨が降るなんて予報はなかった。朝には雨も上がって、窓の外を見上げると快晴であった。しかし、ラジオは午前中曇りと言う。スタジオには窓が無いの?外を見ろ、気象台からの情報を鵜呑みにするな、現実を見ろ、快晴だぞ。
翌金曜日、前日の天気予報では「曇り、昼過ぎから雨」であった。朝、窓の外を見ると雨が降っている。窓から下を見ると駐車場の路面が濡れている、たっぷり濡れている。ラジオの天気予報はそれでも「曇り、昼過ぎから雨」と言い張る。「スタジオには窓が無いのか?外を見ろ、気象台からの情報を鵜呑みにするな、現実を見ろ、小雨だが、雨降っているぞ!」と叫びたかった。「天候判断基準はいったい何なんだ?」と訊きたい。
記:2016.6.17 島乃ガジ丸
子供の頃マンガオー(漫画王:漫画虫という意)であった私は、青年期になっても、オジサンと呼ばれる歳になっても漫画を買って読んでいた。
学生の頃は青年漫画雑誌と呼ばれる「アクション」や「ビッグコミック」、「ビッグコミックオリジナル」などの週刊誌を購入し、『じゃりんこチエ』やら『ゴルゴ13』などを好んで読み、また、月刊誌の「ガロ」もよく読んでいた。
どの雑誌に掲載されていたかは記憶が定かでないが、大友克洋の『AKIRA』、いしいひさいちの『タブチくん』、白土三平の『カムイ外伝』などを好み、作品はどれでも構わずいしいひさいち、大友克洋は大好きで、彼らの単行本を買い揃えていた。
今は無いのだが私の部屋の本棚には漫画本がいっぱいあった。10年ほど前に私の漫画蔵書を調べ記録している。それによると、私の蔵書で多い作家から順に記すと、
1、いしいひさいち 『問題外論』など67冊
2、手塚治虫 『火の鳥』など29冊
3、ますむらひろし 『アタゴオル玉手箱』など23冊
4、大友克洋 『AKIRA』など19冊
4、白土三平 『カムイ外伝』のみ19冊
6、魚戸おさむ 『家裁の人』のみ12冊
6、東海林さだお 『ショージ君全集』など12冊
8、山本おさむ 『はるかなる甲子園』のみ10冊
8、やまだ紫 『やまだ紫作品集』など10冊
10、谷岡ヤスジ 『アギャギャーマン』など9冊
以上がベストテン。その他、黒鉄ヒロシ、吾妻ひでお、古谷三敏、杉浦日向子、近藤ようこ、安西水丸、原律子、高信太郎などが複数冊あり、好んで読んでいた。
前回の『漫画虫』で「私は大きな目にキラキラと星が輝いているのが苦手で、少女漫画はほとんど読まなかった」と書いたが、女流作家が嫌いと言う訳では無い。女流作家が少女漫画家であるとは限らないのだ、文学的漫画家も数多くいる。上に挙げたやまだ紫、杉浦日向子は大好きで大ファンと言っていい。他にも上記の近藤ようこ、原律子に加え、萩尾望都、高野文子、赤星たみこ、内田春菊などの本も持っていた。
漫画単行本の蔵書の総数は、家にあったものだけで243冊、実家の自分の部屋にも本棚があり、そこにも『じゃりんこチエ』の十数冊を含め4、50冊はあったと思う。
そんなたくさんの中で、私の青春漫画を挙げるとすれば、第一位はやはり、蔵書の数も飛びぬけて多いいしいひさいち。いしいひさいちの笑いのセンスは私の壺にピッタシカンカンであった。笑いでは他にも、東海林さだお、谷岡ヤスジ、黒鉄ヒロシ、吾妻ひでおなどにも大いに笑わせて貰った。いずれも大笑いでは無く、ニヤリとした笑い。
上に挙げた漫画家の名前を見ている内に思い出した。白土三平を筆頭に、ますむらひろしや安西水丸、そして、女流漫画家のほとんどはガロで知った人たちだ。ガロで知った人には永島慎二やつげ義春もいた。ガロはアンダーグランド的雰囲気を持った漫画雑誌で、私は若い頃好んで読んでいた。ということで、ガロが私の青春漫画だと言える。
記:2016.6.17 島乃ガジ丸
場面は、以前勤めていた職場の事務所、事務員が2人いる頃なので20年ほど前、私は同僚Oさんが現場監督をする工事の書類作りにパソコンとにらめっこしている。その時、事務員の1人K子が入ってきて、「S(私のこと)さん、お願いがある。」と言う。
「何だ、今忙しいよー、デートの申し込みは後にしてくれ。」
「デートは来年でも再来年でもいいさぁ、それより、M子が、息子が急に熱出して今日は休みますってさっき電話があった。」と困ったような顔で言う。M子はもう1人の事務員で、同僚のTさんが現場監督をしているもう1つの工事の書類作りを担当している。
「Tさんの工事、明日提出する書類があるって、それを私にお願いって。」
「お願いされたらやればいいじゃないか。」
「数字を入れるだけなら私にもできるけど、その書類さぁ、数字が何でこうなったかって説明する文章もたくさん書かなければならないのよ、それは苦手なのよ。」
「で、それを俺にやれってか?」
「Sさん以外にできる人はいないんだから、しょうがないさぁ。」
「今日は夕方、大事な約束があるんだ、明日ではダメか?」
「M子が言うにはどうしても今日中なんだって、お願い。」
宇崎竜童が友人のもう1人のミュージシャンと2人で私の実家に宿泊することになっていた。空港まで迎えに行く約束をしていたが、残業になりそうで迎えに行くのは難しくなった。竜童に電話(当時既に携帯電話を持っていた)し、その旨伝える。
「タクシーで行くから大丈夫だよ、近くに飯食う所ある?」
「有名な店があります。タクシーの運転手にその名を言えば知らない運転手はいないでしょう。その店から私の実家は徒歩30秒くらいです。」ということになり、やはり残業となった私は、遅れてその店へ向かう。私の車は近所のKさんに「2、3日1台分貸して下さい」と予め頼んであったので、数台分の広さがあるそこの駐車場に停める。
その時、夜7時を過ぎていたが南国沖縄の夏はまだ薄明るい。Kさん家の娘と思われる5、6歳位の女の子が立っていてこっちを見ている。「こんにちは」と挨拶すると、女の子は満面に笑みを浮かべて「こんにちはじゃないよ、こんばんわだよ」と言う。
「そうだね、こんばんわだね。お嬢さんはKさん家の子供?」
「そうだよ、エリカっていうんだよ。」
「そうか、エリカちゃんか。オジサンはガジ丸って言うんだ、よろしくね。」
「うん、友達になろうね。」
「うん、今日から友達だ。・・・エリカちゃん、オジサン、ちょっと用事があるから今日はこれでサヨナラしようね、また会おうね。」
「うん、バイバイ。」
その後、私は飲み屋へ入る。竜童一行は既にいて、店に入る私を見て「こっち」と手招きし、私が席につくと、「お疲れさん、急な残業だったんだって。」と、テレビで良く見る髭面のいかつい顔が、テレビでよく見る無邪気な笑顔になって言う。
「遅れて済みません。私も少し飲んでいいですか?」
「もちろん、どうぞどうぞ。生でいい?」と無邪気な笑顔は言って、ビールを注文してくれた。そのビールを飲んで、少しおしゃべりして、30分ほどで店を出る。
「車どこ?荷物の多くは車に乗せておきたいんだけど。」
「その方がいいですね、車はすぐそこです。」と私は2人を駐車場に案内する。荷物を車に乗せていると、駐車場のすぐ傍、Kさん家の窓からさっき友達になったばかりのエリカがこっちを見て手を振っている。私も手を振り返す。
「可愛い子だね、知合い?」
「この家の子供です。さっき知合いになりました。」
「俺も知合いになろうっと、紹介して。」といういことになって、竜童をエリカに紹介した。竜童はエリカのことが気に入ったらしく、大いに語り合っていた。その経験から後のヒット曲『沖縄ベイブルース』が誕生した・・・ということは無い。
竜童とエリカがおしゃべりしている間、私と竜童の連れの2人は駐車場で立ちっ放しであったが、その時、私の両足、足首からふくらはぎにかけて痒くなった。痒みは腿にまで上がり、それはすぐに異常な痒さとなった。その部分を見る。私は靴下を穿いている、その靴下の中が異常に痒い、靴下を脱ぐとそこに夥しい数のダニがたかっていた。
そのおぞましい光景と、あまりの痒さで目が覚めた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
以上は夢の中の話、2016年5月27日の未明に見た夢。8割方は夢、あとの2割は覚めてからの妄想を付け加え脚色している。元同僚のTさん、事務員のM子とK子、宇崎竜童の顔ははっきりと出てきた。女の子エリカは「エリカ」という名前ははっきり覚えているが顔はボケている。そして、もっと強烈に覚えているのは足の痒み。
5月下旬、畑の、もうすぐ熟しそうであったバナナが何者かに食われ、それを防ぐために袋を被せたら、袋の中が最適空間だったのか、小さな虫の類が大量に発生し、24日、まだ半分は残っていたバナナの房を切り取って畑小屋の中に吊るした。竜童の夢を見たその前日の26日、吊るしていたバナナの実の上列の8本が熟しかけていたので収穫し、ビニール袋に入れ、家に持ち帰った。袋の口はバナナが蒸れないよう開けておいた。
で、27日の未明、足のあまりの痒さを経験する。おそらく、バナナの実に着いていた虫がそのまま着いていて、私は虫着きのバナナを家の中に持ってきて、虫はバナナから離れて部屋の中に散らばり、寝ている私の足を齧ったに違いない。
5月31日、部屋の中に見慣れぬ小さな虫を見つけた。まだ何者か判明していないが、ごく小さいので何者かの子虫かもしれない。その後、畑小屋の中のバナナを揺すって、虫らしきものが落ちるのを確認して、その写真も撮った。これもまだ何者か判明していないが、これは先の者よりさらに小さい。もしかしたらダニかもしれない。
『アルプスの少女ハイジ』とか『風の谷のナウシカ』とかいったカッコ良く、爽やかな面白い物語にしようと思って『竜洞谷のエリカ』を妄想したのだが、ダニが部屋で繁殖して、寝ている私の全身を襲うといったおぞましい妄想しかできなかった。
『竜洞谷のエリカ』、宇崎竜童から竜洞、ダニから谷、エリカは夢に登場した可愛い少女の名前からですぐに思い付いた。なかなか良いタイトルと思ったのだが・・・。
記:2016.6.10 ガジ丸 →ガジ丸の生活目次
6月4日、友人O夫妻の次男Kの結婚披露宴があり、私も招待された。披露宴への出席は友人K夫妻の三女のそれ以来、日記を調べると2013年10月5日以来。K夫妻の子供たち(4人いる)は彼らが子供の頃キャンプなどで一緒に遊んでいるからよく知っている。三女は御転婆タイプであったが、雛壇の彼女は見事な大和撫子であった。
Kも彼が子供の頃からよく知っており、その披露宴に出席することに私は何の違和感もない。「心から喜んで出席します」という気分だ。披露宴には両親の友人も招待される。O夫妻もK夫妻も同級生結婚で私の高校の同級生、したがって、K夫妻の三女の結婚式では同級生が20名ほどいた。プチ同窓会にもなって楽しかった。今回の結婚式にも、新郎の父Oの話では同級生が10人余りは参加するとのこと。楽しみである。
次男Kの結婚式、場所は那覇市、モノレール古島駅の近くにある結婚式場、私の家から車だと15分程度で行ける。直通のバスもあり、場所的には何の問題もない。場所に問題は無いが開始時刻に多少の問題がある。何と、開宴は昼の12時半。
昼間から酒が飲めるのか?というと、たらふくは飲めないかもしれないが、ほろ酔い程度までなら飲める。歳とって肝臓が弱くなった今はそれで良い。問題は酒ではなく暑さ、6月の日中の暑さの中、スーツにネクタイでバス停まで歩く、のかと考えると、「いやいや、この暑さ(6月1日まで沖縄は真夏並みに暑かった)だと5分も歩けば汗びっしょりだぜ。宴会場で汗臭さ(加齢臭もあるし)を振りまくことになるぜ。」と思う。
そんな時、渡りに船があった。宴に参加する友人の1人KSが私の家から車で5分くらいの所に住んでおり、「一緒に行くか?俺は車を出すから送って行くよ」との提言。宴の前にあれこれと計画もしていたが、その計画は中止し、彼の申し出を有難く受ける。
その翌日、近所の先輩農夫Nさんから「今時の結婚式は、夏場ならかりゆしウェアでも良い」と、またも嬉しい情報を聞く。かりゆしウェアとは、見た目はハワイのアロハシャツのようで、沖縄の夏の正装として何年か前から認知されている服装。
ちょうど、「かりゆしウェアの日」か何かで、かりゆしウェアの定義がラジオから流れた。それによると、「沖縄産で、沖縄らしい模様が描かれていること」とのこと。何はともあれ、スーツにネクタイに比べたら遥かに涼しい格好だ、それにしようと決める。
その翌日、結婚披露宴2日前の木曜日の午前中、衣料品の量販店S屋へ行き、大人しい色目の1着をさっそく購入、4千円近くした。私の衣料品としてはだいぶ高め、ここ十数年でそんな高い衣料品を買った記憶はない。ジーンズだって2980だった。
そこから畑へ向かう。下手糞だけど真面目な農夫は、雨が降っていなければ畑作業に精を出すのだ。運転中、信号待ちの際に買ったばかりのかりゆしウェアを見る。買う前に気付けば良かったのだが、遊びの場に来ていくにはまあまあカッコイイ柄だと思うが、結婚披露宴に着るには品が無いように感じた。「もうちょっと大人し目が良いな」と思い、進路変更し、衣料品も多く揃っている大型スーパーへ向かった。貧乏なくせに、もう1着購入しようと思ったのだ。結婚披露宴で着ても申し分ない上品なかりゆしを。
Sスーパーの男性用衣料品のコーナーへ行くと、若い可愛いお姉ちゃんがいた。「若い可愛いお姉ちゃん」は私の好物なので、手招きして呼んで、
「かりゆしウェアはどこですか?」と訊いた。すると彼女は、
「こちらです。」と丁寧に案内してくれた。
「結婚披露宴に着ていくものですが、あまり派手じゃない方がいいですよね?」
「そうですね、全体に模様があるより一部にあるものが上品に見えます。」との助言を頂き、1着のかりゆしウェアを選ぶ。が、ハンガーにはLと表示があったが、見た目に小さい。若い可愛いお姉ちゃんがまだ近くにいたので確認すると、
「あっ、商品はMサイズです。ハンガーの表示は間違いです。すみません。」と謝る。別に謝ることはないよと思いつつ、別の柄のものに手を伸ばそうとしたら、
「この色柄で良いと思います。Lサイズの在庫があるか確認してきますので少々お待ち下さい。」と彼女は言い、少々待たせた後、同色同柄のLサイズを持ってきて、
「試着してみますか?」と訊く。
「いや、私は痩せているけど肩幅は普通にあるので肩幅が合えばいいよ」と応えると、
「あててみますので、後ろを向いて下さい」と彼女は言い、シャツを後ろ向きになった私の肩にあて、肩越しに「いいです」と言う。それに、私はとても幸せを感じた。
新婚ほやほやの女房と服を買いに行く。愛妻は私に似合う服を一緒に選んでくれ、「サイズはいいかしら?」と言いながら服を私の肩にあてる。そんな無い物ねだりの幸せな時間を私は妄想してしまった。その妄想を振り払って選んだかりゆしを購入。これも4千円近くした。1日で衣料品を8千円近く買う、そんなことたぶん、20年以上ぶり。
12時、披露宴受付開始時刻に披露宴会場に着く。同じテーブルにいる同級生男子10人の内、スーツ姿は4人、普通のシャツが1人、かりゆしウェアは5人であった。宴が始まってしばらくしてから会場内を見渡すと、オジサンにかりゆし姿が多く見られたが、それでも半々くらい。若い人はオジサン世代よりかりゆし姿は少なかった。
「今時の結婚式はかりゆしウェアで参加する方も多いです。」とSスーパーの若く可愛い親切なお姉ちゃんも仰っていたが、「多い」は多数派という意味ではなかったようだ。オジサンにかりゆし姿が多かったのは、若者より暑さに弱いからではないかと思う。その日は晴れて暑かった。会場内はクーラーが効いて涼しかったが、外に出ると真夏並みの暑さだった。そんな中、かりゆしウェアはとても楽であった。
かりゆしウェアは結婚披露宴の席よりもむしろ、告別式など法事の際に多く見られる。それはもう、「それでよい」と告別式の慣わしとして定着している感がある。黒い薄手のシャツで、長袖も半袖もある。これも夏場はとても助かる。
ちなみに、かりゆしは広辞苑にも記載があり、「(嘉例吉の意)沖縄で、めでたいことや幸せをいう語。」とある。沖縄ではカリー(嘉例)が乾杯の音頭にもなる。
記:2016.6.8 ガジ丸 →沖縄の生活目次