11月19日、久々の雨、午前中、断続的にサラサラと雨が降った。で、引っ越し準備の荷物整理をし、雨が上がった11時頃から畑仕事、雨量はお湿り程度で、程良く畑の土は濡れている。程良くというのは耕しやすい程良さ、沖縄の土は粘土質なので、土がたっぷり濡れているとベタベタし、カラカラに乾いていると石のように硬くなっていずれも耕しにくい。カラカラに乾いていた前日までに比べこの日の作業は楽であった。
前日までに比べ作業は楽であったにも係わらず、この日、いつもより2時間も早い2時半に私は畑を切り上げた。特に用があったわけではない。畑作業中、「旦那、これ以上やるとアッシは死にますぜ」と私の腰が呟いたからだ。腰が痛い。
腰の痛みは続いて、翌日曜日も同じく2時半まで、月曜日は久々の大雨となり、畑仕事は朝から休み、その後も雨の日が多く、今週もまた日曜月曜と雨で畑仕事を休んだ。重い荷物を多く運ばなければならない引っ越し前に良い腰休めとなった。
熟年離婚は女性の方から申し出ることが多いらしい。それは何故か?と、友人の熟年K子に訊くと、「亭主が働いている内はいいけど、彼が定年になったら一日中家にいるから一日中面倒を見ないといけないでしょ、可愛い子供でさえ夏休みとかで一日家にいると面倒だと思うのに、古亭主の面倒を見るなんてできればやりたくないさ」とのこと。そう言う彼女は古亭主の面倒を良く見ている。口は豪快だが、根は優しい女である。
「熟年離婚は女性の方から申し出る」はしかし、妻が家事を担当するのが当たり前であった我々世代以前の話であって、家事を分担するのが当たり前となっている世代ではもしかしたら、熟年になって離婚を言い出すのは男の方が多くなるかもしれない。
「もう嫌だ、妻の指図で動くのはもーーー嫌だ!俺は俺の好きなように料理をし、好きなものを食い、俺の好きなように掃除がしたいのだ!」となるかもしれない。
「今の社会では、結婚は男にとって不利」みたいなことを先週のガジ丸通信『マリッジブルーみたいな』にも書いたが、今の適齢期の男は結婚願望が薄かろうと思う。
しかし、結婚とは何ぞやと考えた時。「結婚は男にとって不利」は「いや、違うかも、長い目で見ればどっちが有利で、どっちが不利か判らんぞ」と私は考え直した。何故人は結婚するのかを考えると、「結婚とは家庭を築くこと」というだけでなく、「人が生きていく上ではパートナーというものが必要」なのではないかと思ったのである。
いや、じつは、「どっちが有利か不利か」を真面目に考えたのではなくて、「腰が痛くなって、動けなくなったら1人では生きていけないぞ」と弱気になっただけ。
胸が苦しい、心筋梗塞だ、助けを呼ぼうにも電話に手を伸ばすこともできないくらい苦しい。「あー、俺はこのまま死んでいくな、今、七輪で焼いているサバの塩焼きを食ってから死にたかったな、大事に取ってあった泡盛の上等クース(古酒)を最後に一杯飲みたかったな、パソコンのハードディスクに残っているH映像を消去しておくんだったな」などなどと、私はたくさんの後悔をしながら死んでいくことになるはず、たぶん。
しかし、傍に誰かいればそういったことを頼める。サバの塩焼きはほんの少し舌の上に乗せるだけでいい、泡盛の上等クースは末期の水にしてくれたらいい、H映像についてはどうでもいい。パートナーにはきっと、普段からホントの自分を見せているはずだ。
記:2016.12.2 島乃ガジ丸
今週は私にとって引っ越しという大イベントもあったのだが、それを後回しにしなければならない別の事件があった。事件と言うと大げさだが、それは何と二日酔い。
喜びも悲しみも腹六分を信条としている私はあまり深酒をしない。一人で家飲みする時は概ね7時から9時までの間に発泡酒1缶に泡盛の薄い水割り3~4杯を飲んで終わる。それくらいだとほろ酔いとなって、気持ち良く眠りに着く。友人達と外飲みする場合もさほどは飲まず、7時頃から飲んだとして遅くとも10時頃には帰るようにしている。
であったが、今週日曜日は、6時過ぎから飲み始め、2人でビール大瓶4本、発泡酒1缶を飲んで、泡盛4合瓶をほぼ空にした。相手は旧アパートの大家のNさん。
Nさんを誘ったのは私の方、「今月一杯でアパートを出るので別れの盃(さかずき)でもいかが?」と誘った。私としては1人あたりビールの2~3缶でも飲みながら1時間程度のユンタク(おしゃべり)で済む予定だった。が、Nさんは「私が瓶ビールと刺身を準備するから、あなたは泡盛と水とその他の肴を準備してくれ」と言い、当日、6時過ぎにやってきて1時過ぎまでいた。Nさんは団塊の世代より少し下という年齢だが、団塊の世代に多いと思われる「飲む時はとことん飲むぜ」性格のようであった。
大きなクーラーボックスを担いできたNさん、6時過ぎから1時過ぎまでの約7時間、大いに飲んだ。飲むペースも速かった。ビール4本の内3本はNさんの腹の中、ビールを飲み干すと泡盛の栓を開け、これも大いに飲んだ。最初「2合瓶で足りるはず」と思っていたが、「残ったら新居に持って行き、後日飲めばいいさ」と4合瓶を買っておいて良かったのだ。Nさんはまた大いに食った。「おにぎりも用意してくれ」と言っていた通り、飲んでも食事をするタイプ(私は飲む時ご飯類は食べない)のようであった。
Nさんはそして、大いに語った。これまでの自慢とこれからの夢を多く語った。自慢の内、高校生の頃に始めたというクラシックギターは、飲んでいる最中に私のギターを見つけ、手に取り実演して見せてくれた。その腕前は確かに自慢するだけのことはあった。私など足元にも及ばない腕。Nさんはサンシンも上手で、弟子も1人いるとのこと。
Nさんは公務員を永く努め、結婚し、子供2人をもうけ、広い土地を買い、家を建て、家の隣には収入源となるアパートも建て、定年後に畑地を購入し、農夫としても一時活躍し、大きな車を、自分用、奥さん用、畑仕事用の3台も持ち、子供2人を一人前の立派な社会人に育て上げ、常に髪を整え、小ざっぱりした格好のダンディーなオジサン。
それに比べ私は、零細企業に努め、結婚もできず子供もできず、親の残した家土地を手放し、会社をリストラされて、農地を借りて、農夫としても収入を得ることができず、安い車を1台持ち、常に髪はバサバサで、みすぼらしい格好をした只のオジサン。
そういった見た目とか財産とかだけでなく、Nさんは来年か再来年には高齢者と呼ばれる年齢であるのに、これから先はこんなことがしたいあんなことがしたいと、これからの夢も大いに語った。上を目指す人だ。それに比べ私は、10年後にはもっと田舎に、6坪ほどの家を建て、1人静かに暮らすことを考えている夢の無いオジサンである。
常に上を目指しているから「とことん飲む」のであろう。仕事も遊びも全力投球だ。それに比べ私は、仕事も遊びも腹六分。でもそれでいいのだ、私は控え目なのである。
記:2016.12.2 島乃ガジ丸