ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

無知が成せる無駄

2018年01月26日 | 通信-環境・自然

 腰痛で畑仕事が進まなくて、「畑も辞めなきゃならない」と思って、その方向で今、畑のダンシャリをやっている。そして、今の住まいは家賃が前のアパートより1万円も高いのだが畑に近いからという理由で借りている。畑を辞めるのであれば畑の近くにいる必要はなく、もっと安いアパートに引っ越す予定だ。ということで、住まいのダンシャリも同時にやっている。畑からも住まいからも後から後から要らぬ物が出てくる。
 ダンシャリは去年(2017年)12月から始めている。やっている内に「役に立たないものをたくさん集めて保管して、それを捨てる作業をしている、誰の役にも立たないことをやっているぜ、大バカ者だぜ俺は」と自己嫌悪に陥り、大反省もしている。

 部屋の中にアルコール飲料がいくつもあった。2018年1月2日現在で泡盛のクース(古酒)7本、その内飲みかけのボトルが5本。焼酎3本、その内飲みかけが2本。ウィスキーとブランデーの飲みかけがそれぞれ1本。そして、未開封のワインが5本あった。これらもダンシャリして、引っ越す時の荷物を少なくしようと決めた。
 正月3日に大学時代の友人で埼玉在のRと沖縄在のYを招いて、アルコールダンシャリを行い、飲みかけの泡盛クース3本と飲みかけの焼酎2本を空にしてもらった。
     
 先週土曜日(1月13日)には、高校時代の友人K夫妻とO夫妻を招いて、同じくアルコールダンシャリを行い、飲みかけのブランデー1本を空にし、未開封の芋焼酎を開けて少し減らし、そして、この日これがメインの飲物と予定していたワイン。
 未開封のワイン5本はどれも古いもの。新しいものから2010年に私が沖縄のリカーショップで買った1本、2009年9月に米軍基地内で買った1本、同年、それより少し前に近くのスーパーで買った1本、2000年にアメリカ在の姉が土産に買ってきてくれた1本、1998年に私が沖縄のリカーショップで買った1本の、計5本。
 「何で、飲まなかったんだ?」と問われると、「長く置いておけば美味くなるかも」と思ったから。そして、「いつか恋人ができたら一緒に飲もう」と思ったからだが、そんな機会は、1998年から約20年経ってもやってこなかったというわけ。

 土曜日、「先ずは」と2009年に近くのスーパーで買った1本を出しコルクを抜こうとした、が、コルクはボロボロになっていて抜けなかった。次に、1998年に私が沖縄のリカーショップで買った1本を出したが、これもコルクがボロボロだった。その次に2009年9月に米軍基地内で買った1本を出す。これはコルクが抜けた。しかし、飲んでみるととても甘い。元々甘いのか、アルコールが飛んだのか不明。
 翌日以降、他のワインも試す。コルクがボロボロになっていた2本、何とかコルクを取り除いて、コーヒーフィルターでコルク屑を取り除いて飲んでみる。1998年に買ったワインは不味かった、嫌な苦みがあった。一口飲んで捨てる。2009年に買ったワインは、飲めるには飲めたが、美味いとは言えなかった。これも半分は捨てる。
 2010年に買ったワインは、コルクは何とか崩さずに抜けたがこれも美味いとは言えなかった。グラス一杯は飲んだが残りは捨てる。最後に残った2000年に姉から貰ったワイン、これもまた、グラス一杯は飲んだが残りは捨てた。たぶん旨かったであろうワイン5本を、保存方法を知らないバカが無駄にしてしまったという顛末でした。
     

 記:2018.1.26 島乃ガジ丸


躾の言葉 ブサミ

2018年01月26日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 書いて終わっているけどアップされていない記事があることに気付いた。
 2016年10月のガジ丸の島は沖縄の言葉の話が続いたが、その中の『ケンカの元』を書きながら、ガンマリは子供のやることで、ガンマリする子供を親は叱った。叱る言葉には暴力的言葉もあるが、それはしかし、ケンカの際に使われる暴力言葉とは違っていたかもしれないと思い、「俺はどんな言葉で叱られていたか」を考えてみた。
 という書き出しでその1ヶ月後には書き終わっていた『躾の言葉』を今回アップ。

 暴力言葉には「スグラリンドー」とか「チラチチカリンドー」というのもある。スグラリンはスグユンで「しごく、なぐる」という意。チラチチカリンはチラ(面=顔)チチチュン(突く、小突く)という意。ラリン、カリンでどちらも受け身となる。ドーは強調の「ぞ!」といったような意で、「殴られるぞ!」、「顔突かれるぞ!」となる。
 「スグラリンドー」や「チラチチカリンドー」はケンカの際に使うよりも、親が悪さをする子供を叱る際に言うことの方が多い。共に受動態だが、「スグルンドー」よりは「スグラリンドー」、「チラチチチュンドー」よりは「チラチチカリンドー」と受動態にして使われることが多い。主語は「私」では無く「何者か」なのである。
 親が子供に体罰を与えるのは躾であり、子供が痛がるのを親は喜んでやっているのではない。世間に迷惑をかけない大人に育てるためにしょうがなくやっていること。「叩いている手は私の手だが、私の心がお前を叩いているのではない、お前の間違った行為や歪んだ心がご先祖様を悲しませ、それが愛の鞭となりご先祖様の心によってお前は叩かれている」などといった気分なのかもしれない・・・好意的に解釈すればの話。

 躾の暴力言葉としては「クォーサークヮースンドー」を私は子供の頃よく耳にした。クォーサーは拳骨のこと、クヮースは喰らわす、「拳骨を喰らわすぞ」となる。クォーサーはメーゴォーサーとも言う、メーの意味は調べたが不明。メーは江戸言葉でもメーと発音するが、前の沖縄語読みでもある。前拳骨ということなら正面からグーで殴るぞということになるが、正確には不明。親が子を正面からグーで殴るは、あまり想像したくない。
 「正面からグーで殴る」で思い出したが、「ハナブックヮークヮースンドー」というのもあった。ハナは鼻、ブックヮーは腫れる、クヮースンドーは喰らわすぞで、「鼻が腫れるようなことを喰らわすぞ」という意になる。「鼻が腫れるようなこと」とはつまり、顔面中央を正面突きするということになる、ビンタのように頬をはたく場合は、手はパーの形だが、顔面を正面突きするということはグーの形になる。あな恐ろしや。
 「ビンタのように頬をはたく」で思い出したが、そのような場合は「チラホーカリンドー」と言う。チラは面、ホークは掃くで、「顔を掃かれるぞ」となる。
 その他、「チンチキユン」、「ヤーチュースン」等というのもあった。チンチキユンは「抓る」、ヤーチュースンはヤーチュー(やいと:お灸)するで、「お灸をすえる」となる。念のため、「お灸をすえる」は「痛い目にあわせる。強くしかる」(広辞苑)という意。ついでに、「やいと」は「ヤキト(焼処)の音便」(〃)とのこと。

 以上は、私が記憶している限りの、私が子供の頃に両親や祖父母に言われた躾の言葉である。他所の子供がどんな言葉で親に注意されたかまでは調べていない。少なくとも私の場合は、和語の「お尻ペンペン」みたいな可愛い言葉は無かったと記憶している。
 ただ、父母や祖父母の言葉に可愛さはなかったが、優しさはあった。上記の「クォーサークヮースンドー」や「チンチキユンドー」や「ヤーチュースンドー」も「スグラリンドー」、「チラチチカリンドー」と同様、「クォーサークヮーサリンドー」、「チンチキラリンドー」、「ヤーチューサリンドー」のように受動態であることが多かった。「誰が?お前が」、「誰に?神様に」ってことだろう。・・・好意的に解釈すればの話。
 そして、たまにだが、さらに優しさを感じるような言い方をする場合もあった。それらの言葉の後にブサミと加えることがあった。ブサミは「したいの?」という意。
 「スグラリブサミ」(殴られたいの?)
 「チラチチカリブサミ」(顔突かれたいの?)と言われると、
 「いいや」と、子供は首を横に振る余裕を与えられた。

 いずれにせよ、そういった言葉が発せられるということは、子供が悪さを止めて恭順の意を表すれば暴力は振るわれない。子供には暴力を避けるための余裕が与えられた。
 酷く悪いことをした時は、何も言わずに叩かれた。私は何度も叩かれた。叩かれてはいたが、私が両親や祖父母を恨むことはない。全ては躾であったのだ。感謝。

 以下、沖縄語辞典による説明。
 クォーサー:指の関節のとがったところで、こつんと打つこと。
 クヮース:くらわす。こうむらせる。
 チンチキユン:つねる
 ヤーチュー:灸。やいと。
     
     

 記:2018.1.17 ガジ丸 →沖縄の生活目次