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ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

物くいーしどぅ

2018年02月16日 | 通信-沖縄関連

 2月4日、全国的にも注目されていた名護市長選の投開票があった。その夜、私はいつものように9時過ぎには寝ていて、その時間までに選挙結果は出なかった。私が結果を知ったのは翌朝6時過ぎのラジオのニュースで。私としては残念な結果であった。
 その結果を聞いて思い出した言葉がある。いつだったか、もう10年以上も前だったと思うが、ある選挙結果(自民党系の候補が勝利した)を聞いて従姉Mが「ムヌクイーシドゥだね」呟いた。「何それ?」と訊くと、「物を与えてくれる人が主人という諺みたいなのが昔からあるのよ」という答え。今回の名護市長選もそういうことかもしれない。
 「物を与えてくれる人が主人」というと、「寄らば大樹の陰」とか「長い物には巻かれよ」という諺を連想する。両方とも概ね「力のある者ものに従った方が得」といった意味であるが、「物を与えてくれる人が主人」もそれと同じようなことであろう。

 「・・・であろう」で済まそうと思ったが、念のため、ムヌクイーシドゥを改めて調べてみた。それは『沖縄大百科事典』に詳しく載っていた。それによると、
 1469年、第一尚氏王統から第二尚氏王統への政権交代の時の安里大親の言で、その全文は「虎ぬ子や虎 悪王ぬ子や悪王 物くいいしどぅ我御主 内間御鎖どぅ我御主」となっている。この言の主旨は「物くいいしどぅ我御主」で、その沖縄語発音は「ムヌクイーシドゥ ワーウシュー」で、その意は「物をくれる人が我が主人」となる。
 内間御鎖とは第二尚氏の始祖、内間金丸のことで、国王となって尚円と名乗る。ちなみに、安里大親の大親も、内間御鎖の御鎖も役職名とのこと。
 『沖縄大百科事典』の解説では、「自分に食べ物を与えてくれる者を主人として仰ぐことは、権力追従主義、事大主義に通じるとされ、沖縄的心情批判の例として取り上げられたことわざであるが、・・・物をくれる人とは、むしろ民生の安定に心を配る主権者の意であり、・・・一種の民主革命の肯定と解釈される」となっている。
 従姉Mが「ムヌクイーシドゥだね」呟いたのは、この解説でいう前半部分の「権力追従主義、事大主義」という批判的な意味であったと思う。私もその時そういう意味で捉えていて、今回『沖縄大百科事典』で調べるまではそう思っていた。
 しかし、「物くいいしどぅ我御主」が『沖縄大百科事典』の解説の後半部分「民生の安定に心を配る主権者」という意であれば、それはそれなりに納得できる。

 兎にも角にも、政治は、戦争のない平和な社会であることが前提となるが、民衆が生活できるようにすることが大事だと思う。その為にお金が必要なのであれば、お金を得る算段のできる者が主人(首長)であってもいいと思う。自民党の全面支援を受けて当選した名護新市長は、おそらく国からお金を得ることができるであろう。名護市はそれでいくらか潤うであろう。新市長はそれで首長合格になると思われる。
 それでもしかし、今回の名護市長選の結果を私は残念に思っている。確かにお金は大事だ、生活するために必要な物。だから私も「働いて稼ぐ」を今年の目標としている。
 それでもなお、「何で沖縄なの?」が疑問。そこに差別を感じてしまう。前の戦争の時と同じように「沖縄は犠牲になっても構わない」という差別。なので、国に一矢報いたいという気持ちが私は強い。なので、名護市長選の結果はとても残念に思った。
     

 記:2018.2.16 島乃ガジ丸

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


うしろの泣く太郎

2018年02月16日 | ガジ丸のお話

 「闘え!」と耳元で声がする。たぶん、私の守護霊の声だと思う。
 「嫌だよ、怖いし、どうせ勝てねぇよ。」と私は応える。
 「周りの者達だけでなく、お前自身も憑依されかかっているんだぞ!」
 「いいよ別に、周りは関係無ぇし。俺だってどうでもいいよ。」
 「本当にどうでもいいと思っているのか?よく考えろ、今ならまだ間に合う。」

 などという会話があって、「よく考えろ」と言われたようによく考える。「俺はホントに俺がどうなってもいいと思っているのか?」を考え、「周りの人達も助かるかもしれない」を考え、そして、呑気な怠け者の私も、ついに立ち上がった。
 が、しかし、いざ相手と対峙すると、敵は予想以上に大きく、恐ろしげな形相でいかにも強そうであった。私は怖くて逃げようとしたが、周りにも励まされて闘う。

 地上で闘い、不利な状況となった私は高層ビルの屋上に上る。そこでも最初は不利であったが、「死ぬかも」という恐怖を抱きながら何とか踏ん張って闘い続け、そして、「勝たなきゃ」という気持ちが強く湧いてきた。「えーいっ!糞ったれ!」と大声で叫んで、立ち上がって魔物を見る。その時、魔物はフェードアウトするように消えた。

 ビルの屋上から1階に下りると、若い女性(20代半ば)が満面の笑みで掛け寄ってくる。私はその鼻を指でつまんでそのまま後方に投げ飛ばす。女性は投げ飛ばされ背中を地面に叩きつけられたのだが、立ち上がって、またも満面の笑みで掛け寄ってくる、私はまたもその鼻を指でつまんでそのまま後方に投げ飛ばす。それで、彼女は魔物の憑依から完全に抜け出せたようで、少し変な形になっていた鼻も元のきれいな形の鼻に戻って、そして、笑顔が泣き顔になって、私に抱きつき、「ありがとう」と呟いた。
     

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆ 

 以上は2018年2月5日の未明に見た夢。覚めてから少し脚色している。
 去年12月中頃からなかなか寝付けなくなってしまい、夜中何度も目が覚め、睡眠時間が1晩足して4~5時間(それだけ眠れば十分という人もいようが、私は不足)という状況が、少しずつ良くなってはいたけど、明けて2018年1月になっても続いた。まあまあ満足できる睡眠が得られたのは2月1日になってから。2月4日から5日にかけての夜は久々のグッスリ睡眠となり、お陰で、上記の濃い夢を見ることになった。

 私は、大人の紳士淑女には好かれないが、子供には好かれる方で、親戚の子供達や友人の子供達とは、彼らが子供の内はたいてい仲良しになり、あちこち引っ越しを繰り返してきたが、住まいの近所にも仲良しになってくれる子供が何人もいた。
 現在の住まいに越してきたのは一昨年(2016年)12月1日、隣のA嬢(現在幼稚園生)が、引っ越してきた早々、私を見て声を掛けてきた。その後もA嬢は私を見ると近寄ってきて、私も彼女の頭を撫でたりして、少しおしゃべりもしたのだが、いつ頃からだろうか、去年9月か10月頃からだったか、彼女の私を見る目が変わった。笑顔が少しも無い、私をじっと見つめて、今から考えると、憐れむような目で見ていた。
 「何だ?何か言いたいのだろうか?」思ったが、その時はさほど気にしなかった。しかし、それ以降、A嬢はもう私に話しかけることは無く、私を見ることもなかった。
 上記の夢を見て、そのことを思い出し、「あの憐れむような目は、俺の後ろに魔物でも見えたからなのか?」と思い、そして、『うしろの百太郎』を思い出した。
 『うしろの百太郎』は私が若い頃に人気のあった漫画、作者はつのだじろうで、守護霊が活躍する内容であったことを覚えている。

 守護霊がいることを前提として、「俺の守護霊がA嬢には見えたのか?見えて、これまでとは違うと感じたのか?俺の守護霊に何か異変が起きたのか?悪霊に憑依でもされたのか?」などと思い、で、今回のタイトルが『うしろの泣く太郎』となった。
     

 記:2018.2.10 島乃ガジ丸 →ガジ丸の生活目次