ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

ウガンブスク

2018年12月07日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 11月、暖かい日の多かった今年の沖縄、12月に入るとさらに暖かくなった。4日は全国的にも暖かかったようだがその日の那覇の最高気温は何と29.4度、「なんじゃい、沖縄はいつから南半球になったんじゃい!」と思うような陽気、その日のお昼前、畑の片付け作業をしたが、たった30分で汗びっしょりだった。「体の調子が狂うではないか。天気の神様、どうかいつもの例年通りの気候にしてください。」と祈りたくなる。

 さて本題、姉や妹にそれぞれ不幸が襲い、自らも膝を痛めて仕事を休んでいるH子、彼女たちのことを先輩農夫のNさんとユンタク(おしゃべり)している時の話題にした。Nさんは話を一通り聞いて、「それはウガンブスクではないか?」と助言した。
 それからまた数日後、H子と会う機会があった。「ウガンブスクではないか?」とNさんの言葉を伝えると、「そうかもねぇ。」と彼女は神妙な面持ちで応えたが、その時彼女の周りにいたお姉さま方たち(H子の友人3人)は口を揃え、「そんなことないよ、何で祖先が子孫に罰を与えるのよ。」と仰る。いやいやそういうことではなく、ご先祖様が罰を与えるのではない。ウガンする相手が違うのではないか?ということです。
     

 ウガンは御願、正確な発音に近いカナ表記だとウグヮンだが、ウガンという発音をよく聞く。フスクは不足、濁音化してブスクとなってウガンブスクとなる。
 ウガンブスクは漢字で表記すると御願不足・・・だと私はずっと思っていたが、違うかもしれない。もしかしたら「拝み不足」が正しいかもしれない。沖縄語発音で「拝み」はウガンとなり、「御願」を沖縄語発音しても同じくウガンとなる。
 沖縄語辞典には、ウガンは「お願」と表記され「祈願。願。祈祷」の意とある。『沖縄大百科事典』にはウガンがあり、拝所と表記され「神霊のよりつく聖域のこと」とある。「御願所とも」と別名が記されているが、「神霊のよりつく聖域のこと」という意では御願所(ウガンジュ)の方を私は子供の頃から多く耳にしている。
 「願」は「神仏に願うこと」(明鏡国語辞典)の意で、「祈る」は「よいことが起こるようにと神や仏に願う」(同)のこと。沖縄語の「願」が「祈願。願。祈祷」の意ということであれば、和語の願と同じであり、ウガンブスクは御願不足で正解となる。
 しかし、私がこれまで耳にしてきたウガンブスクは、もちろん「よいことが起こるようにと神や仏に願う」の、その祈りが足りないという意味もあるかもしれないが・・・、

 拝むは「神仏などに向かって、手を合わせたりひざまずいたりして礼をする」(同)のこと。そう、拝むは神仏に対するお礼なのである。「今日も生かして頂いてありがとうございます」といったようなお礼なのだと思われる。「生かして頂いて」というだけでなく「健康で」、「家庭円満で」などということもあろう。それは毎日毎日のお礼である、神仏に対する日常の感謝である。ウガンブスクは「神仏に対する感謝の念が足りない」という意味合いが強いと思う。ご先祖様に対するではなく神に対する拝み不足である。
 よって、「祖先が子孫に罰を与える」のではなく、「神が感謝知らずの子孫に罰を与える」のだと思われる。神は、「先祖がいたお陰でお前は生きているのだぞ、その先祖をないがしろにするとは不届きな奴。」というお叱りではないだろうか。神の存在を信じない不信心者の私が言えることでは無いが、不運が続くとついつい・・・。
     
     

 記:2018.12.6 ガジ丸 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行