12月も下旬になろうとしているのに「暑い日」と書かねばばらない12月19日、いつもの桜坂劇場に映画を観に行った。最近何かの大きな賞を貰ったという作品の、それを記念してのリバイバル上映らしい。観た映画は『まぶいぐみ』。
その前に友人Kの家を訪ね、パソコンに詳しい彼に最近壊れた私のパソコンの話、携帯電話にも詳しい彼にガラケーからスマホへ替えるのは止そうかと思っている話などする。彼の家は私の実家からすぐ近く。近辺の景色は見慣れた懐かしい景色。母が11年前、父が8年前に亡くなって住む人のいなくなった実家、2014年2月には他人のものになってしまった実家とその周りの風景を思い出し、ちょっと感傷的気分になる。
感傷的気分を振り払って映画館、ちょうど良い時間に着いて、トイレ行って用を足し、館内へ入って席を見つけ、そこへ座ろうとしている時にブザーが鳴り暗くなった。
映画はドキュメンタリーで、「世界のウチナーンチュ大会」という5年に1度の行事を明るい表舞台として、移民として世界に散らばったウチナーンチュの歴史を描く。サブタイトルに「ニューカレドニア引き裂かれた移民史」とあるように、ニューカレドニアに移民として渡ったウチナーンチュと、その子孫である2世、3世たちがメインの登場人物。映画が始まって数分後、「あっ、しまった、この映画、前に観たかも」と気付く。登場人物の多くに見覚えがあり、ニューカレドニアの景色にも見覚えがあった。
家に帰って日記を調べる。2017年8月10日に同映画を私は観ていた。ただ、「良い映画だった」と書いてはいるが映画に対する詳しい感想は無い、別項で書いた形跡もない、このブログで映画の感想はいくつも書いているが、『まぶいぐみ』については何も書いていない。「何故か?」はたぶん、その日の日記の記述の多くを占めていたのが別にあったから。映画の帰り、その日初めて、動けなくなるほどの腰痛を私は経験していた。
私の腰痛はおいといて、映画『まぶいぐみ』は、血の絆というものを強く感じさせるものであった。マブイグミという言葉自体は「血の絆」とは関係ない。マブイは魂のこと。グミはクミの濁音化したもので「込み」の沖縄語発音。「魂込め」という意になる。
何かとても恐ろしい思いをして、酷い衝撃を受けて、心ここにあらず状態になった時などに「魂を落とした」と沖縄では言う。そして、「魂を拾いに行こう」となり、魂を落としたと思われる場所へ行き「マブヤー、マブヤー・・・」と呪文を唱え魂を失ったと思われる者に魂を込める。私も子供の頃、何度かマブイグミをやって貰ったことがある。
サブタイトルにある「引き裂かれた」は、太平洋戦争によって家族が「引き裂かれた」ことを言っている。移民の沖縄男性は現地の女性と結婚し、家族をつくったが、敵国民ということで強制収容され家族と引き裂かれる。それで、父を知らない2世、3世が育ち、彼らはルーツを失ったまま大人となり、親となり、「私は何者?」と問うことになり、ルーツが解らないということを「魂を失った」ということに譬えたのだと思われる。
映画『まぶいぐみ』を観てから4日後、12月23日、平成天皇最後の天皇誕生日、今上天皇のお言葉をラジオから聞いた。戦争に触れ、沖縄のことにも言及した。天皇のこれまでの言動でも感じていたことだが、平和を切望している人だなぁと思った。
記:2018.12.27 島乃ガジ丸