ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

風来坊になれる身軽さ

2010年06月11日 | 通信-社会・生活

 二週間前、体重と体脂肪率を量ったら、体重が58キロ、体脂肪率が11%となっていた。体重、体脂肪率を定期的に量るようになった2001年1月以降では両方とも最低記録。体脂肪率は不明だが、体重の58キロは二十歳の頃と同程度。
 2001年1月の体重は69キロ前後、体脂肪率は22%前後であった。体脂肪率はそれまで量ったことはないので不明だが、体重はもうだいぶ前からその辺りを行き来していた。お腹周りはぷよぷよであった。日常的に体が重いと感じていた。「何とかせねば」と思っていた。で、体脂肪率測定付き体重計を購入し、目標体重、目標体脂肪率を定め、それに到達すべく努力を始める。余分な脂肪を捨て、身軽になることを目指した。
 身軽になるために、過剰な食物摂取を止め、平日の筋力トレーニングや週末の散歩を始めた。目標体重62キロ、目標体脂肪率14%としていたが、努力の結果、目標体重は2002年12月に、目標体脂肪率は2003年4月に到達した。以降、多少の上昇傾向もあったのだが、玄米食を始めるようになった2008年からは体重が60キロ前後に安定し、体脂肪率も12~15%となって、目標数値を超えるほどとなった。

 体重や体脂肪率は当然ながら、低ければ低いほど良いというものではない。両方ともに健康最低数値というものがある、身長170センチの私は、体重の健康最低が58キロ、体脂肪率の健康最低が10%となっている。それより低いと健康的ではないらしい。しかも、先日の体重58キロ、体脂肪率11%は運動をしての健康的数値では無く(それまでの一ヶ月半、筋力トレーニングをサボっていた)、ろくに飯を食わなかったからという病的数値だ。痩せて精悍になったのではなく、痩せてやつれたということだ。
 やつれてはいけない。見た目に良くない。見た目が良くないと女にモテない(ただでさえモテないのに)、モテないと自覚してしまうと楽しくない。モテない男は現実的にモテなくても、少しはモテるんだと錯覚することで生きる力を得ることができる。

 部屋に白アリが発生して、その駆除、後始末をしながら、もしかしたら引っ越すことになるかもしれないと思い、そのついでに部屋の大掃除、整理整頓をやっている。
  整理整頓は、ほとんど不要と思われるモノ、捨てるのは勿体ないので取りあえず保管しているモノ、そして、いつか使うかもしれないが長いこと使っていないモノなどの処分が含まれている。処分は、ほとんど不要と思われるモノはゴミとして出し、捨てるのは勿体ないモノ、いつか使うかもしれないが長いこと使っていないモノなどは、それが少なくとも自分は使わないが、誰かにとっては使えるモノなのであれば、使いたい誰かに譲ることにした。それらの概ねは友人Hに委託して、使う人を探して貰っている。
 それら処分するモノたちは、押し入れ、流し台の下の棚、その他の棚、部屋のあちこちにある箱の中から大量に出た。特に、不要と思われるモノがたくさん出た。不要なモノは知らず知らずの内に溜まっていくようだ。既に大きなゴミ袋にぎっしり詰めて燃えるゴミが5袋、燃えないゴミが1袋出た。それらはしかし、まだ出てくる予定。
 どれだけ身軽になるかという目標もある。冷蔵庫や洗濯機も含めて、2tトラック1台で引っ越すことができる程度の身軽さ。いつでも風来坊になれる身軽さだ。ちなみに、大掃除を続けて昨日、ついに体重は56キロまで落ちた。これはちょっと身軽すぎる。
          

 記:2010.6.11 島乃ガジ丸


浦添大公園・浦添城趾

2010年06月11日 | 沖縄05観光・飲み食い遊び

 浦添大公園は、浦添城趾公園という名前では、高校生の頃(約35年前)から知っている。仲良しグループ男女数人で遊びに行っている。甘酸っぱい想い出だ。それからニ十数年の歳月が流れたある日、ふと、その甘酸っぱい想い出を思い出して、訪ねてみようと思い立ち、昔の記憶を辿りながら浦添城趾公園を探した。
  この辺りであろうと辿り着いた場所に浦添城趾公園という名前は無く、浦添大公園となっていた。また、見覚えのある景色は見つからなかった。「ここじゃ無かったかな?」と甘酸っぱさを反芻し損ねたことを残念に思いつつ、その日は帰った。
 その後、友人から浦添大公園の中に浦添城趾公園は含まれていると聞いたが、すぐに訪れる機会は無く、再訪したのはそれから数年後のこと。甘酸っぱい想い出を思い出したからでは無く、沖縄の植物や動物をHPで紹介するようになって、浦添大公園には植物も動物もたくさんいるということを知ってから。以降は、たびたび訪れている。

 浦添大公園を散策するのは、主に週末、友人Hの店を訪ねる際のついでの、時間に余裕がある場合となっている。私の家からもHの店からも公園の南西側出入口が近いので、たいていそこから入っている。そこからは、浦添城趾、浦添ようどれも近い。
  浦添大公園は「大」とつく通り、大きな公園で、出入口があちらこちらにある。南西側にも、私が知る限り三箇所ある。その一つ、最も南よりの出入口を私は多く使う。そこには公園の管理事務所があり、去年、そこで公園の案内地図を入手できた。
 地図によると、公園は大きく3つのゾーンに分かれている。歴史学習ゾーン、ふれあい広場ゾーン、そして、憩いの広場ゾーン。私がよく利用する出入口からは歴史学習ゾーンが最も近く、散策場所の多くはそことなっている。憩いの広場ゾーンは遊具があって、子供連れの客が多い。子供を連れない私は2、3度しか歩いていない。
  地図を見て驚いたのは、憩いの広場ゾーンの存在。ふれあい広場ゾーンの北東側を走る道路があって、公園の敷地はそこまでと思っていた。地図を見ると、道路の向こう側に憩いの広場ゾーンがあり、ふれあい広場ゾーンよりも大きい。
 浦添城趾や浦添ようどれなどを含む歴史学習ゾーンが最も広く、そのエリアだけをざっと回るだけで2、3時間はかかる。ふれあい広場ゾーンもまあまあ広い。なので、これまで、これが浦添大公園の全部だと思っていた歴史学習ゾーンとふれあい広場ゾーンの二ヶ所を一度に回ったことは無い。一日潰す気でないと回れないと思っていたからだが、さらに、憩いの広場ゾーンというエリアがあることを知り、ビックリ。

  今年(2010年)の3月、憩いの広場ゾーンを散策した。北東側の出入口から入り、右回りで南西側へ向かう。道は階段も含め、概ね下り。下りきったところには川が流れていた。立派な橋も架かっている。その橋を渡ると川沿いの平坦な道があり、南西側へ向かう石畳の上り坂がある。川沿いの道を行くと、途中に南西へ向かう上り階段がある。石畳の上り坂も上り階段も、上りきったらふれあい広場ゾーンと接する車道へ出る。
 それにしても広い。憩いの広場ゾーンを一通り歩いて、写真を撮りながらだが、4時間ほどかかった。ということは、3つのゾーン全部を巡るとなると一日たっぷりかかるに違いない。浦添大公園は、浦添大大公園と名前を変更した方が宜しかろうと思った。
     

 浦添大公園(うらそえだいこうえん)
 場所:浦添市当山近辺
 面積:約37ヘクタール(浦添城趾等含む)
 特記:園内には浦添城址(国の重要史跡)、浦添ようどれ(県の特別重要文化財)などがある。流れる川は牧港川。

 浦添城趾(うらそえじょうせき)
 場所:浦添市仲間
 面積:約2ヘクタール
 特記:歴史は、正確なところは不明とのことだが、13~14世紀の築城らしい。1607年の薩摩侵攻時に焼き払われたとのこと。
     

 浦添ようどれ
 浦添城趾北側崖下中腹にある英祖王統と尚寧の墓。
 英祖(1229~99)は、在位1260~99の英祖王統初代の王。英祖王統は五代(1260~1349)続いた。
 尚寧(1564~1620)は、在位1589~1620の第二尚氏王統七代の王。その在位中に薩摩侵攻(1607)があった。 
     
              

 記:2010.5.20 ガジ丸 →沖縄の生活目次


対岸の些事

2010年06月04日 | 通信-政治・経済

 このブログを毎回読んでくれている友人Hが、「お前の文章には難しい言葉がちょくちょく出てきて、よー解らん時がある。」と言っていた。表題にある些事(さじ)、Hにとっては難しい言葉だと思われるので、彼のために説明、「些細な事」という意味。
 もう一つHのためのお勉強、「対岸の火事」は「自分には全く関係のない出来事で、少しも痛痒(つうよう)を感じない物事のたとえ。」(広辞苑)のこと。「痛痒って何なんだ?」とさらにHが訊いてきたらこう答える。「読んで字の如くだ」。
 火事は、対岸にとっては「えらいこっちゃ」で、些細な事ではない。表題の対岸の些事はよって、「自分には全く関係のない出来事で、当事者にとっても些細な出来事だと判断され、全く痛くも痒くもないどうでもいいこと」となる。私の造語。
 日本国の政治は日本国民にとって対岸の事ではない。また、時の総理が任期途中で辞任することは国民にとって些事ではない。のだが私は、総理の辞任が「対岸の些事」だと感じた。ただ、破賭山総理と小技幹事長の綱引きだけがドラマとして少々興味を引いた。しかしそれも、どっちが勝っても負けても引き分けでもどうでもいいことだが。
          

 私は選挙権を得てからこれまで数多くの投票をしてきたが、棄権した(たまたま都合が悪かったとか、うっかり忘れていたとかいう理由)のは数回、保守系の候補者に入れたことはたったの1回(どうしてもと頼まれていたしかたなく)、それ以外は全て革新系の候補者に投票してきた。ここ十数ほどは特に、ある政党に肩入れしている。
 肩入れしているのは、その政党の党首が可愛いからというのが主な理由だが、その党首が言うような社会が実現するといいなぁと思うからでもある。
 政治は、医療で言うところの対症療法(患者のその時の症状に応じて行う治療法。広辞苑による)が作業の大部分だと思う。つまり、国のその時の社会、政治、経済等の状況に応じて、国民の生命と財産を守るために何らかの対処を行うことだと思う。
 対症療法は政治の作業の大部分なので、それができない政党には国政を任せることはできない。ではあるが、今はともかく将来の理想とする社会はどうあるべきかを掲げることは、政治の作業の小さな部分だが、とても大事な部分だと私は思う。対症療法のできない政党に現実の政治を任せるのは不安だが、理想とする社会を目指して突き進もうと努力している政党には肩入れしたいのだ。「頑張ってね」と言いたいのだ。

  「アメリカが沖縄を手放すわけが無い」と私は認識しているが、それでも、普天間基地の国外移設については、「そうなるといいなぁ」と心底望んでいた。破賭山前総理もそう仰っていたし、受け入れを歓迎している国外もあったことから、可愛い党首の活躍いかんによっては、ひょっとしたらひょっとするかもと思わぬこともなかった。
 可愛い党首のいる政党の国会議員がせめて、今の10倍くらいの人数がいたならば、もう少し沖縄県民の望む方向へ近づけるのではないか、という思いを私は常々抱いていた。ので、党首が可愛いという理由だけでなく、長くその政党を応援してきたわけ。
 普天間基地問題は、他府県民から見ると対岸の些事なのだろう。普天間から辺野古へ移動するだけの、沖縄内部の問題に過ぎないと思うのだろう。よって、「そうじゃない」と訴える政党が全国的な支持を得ることは難しいかもしれない。でも、頑張ってね。
          

 記:2010.6.4 島乃ガジ丸