ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

テントの下の献身:辺野古

2012年07月13日 | 通信-沖縄関連

 先だって、このガジ丸通信で映画『ラブ沖縄』を紹介したが、その記事の最後は「未来の沖縄のために頑張っている人達のことを思い、辺野古と高江の頑張っている人達にお菓子の一折も持って行って激励し、感謝したくなった。そうでもしないとこの腹立ちは収まらないに違いない、と思って、先週訪問した」と締め括った。そして、その翌週には辺野古高江訪問の話をする予定であった、のだが、そうはせず一ヶ月が過ぎた。
 高江では、座り込み代表の1人であった伊佐さんに会えた。伊佐さんを紹介してくれたのは、私の畑の近くに住む平和運動家の爺様Hさん。後日、Hさんに紹介してくれたお礼と辺野古高江の報告をしに行ったら、Hさんと一緒に暮らしている婆様Mさんが「私達も行きたいさぁ」と言う。紹介してくれた爺様婆様に「行きたいさぁ」と言われたら、そりゃあ断れない。そして6月30日、二人を辺野古高江に連れて行くことになった。私自身は、2度目となる訪問によっておぼろげだった記憶が確認でき、新たな発見もあろうと期待した。で、話の続きは2度目の訪問の後でいいか、となったわけ。

  辺野古は2004年4月から座り込みを開始している。今年で満8年が過ぎた。非暴力の座り込みで8年間も基地建設を阻止し続けている。何という強さ!だと思う。
 辺野古には基地建設反対の団体がいくつかあるとのこと。2度行って、2度聞いたのにそのいくつかを私は覚えていない。なんというふとどきもの!と反省する。覚えてはいないが、手元にテント村で頂いた資料があり、その中からそれらしきものを記せば、「ヘリ基地反対協議会」、「命を守る会」、「座り込みテント村」の3つある。もし間違えていたなら、辺野古で日夜平和のために献身している皆さま、申し訳ないです。
 座り込みテント村で我々にキャンプシュワブ(辺野古に現在ある基地)の現状、将来の計画、反対運動のこれまでの経過や内容などを説明してくれた男性(オジサンという歳だが、たぶん私よりは若い)は、とても優しそうで誠実そうな人。訊けば、ウチナーンチュでは無く、埼玉からやってきて、長くこの運動に参加しているとのこと。いや、まあ、ほんとに、何とも有難いことである。「沖縄のためにありがとう」と心の中で呟いた。
          

 ちなみに、辺野古の基地建設のこれまでの経過について簡単に述べておく。
 宜野湾市の普天間基地は街中にあって危険である。
 よって、普天間基地は閉鎖し、どこぞへ移転する。
 そのどこぞを、沖縄県は県外・国外を求めたが、
 日米両政府は沖縄県内の辺野古へと合意した。
 「辺野古の海は自然豊かな海である、そこを埋め立てて基地なんてとんでもない」
 「自然への影響は最小限におさえるから何としてでも辺野古へ」
 「自然環境は大事な問題だ、それに加え、辺野古住民に基地被害が及ぶ」
 「そうだね、じゃあ少なくとも県外」と鳩山総理は言う。が、後日、撤回。
 以降の総理は初めから「辺野古しかない」と、県外国外を考えようともしない。

 と、辺野古基地建設問題の大雑把な説明であるが、まあ一度、辺野古のテント村を訪ねてみるとよい。彼らの話を聞き、そこの海を見れば、反対に賛成したくなるはず。
          

 記:2012.7.13 島乃ガジ丸

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『在日米軍司令部』春原剛著、株式会社新潮社発行


アメリカの良心『八月十五夜の茶屋』

2012年07月06日 | 通信-音楽・映画

 小学校から浪人の頃まではよく読書していたが、オジサンと呼ばれる歳になってからは読書がぐんと減った。植物図鑑、動物図鑑、パソコン関連、一昨年からの農業関連などの書籍以外ほとんど読むことは無かった。しかし、今年は読書している。
 貧乏なので本は買わない。友人から頂いたものもあるが、ほとんどは図書館から借りている。幸いにも、今住んでいるアパートから宜野湾市立図書館が近い。徒歩5分とかからない。蔵書もまあまあ充実している。平均すると週に1回以上は通っている。
 6月に入ってからは沖縄戦関連を多く読んでいる。関連は、在日米軍の組織に関するもの、沖縄の米軍基地に関するもの、基地に配備されている武器に関するもの、少々飛躍して、沖縄の自立に関するもの、尖閣諸島問題に関するものまで含んでいる。
 本だけでは無く、宜野湾市立図書館にはDVDやビデオテープも多く置いてあり、それらも頻繁に借りている。ウチナーグチ(沖縄口)を覚えるために沖縄芝居のビデオもあるが、ここ最近はやはり、沖縄戦関連がほとんどとなっている。

  沖縄戦に直接は関係ないと思われるビデオを先日借りた。直接は関係ないが、終戦後の沖縄、占領下にあった沖縄をアメリカがどう捉えていたかについて、参考になるかもしれないと思ったので借りた。映画のタイトルは『八月十五夜の茶屋』。
 『八月十五夜の茶屋』は1956年公開のアメリカ映画。舞台は1946年の沖縄、アメリカ軍政下で、アメリカ軍人が沖縄人に民主主義を教育し、理解させ、実践させようとする間の交流を描き、その顛末にユーモアを散りばめた喜劇映画。

 中学生の頃、私は映画をよく観た。邦画は少なくほとんどが洋画。当時、名作と評価されていた映画はリバイバル上映も含めて多く観た。名作なのでアメリカ映画でけで無くスペイン、イギリス、イタリア、フランス産の映画もあった。しかしやはり、アメリカ映画が多かったと思う。特に西部劇が好きで、西部劇は名作も駄作も観た。
 どの映画がそうであったかははっきり覚えていないが、インディアンを頭の皮を剥ぐ残忍な悪役として描いているものもあり、逆に、インディアンを同じ人間であると認識し、先住民として敬意のある扱いをしているような描き方をしている映画もあった。
  先住民に敬意を持つ、人間としての尊厳を認める。それは弱肉強食法則とは違うアメリカの良心だと思った。キリスト教の影響かな?とも考えたが、いくつかのアメリカ映画にジャスティス(justice)をテーマにしたものがあり、正義であることがアメリカの良心であろうと判断したわけだ。あー、確かに、ジョン・ウェインはジャスティスだ。

 『八月十五夜の茶屋』は喜劇とされているが、私は、笑う所はあまり無く、それよりアメリカの良心が十分に描かれた映画として鑑賞した。上官のパーディー大佐はともかく、実際に沖縄人と接するフィズビー大尉(主人公)もマクリーン大尉も、沖縄人を自分らと同じ人間として接していた。むしろ、「アメリカ人よりこの人達が人間らしいのではないか」と思っているような雰囲気もあった。沖縄人がウチナーグチを話さない、マーロン・ブランドがあの顔で沖縄人役、しかも片言日本語、沖縄のあの時代に倭国風の芸者が登場するなど変なのもあったが、沖縄人としては大変嬉しくなる映画だった。 
          
          

 記:2012.6.29 島乃ガジ丸