先だって、このガジ丸通信で映画『ラブ沖縄』を紹介したが、その記事の最後は「未来の沖縄のために頑張っている人達のことを思い、辺野古と高江の頑張っている人達にお菓子の一折も持って行って激励し、感謝したくなった。そうでもしないとこの腹立ちは収まらないに違いない、と思って、先週訪問した」と締め括った。そして、その翌週には辺野古高江訪問の話をする予定であった、のだが、そうはせず一ヶ月が過ぎた。
高江では、座り込み代表の1人であった伊佐さんに会えた。伊佐さんを紹介してくれたのは、私の畑の近くに住む平和運動家の爺様Hさん。後日、Hさんに紹介してくれたお礼と辺野古高江の報告をしに行ったら、Hさんと一緒に暮らしている婆様Mさんが「私達も行きたいさぁ」と言う。紹介してくれた爺様婆様に「行きたいさぁ」と言われたら、そりゃあ断れない。そして6月30日、二人を辺野古高江に連れて行くことになった。私自身は、2度目となる訪問によっておぼろげだった記憶が確認でき、新たな発見もあろうと期待した。で、話の続きは2度目の訪問の後でいいか、となったわけ。
辺野古は2004年4月から座り込みを開始している。今年で満8年が過ぎた。非暴力の座り込みで8年間も基地建設を阻止し続けている。何という強さ!だと思う。
辺野古には基地建設反対の団体がいくつかあるとのこと。2度行って、2度聞いたのにそのいくつかを私は覚えていない。なんというふとどきもの!と反省する。覚えてはいないが、手元にテント村で頂いた資料があり、その中からそれらしきものを記せば、「ヘリ基地反対協議会」、「命を守る会」、「座り込みテント村」の3つある。もし間違えていたなら、辺野古で日夜平和のために献身している皆さま、申し訳ないです。
座り込みテント村で我々にキャンプシュワブ(辺野古に現在ある基地)の現状、将来の計画、反対運動のこれまでの経過や内容などを説明してくれた男性(オジサンという歳だが、たぶん私よりは若い)は、とても優しそうで誠実そうな人。訊けば、ウチナーンチュでは無く、埼玉からやってきて、長くこの運動に参加しているとのこと。いや、まあ、ほんとに、何とも有難いことである。「沖縄のためにありがとう」と心の中で呟いた。
ちなみに、辺野古の基地建設のこれまでの経過について簡単に述べておく。
宜野湾市の普天間基地は街中にあって危険である。
よって、普天間基地は閉鎖し、どこぞへ移転する。
そのどこぞを、沖縄県は県外・国外を求めたが、
日米両政府は沖縄県内の辺野古へと合意した。
「辺野古の海は自然豊かな海である、そこを埋め立てて基地なんてとんでもない」
「自然への影響は最小限におさえるから何としてでも辺野古へ」
「自然環境は大事な問題だ、それに加え、辺野古住民に基地被害が及ぶ」
「そうだね、じゃあ少なくとも県外」と鳩山総理は言う。が、後日、撤回。
以降の総理は初めから「辺野古しかない」と、県外国外を考えようともしない。
と、辺野古基地建設問題の大雑把な説明であるが、まあ一度、辺野古のテント村を訪ねてみるとよい。彼らの話を聞き、そこの海を見れば、反対に賛成したくなるはず。
記:2012.7.13 島乃ガジ丸
参考文献
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
『在日米軍司令部』春原剛著、株式会社新潮社発行