2016年2月12日付沖縄の動物『イチジクヒトリモドキ』の記事の中で、「私は1人かもしれないが、独りではない」と書いたが、その意味するところは、1人暮らしで、仕事場(畑)も1人で、日常の概ねは1人でいることが多いのだが、けして孤独ではないですよということ。門を叩けば開けてくれる友人知人親戚が私には多くいる。
『イチジクヒトリモドキ』でも書いたが、私は日常ほとんど口をきかない。例えば先月3月の1ヶ月間、私が誰かと話をしたのは、近所の先輩農夫Nさんと6回、友人の脱サラ八百屋Kと1回、友人Oの店へ行って3回、畑を訪ねてくれた友人G夫妻と1回。全部足しても4時間に満たない。1ヶ月でたったの4時間、そのうち言葉もしゃべり方も忘れてしまうのではないかと心配になるくらいだが、それでも私は、孤独では無い。門を叩けば開けてくれる、それだけで十分、私は私の傍にいつも人の心を感じられている。
「一人だけど独りじゃない」と思う理由はもう1つある。
1年以上かかったブログ移動、及び修正の作業中、記事をいちいち読んではいないが、そのタイトルを見て、だいたい何について書いたかは覚えていた。その際、気付いたことがある。2007年3月30日付ガジ丸通信『病を運ぶ夜の鳥』の中で「私は、幽霊、マジムンの類を見たことがない。で、それらの存在を信じてはいない。であるが、いろいろ不思議体験をしているので、そういったモノたちが、ひょっとしたらいるかもしれないとは思っている」と書き、不思議体験を少し紹介している。その時はその不思議体験が何かの知らせなんて思わなかったが、それは母の危機の知らせだったかもしれない。
母が検査入院したのは2007年4月初め、その母が不治の病で余命1年と医者から告げられたのは同月20日。その2ヶ月余前に私は『病を運ぶ夜の鳥』で書いた「悪いことが起きるぞ」と暗示する内容の不思議体験をしていた。特に、「朝飯食っている時に食物が喉を通り辛いのを感じる。飲み込む時に鈍い痛みも感じる」とも私は書いている。母は強皮症で、喉から食道の筋肉が固まって物が飲み込めないという症状だということを後日知る。今更ながら、「あー、母の病を知らせるお告げがあったのだ」と思う。
『病を運ぶ夜の鳥』の翌週のガジ丸通信『見えざる存在』にも引き続いて不思議体験関連のことを書いている。「先々週、部屋の中で、霊か何か判らないモノが運動会をしていて、煩くて(音を立てていたわけでは無い、雰囲気が何か煩く感じた)、夜中何度も目を覚まして、寝不足となる日が何日もあった。そのワサワサ感は三週間続いた。今は治まっている。」とある。「今は」の今は4月6日、母が入院し、検査している頃だ。
2007年3月30日の週一日記「夜は部屋で運動会」でも同じワサワサ感について書いている。私はそのワサワサを「怖いモノ」でなく「煩いモノ」と捉えている。そう、目に見えないモノたちがいたとしても、それらはちっとも怖い存在ではない。
「一人だけど独りじゃない」のもう1つの意味はつまり、目に見えない何モノかが私の周りにいるということ。たぶんそのお陰で、私は1人でいても孤独を感じないのだと思われる。私は寝る時、真っ暗で無音を好み、そんな環境だとぐっすり眠られる。なので、目に見えない何モノかが少しならいいが、たくさんいると「煩い!」となる。母の危機を告げるワサワサであっても私は煩いと思うだけなのだ。無駄だから止めなと言いたい。
記:2016.4.8 島乃ガジ丸
チムは「肝が据わっている」の肝、肝を沖縄語ではチムと発音する。ククルは心の沖縄語発音、ショーは「性悪女」の性、性を沖縄語ではショーと発音する。ちなみに、ショーについては既に2010年3月2日付記事『ウフソーとソーヌガー』で紹介していて、その中で「ソーは性のウチナー読み」と私は書いている。その通り、私が子供の頃から実際に耳にしている発音はほぼソーに近いのだが、沖縄語辞典の発音記号を見るとショーとなっている。正式(首里方言)にはショーと発音されるのだと思われる。
チム、ククル、ショー、人間を肉体と精神に分ければ、いずれも精神に含まれるもの、それぞれどういう意味を持っているのかを調べてみた。
和語でも「肝に銘ずる」や「肝に染みる」とあるように肝は心の意味でも使われるが、それは沖縄語でも同じ。性は「性が合う」とあるように性格のことを言うが、それも和語と沖縄語は同じ。ん?ならば、心と性はどう違うのかと疑問を持つ。で、広辞苑。
心は「知識・感情・意志の総体。「からだ」に対する。」で、
性は「先天的な性質。うまれつき。性状。」とあった。テレビに喩えて私なりに解釈すると、「テレビ局から放送される電波を受信して映像を画面に映し、音声をスピーカーから流す」のがテレビの性で、「番組(映される映像と流される音声)そのものが心」となる。これが正しい喩えかどうかについては不明。私がそう捉えたということ。
肝と心とに違いはないのかと思って、これも広辞苑を引く。
肝は「精神。気力。胆力。」とあり、その中にある「精神」の第2義に「知性的・理性的な、能動的・目的意識的な心の働き。根気。気力。」とあった。これから考えると、肝は「知識・感情・意志の総体」である心の中の「感情の一部と意志」のようである。
心と肝をテレビに喩えたなら、全ての番組が心であり、「正しい放送であること、公平な放送であること」という放送局の姿勢が肝であると言えるかもしれない。これが正しい喩えかどうかについては不明。私がそう捉えたということ。
例えば、「肝に銘ずる」や「肝に染みる」を「心に銘ずる」や「心に染みる」と言い換えて、両者を比較した場合、肝は心より強く銘じられ、肝は心より深く染みるように感じられる。肝は心の深い所にあるもののようだ。
チムグクルという言葉がラジオから流れるのを私は何度か聞いている。漢字にすると肝心になると思われるが、私の聞いた限りでは「同情する心」といった風な意味で使われているようである。ところがチムグクル、沖縄語辞典には記載がない。どうやら造語のようである。肝心はしかし、広辞苑にはある。カンジンと読み「大切」といった意。
「同情する心」といった意味では他にもっと美しいウチナーグチがある。チムグリシャンである。漢字にすると「肝苦しゃん」、沖縄語辞典では「不憫である かわいそうである」と訳されている。字から想像すれば、肝(心の深い所)が苦しくなる程同情するということになる、美しい言葉だと思う。他人のことを自分のことのように感じればチムグリシャンという感情にもなるのだろう。沖縄にはそういう心があったようである。
私にそのような美しい心はないし、友人達の誰にも持っている人はいないので「あったようである」と過去形にしたが、沖縄にはまだそのような美しい心を持った人がいるかもしれない。金欲物欲まみれの今の世で、そういう人は生き難いかもしれないが。
記:2016.3.19 ガジ丸 →沖縄の生活目次
参考文献
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
ワンルームのアパートで1人暮らしをし、雨の日はそこでパソコン作業、掃除、その内予定している引っ越しの為の荷物整理などをして1日1人で過ごし、雨で無い日は300坪の畑に出勤し、1人コツコツと畑作業をしている私は、日常ほとんど口をきかない。例えば先月3月の1ヶ月間、私が誰かと話をしたのは、自分の畑へ行く前に寄ってくれる先輩農夫Nさんと6回、友人の脱サラ八百屋Kと1回、友人Oの店へ行って3回、畑を訪ねてくれた友人G夫妻と1回。それだけ、全部足しても4時間に満たない。1ヶ月でたったの4時間だが、飲み会とか倭国から友人が訪ねてくるとかなど特別な集まりがない限り、毎月だいたいそんなもの。そのうち言葉もしゃべり方も忘れてしまうかもしれない。
3月には、特別な集まりが1つあった。10名余の会合に私は参加し、そこでたくさんの話を聞いた。でも、私がそこでしゃべったのは2~3分程度。その集まりでは、全員が私の年配者、社会人として立派に働き、世のため人のため活躍し、様々な経験をしてきた人達。その話が興味深くて、私はいくつかの質問以外に発言する暇が無かった。
3月のある日、1月の宜野湾市長選で、オール沖縄側の候補者を熱心に応援していた従姉の亭主から電話があって、「参議員候補者の伊波洋一さんを囲んでの懇親会がある。参加しないか?」とのこと。私は快諾して、3月22日、その懇親会へ参加した。
懇親会はある喫茶店で行われた。候補者とその奥方の他、彼を応援する有志たちが10名余りいて、コーヒーとケーキを食べながらのおしゃべり。政治関連の集まりに参加するのは、私は初めて。国の議員でも地方の議員でも、知事とか市長とかであっても、その候補者と声を交わすのも私は初めて。候補者自身は都合により2時間ほどで席を立ったが、その2時間で候補者の人柄を私は私なりに認識できた。柔らかな人であった。
懇親会の間、私はずっとメモをしていた。様々な経験をしてきた年配者達が語る中で気になることを書き留めていった。家に帰って、そのメモを見ながら思った。「たまにはユンタクもした方がいいな」と。知らなかったことを知った、疑問に思っていたことの答えが見つかったなど、知識が増えた、物事をより深く理解することができたというだけではない。「こんなものの考え方をする人がいる」ということ、つまり「人を知る」ことができるということが、ユンタクの大きな効用ではないかと思った。
これからの社会を担っていく若い人たちにこそユンタクを勧めたい。ユンタク相手にはオジサンオバサンも含めて、オジーオバーも含めて、世の中には様々な人々が生きているということを実感して欲しい。候補者ともユンタクして、政治を考えて欲しい。1ヶ月に4時間ほどしかユンタクしない私が言えることではないのだが・・・。
懇親会でのユンタク、経験豊富な年配者達の話は、私にとって興味深いことがいろいろあったのだが、字数も無いので、そんな中から1つだけ。
候補者以上に政治を経験してきた人は若い頃、ヤマトゥ(倭)から来た新聞記者に「中国が攻めてきたらどうしますか?」と訊かれたらしい。若い彼ははっきりとした答えを述べなかったとのことだが、その話を聞いて、「倭国の記者は中国と仲良くするにはどうしたらいいかとは考えなかったのだろうか?・・・それが大事だろ?」と私は思った。
記:2016.4.1 島乃ガジ丸
気温が乱高下した今季の冬、最低気温が15度以上であれば薄手の掛け布団1枚で済むが、それ以下だともう1枚掛け布団を足さなければ風邪を引く。気温が15度以下になると起きている間はストーブも必要になる。12月~2月にかけてとても寒い日があり、部屋にある電気ストーブも活躍した。活躍したのは3ヶ月で40日近くもあった。
ちょっと寒い日でも電気ストーブを点ければより良い環境となるが、ちょっとくらいでは、私はストーブを点けない。電気代節約のためである。ストーブを点けず、筋力トレーニングをやって体を温めている。また、お湯割り泡盛を飲んで体を温めている。
電気代節約は夏場もやっている。約18年間も住んでいた前のアパートにクーラーは無かったので言うに及ばず、クーラーの付いている今のアパートでもクーラーのスイッチをオンにしたことはない。去年の夏もなんとかクーラー無しで耐えられた。
冬にストーブをなるべく使わない、夏にクーラーを使わない、といったことには電気代節約の他にも理由がある。話は少々飛ぶが、若い頃の私は寒ければストーブを使い、暑ければクーラー(あればの話)を使い、頭痛がすれば頭痛薬を飲み、腹痛がすれば胃腸薬を飲み、冬、唇が乾燥すればリップクリームを使っていた。
ストーブをなるべく使わない、クーラーを使わない、薬を飲まないようになってもう20数年になる。唇が乾燥すると、ヘタしたら唇が切れて血が出たりするので、冬のリップクリームは必要であった。しかしそれも、13年前、2003年から止めた。
リップクリームを止めたのは鹿児島の友人Nからの助言による。「唇には自らの乾燥を防ごうとする力がある。リップクリームを塗るとその力が弱くなり、やがて無くなる」とのこと。それはきっと正しかろうと私は思ったので、そう聞いたその冬からリップクリームを使うのを止めた。以来、私はリップクリームを使っていない。数年後からは、冬になっても私の唇はリップクリームを塗らなくても乾燥しなくなった。
体を鍛えるというのは、筋力を付けるということだけではないと思う。科学の力(薬とか電気器具とか)を使わずに環境に順応できる体質作りも「鍛える」の内ではないかと私は思い、で、冬にストーブをなるべく使わない、夏にクーラーを使わないということもしているわけ。体が勝手に冬対策をし、夏対策もしてくれることを望んでいる。
環境順応体質は気温への順応だけでなく、空気と食物への順応というのもある。私は日常、様々な生物の生きる緑の中、生命エネルギーに溢れた空気を吸っている。そして、健康野菜を食っている。なので、免疫力も強くなるはず。さすれば、多少の汚れた空気やいくらか汚染された食物を食べても病気にならないはず。そんな体質も望んでいる。
もう1つ、社会で生活している人間として当面の目標としている環境順応もある。それは、私が育てる作物たちが環境順応体質を持った作物であること。
昨年、ゴーヤーもナーベーラー(ヘチマ)もエダマメも不作だった。ほとんど収穫を得られなかった。いずれも天候不順、台風、害虫などに負けてしまったのだ。その野菜たちがいつか、多少の環境変化には負けない強い作物になってくれることを願っている。何しろ、オジサンは食い物がないと生きていけない体質なのである。
記:2016.4.1 島乃ガジ丸
久しぶりにT女に会った。T女は東京出身で数年前から沖縄に住んでいる。ダイビングが趣味で、沖縄にちょくちょく遊びに来ている内、沖縄大好きとなってダイビングショップで働いている。昔で言う結婚適齢期をとうに過ぎているが、まだ独身。
「やー、久しぶり、元気だったか?」
「うん、元気ですよ、オジサンも元気そうだね。」
「何してるんだ、こんなところで、花の金曜日だというのに。」
「ちょっと買い物して、家に帰ろうとしているところ。」
「家?まだ一人暮らしか?恋人ができたって前にメールをくれたが?」
「とっくに別れたよ、優柔不断な男でさ、思い出しても腹立つ。今は一人。」
「ふーん、そうか、でもT女はイイ女だから、またすぐ見つかるさ。」
「ありがと、慰めてくれて。それより、久々だから飲みに行こうよ。」
「おー、いいよ。でも、俺に惚れるなよ。」
「ハッ、ハッ、ハッ、それはご心配なく。」
ということで、そこから近くの居酒屋へ。美女との偶発的デートとなった。
居酒屋に入って、向かい合わせに座って、先ずはビールを注文。T女もイケる口だ。
「俺はあまり食べないから、あなたの好きなもの注文したらいいよ。」
「ありがと、普段は家飲みだから珍しいもの注文しようっと。」
「家飲み?若い女が家飲みってか?あっ、そうか、そう若くもないか。」
「オジサンよりずっと若いよ。家飲みが楽なのさ、お金もかからないし。」
「ふん、ふん、ふん、相変わらず貧乏なんだ、今日は奢ってやるよ、一杯食べな。」
「やった!よーし、食ってやる。」とT女は言って、店員を呼び、メニューの料理を指差しながらいくつか注文した。
彼女が注文したのは焼鳥とかサラダとか一般的な料理だけだったので、
「沖縄料理にももう慣れただろ?あまり好みじゃないのか?」と訊くと
「ビールのつまみは普通でいいの、泡盛飲む時に沖縄料理頼むのよ。」とのこと。今頼んだ料理の4皿はほんの前菜であり、メインはこれからのようである。
「そういえば、前から気になっていたけど、シマナーって何のこと?」
「沖縄に住んでもう4、5年だろ?シマナーって最も有名な野菜の1つだぞ。」
「野菜には興味無かったのさ、三十過ぎて、健康に気を使うようになったのさ。」
「シマナーは和語にすると確かタカナと言ったと思うが、島の菜と書く通りウチナーンチュに親しまれている沖縄の伝統野菜だ。カラシナとも言う。」
「へーぇ、かなし菜っていうんだ、かなしは知ってるよ私。だから、この野菜を食べると辛くて涙が出て悲しくなるなんて出まかせ言っても通じないよ。」
「何言ってんだオメェ、また何か、訳の分からないこと想像してるな。」
「哀しって、愛しているって意味って言ってたでしょう。」
「確かに、そうだが?・・・そうか、カラシナをカナシナと聞き違いしたな。カラシナは確かに食べると辛くて涙が出るかもしれんが、悲しくなるなんてことはない。その種子が辛子になるらしい。おでんが美味くなるあの辛子のことだな。」
「それって、出まかせじゃなさそうね。」
「バーカ、三十女がカラシナも知らないのか、嫁に行けない訳だぜ。」
前置きの作り話が、ついつい調子に乗って長くなってしまったが、「哀しって、愛しているって意味」についてはホント。「カナシナシグヮー」と歌詞に出てくる民謡があったが、ナシグヮーは「生んだ子」という意で、漢字交じりで書くと「愛し成し子」となる。これは和語のカナシイと同じで、「愛しい」または「哀しい」と書き、「身にしみていとしい。かわいくてたまらない。」(広辞苑)という意となる。沖縄語のカナシも同じく、漢字にすると「愛し」とも「哀し」とも表記される。
沖縄語辞典による正確(首里方言)な発音ではカナシャンとなっており、「かわいい、愛らしい」という意。カナシングヮで「いとし子」という意になる。カナサンドーというと「愛しているよー」と思いを寄せる女性に対する言葉となる。なので、思いを寄せる女性が加奈という名前の場合は、「加奈さんカナサンドー」となって、冗談を言っているように受け捉えかねない。その場合は別の言葉がいくつかあり、中でも強く恋を表現したい場合はマンブリを使う。マンは「全く、丸っきり」で、ブリは「惚れ」の意。
女性にマンブリした経験、私は過去に4度あるが、4度とも撃沈し、深い悲しみに浸った。カナサンくらいの方が上手く行くと、私は経験上から思う。
記:2016.3.29 ガジ丸 →沖縄の生活目次